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10年後の歩行空間をよりユニバーサルなものに 国交省「バリアフリー・ナビプロジェクト」についてTRON開発者の坂村健氏に聞いた

2021年12月21日に中央合同庁舎3号館で行なわれた「バリアフリー・ナビプロジェクト アンバサダー任命式」

 どうもアカザーっす! 2000年にけがで脊髄を損傷して以来、車いすユーザー歴21年目のオレです。

 普段の移動には車いすが欠かせないオレですが、車いすで初めて外出した21年前に比べると、各段に生活しやすい社会になってきていると感じます。さらに、最近のICTの進歩や、スマートフォンなどの個人端末による情報の共有化で、これまでにないくらいすごいスピードでバリアフリー化が進んでいるのを日々感じています!

 とはいえ実際に街に出ると、いまだにコレかぁ~! なんてコトもあったりします。障害が重い方だとひとりでの移動はちょっと苦労するだろうなぁと思うバリアはいまだ多く存在している気がします。

どうもアカザーっす! 車いすユーザー歴21年目のオレです。21年前にはじめて車いすで外に出たときは「これから一生こんな感じか~」とかなり凹みました。(イラスト・水口幸広)

国土交通省がこの10年間で進めてきた“ICTを活用した歩行者移動支援サービス”とは?

 先日、国土交通省の「バリアフリー・ナビプロジェクト アンバサダー任命式」を取材してきました。

 これは、国土交通省が推進する「バリアフリー・ナビプロジェクト」のアンバサダーとして、東京パラリンピックで活躍したパラカヌーの瀬立モニカ選手と車いすバスケットボールの網本麻里選手の2名を任命し、より若い世代の車いすユーザーなどの障がい者、さらにはベビーカーなどを使用する一般の方にも「バリアフリー・ナビプロジェクト」を知ってもらおうというもの。

バリアフリー・ナビプロジェクトにおける歩行者移動支援サービスのイメージ

 バリアフリー・ナビプロジェクトとは、国土交通省が進める“ICTを活用した歩行者移動支援サービス”普及のための取り組み。スマートフォンなどを使って、車いすやベビーカーの利用者が通行可能なルートナビゲーションするサービスはすでにいくつかあるのですが、あまり周知されていなのが現実です。

 なので、それらをもっと一般の方たちにも周知してもらい、さらにはサービスを利用するユーザーから得た最新データを使い、よりよいシステムを作っていこうというものです。

 任命状授与式の冒頭あいさつでは国土交通省 吉岡幹夫技監は、バリアフリー・ナビプロジェクトに関して以下のように説明してくれました。

車いすバスケットボールの網本麻里選手(右)に任命状を渡す、国土交通省吉岡幹夫技監(左)

「このプロジェクトは東洋大学情報連携学部(INIAD)学部長で東京大学名誉教授である坂村健先生が中心となり、今から約10年前にスタートしました。車いすやベビーカーの利用者が歩道を歩く際の段差や傾斜などのバリアフリー情報を簡単に入手できないか? という要望をデジタル技術で解決するためのさまざまな検討を進めてきました。具体的には、段差や傾斜情報をオープンデータ化し、スマートフォンでバリアフリー情報を誰もが自由に利用できる環境づくりを進めています」

「今年(2021年)開催された、東京2020オリンピック・パラリンピックでは競技場周辺のバリアフリー情報を整備し、選手や大会関係者の方、ボランティアスタッフなど多くの方々に利用いただきました。今後はこの取り組みを広く知ってもらい、多くの人がデータ整備に参画してもらえるように、アンバサダーに任命するお2人にはさまざまな場面で積極的にこれらの取り組みを発信いただきますようよろしくお願いいたします。また、私たちと一緒にユニバーサル社会の実現に向けたさまざまな国の取り組みを支援していただけることを期待しています」

アンバサダーに任命されたパラアスリートが考えるユニバーサル社会

 その吉岡幹夫技監の言葉を受け、アンバサダーに就任した網本選手と瀬立選手はその意気込みを次のように語ってくれました。

 網本選手「私は右足首に障害がありながらも、普段は歩いて生活しているので、このようなサービスを知ることができたのは自分自身うれしく思っています。このサービスを使うことで、障害の有る無いは関係なくさまざまな方々が不便を感じずに日常生活を送れるように、街中を好きなように歩けるように、私自身アンバサダーとしてこのサービスをたくさんの方に知ってもらいたいと思うので、広めていけるような活動をしていきたいと思います」

 瀬立選手「アンバサダーの就任をうれしく思っています。私自身は高校生のころに障害を負って車いすになったとき、まずはどうやって車いすで高校に通うんだろう?と思いました。そして高校生活のなかで、どの道を通るのが楽なのか?を開拓していきました。それが、こうしたサービスやシステムが導入されることによって、より高校に通いやすくなったり、車いすで外に出るというハードルが下がり、今はまだひきこもったり外に出られていない障害を持った人たちがたくさん外に出ていい景色をみられるような、そんな社会になってほしいと思います。そんなよいサイクルを産み出せるように私自身も発信をがんばっていきたいと思います」

自身の体験を交えアンバサダーに就任した意気込みを語る、車いすバスケットボールの網本麻里選手(左)と、東京パラリンピックパラカヌー(KL1)7位入賞の瀬立モニカ選手(右)

 瀬立選手の「障害を負って車いすになったとき、まず考えたのがどうやって車いすで高校に通うんだろう?」という言葉に、21年前にオレ自身が中途障害で車いすユーザーになった際に、同じようなコトを考えていたのを思い出しました。

 けがで下半身マヒになるまでは何の不自由もなく自由に移動できていたんですが、車いすになってそれが一転。この社会は車いすユーザーのためにはできていないんだな~という事を思い知りました。それでも、モニカ選手が高校生活のなかでどの道を通るのが楽なのか?を考えてルートを開拓してきたように、オレ自身も移動しやすいルートや公共交通をトライ&エラーをしつつ学んできました。2000年当時は、今ほどネットに情報が落ちてない時代だったんですよね~。

 たぶん今外に出て活躍している車いすユーザーの方々は、多かれ少なかれ同じような経験をされ、自分なりのノウハウを作ってきたんだと思います。

 質疑応答での「ふたりにとってどのような道が歩きづらいのか?ふたりにとっての理想の道とは?」との質問に対しては以下のようにコメント。

網本選手「車いすやベビーカーなどは、車道と歩道の少しの段差でもつまずいて転ぶことがあるので、少しでも軽減されると誰もが住みやすい街になると思います。点字ブロックなどは必要な人はいらっしゃいますが、車いすやベビーカーを使っている方は不便に感じてしまいます。お互いが使いやすいような工夫やサービスがあるとお互いがストレスなく住みやすくなる街になっていくのかな、と思います」。

 瀬立選手「車いすになったときに一番感じたのは道路の傾斜です。道路は水はけをよくするために道路の左右の端にいくにつれてカマボコ状に傾斜しているので、道路の右側を車いすで走るときは右腕がすごく疲れたのを覚えています。道路の水はけの方法に何か別の方法や変えられるものがあるといいなと思います。でも、全部が全部バリアフリーになったらいいとは私は思っていなくて、階段や凸凹路面もあってもいいと思います。そこにプラスして別の選択肢があるのが、これから目指すべき多様性のあるみんなが暮らしやすくなる社会なんじゃないかな?と思っています」。

車いすバスケットボールの網本麻里選手(左)は少し立って歩けることができるとのことで、車いすユーザーと一般の歩行者双方の視点からもコメント。瀬立モニカ選手(右)は車いすユーザーだけが使いやすい街づくりではなく、より多くの人々が使いやすい街をつくることが、今後目指すべき多様性社会だとコメント。

 網本選手がコメントした点字ブロックの件。視覚障がい者の移動には必須である点字ブロックが、下肢障がい者の車いすでの移動時には段差となり転倒などの原因となりえるように、万人が使いやすいシステムというのは本当に難しい気がします。俺が受傷した21年前は街には汎用性のないバリアフリーも多かったのですが、今後はおふたりのアンバサダーがコメントしたとおり、一般の方を含めた万人が使いやすいバリアフリーや移動サービスを考えることが重要になってくるように思います。

 電車やバスなどの乗降において、ここはもう少しやってほしいなという事はありますか?との質問に対しての回答では……。

網本選手「合宿に行く際にリムジンバスなどに乗ることがあるんですが、そのときに車いすユーザーだとスタッフさんにおんぶをしてもらって車内の椅子まで運んでもらわなければならないので、そういったときにお互いが気を遣わずに、気持ちよく利用できるサービスがあればいいなと思っています」。

瀬立選手「電車の交雑状況などがわかるようなシステムがあればいいなと思います。羽田空港ではトイレの混雑状況が見られるアプリが導入されていて、車いすトイレなどはそう数があるわけではないので、行ったら混んでいたみたいなことがよくあるので、電車とかでもこの時間は混んでいるからこっちじゃなくてこっちに行こうとなる選択肢が増えるのは、車いすユーザーだけではなくて一般の人たちにもうれしいサービスだと思うので、そういったシステムができたらいいなと思っています」。

羽田空港公式アプリ
Googleインドアマップに対応している羽田空港は、各フロアにあるユニバーサルトイレまでのルート案内サービスも可能

 そうなんですよ! 網本選手が言うように、公共交通のスタッフさんは仕事の範疇を超える勢いでサポートしてくれることが多い気がします。なので、オレはそういったサポートを受けたときには、スタッフの方がまた次の利用者を気持ちよくサポートできるように、笑顔で感謝の気持ちを伝えるようにしています。人の優しさに触れられるのは車いすになってよかったと思えるコトではあるのですが、瀬立選手がいうように、システムやサービスの進化でスタッフさんの手を煩わすコトなく、健常者だったころのように一人で気軽に移動したい! という思いもいまだに残っています。

 そして、おふたりのコメントを聞いていて感じたのが、おふたりともに、障がい者や車ユーザーの視点だけではなく、社会全体がよくなるにはどうすればいいか?を考えているんだなということ。過去には障がい者の権利を盾にサービスを勝ち取ろうとするような方法を採る方も居ましたが、これからはそんな時代じゃないですよね!

 今後、両選手はアンバサダーとして、ツイッターやインスタグラムなどで、動画や画像を使いつつバリアフリーナビサービスなどの情報を発信していくとのことです。

TRON開発者の坂村健先生が思い描く10年後の歩行とは?

 この「バリアフリー・ナビプロジェクト アンバサダー任命式」の後に、バリアフリー・ナビプロジェクトの中心人物、東洋大学情報連携学部(INIAD)学部長で東京大学名誉教授でもある坂村健先生に、話をうかがいました。PCマニアやネットギークなら一度はそのお名前を聞いたことのあるあのTRONプロジェクトの坂村健先生ですよ! お話をお聞きするのめっちゃ緊張した~!

バリアフリー・ナビプロジェクトの技術的顧問を務める、東洋大学情報連携学部(INIAD)学部長で東京大学名誉教授でもある坂村健先生。坂村健先生が1984年に開発した日本発の組み込み型OS「TRON」。その用途は多岐にわたり、GoProなどのなじみ深い小型家電から、小惑星探査機はやぶさ2までに組みこまれている。現在、コンピュータOSとしては世界シェアの約6割を占めるといわれている。

──バリアフリー・ナビプロジェクトはどういう経緯で始まったのでしょうか?

坂村先生:今、世界的にもですね、SDGsとかいろいろ言われていますよね。世界中の人々が障がい者のサポートをもっとするべきだとか、地球環境を守るべきだとか。

 そういう意味でいうと、物事を判断する時のいろいろな基準がですね、10年ぐらい前から大きく変わるようになってきたんです。わが国では少子高齢化社会を迎えなければならないことや、インフラの老朽化などさまざまな問題が出てきました。

 なので、障がいを持っている方にも社会に入っていただいて、日本を支えていただく活動に参加していただくべきではないか? その環境をつくるにはどうすればいいか? そしてそれらをサスティナブル、持続継続的にやるにはどうすればいか?を考えてきました。

 車いすユーザーの視点で今の地図を見ると、重要な要素である坂や階段などの情報が描かれていないんです。車いすユーザーにストレスなく街を移動してもらうには、そういうことを地図に描くべきであると。

 そして、そのための予算を試算したところ、数百億円ほどでできることが分かりました。しかし、1年後にこの場所にエレベータができたなど、街はどんどん変わるものです。なので、その地図は1回作って終わりというものではなく、継続的にやっていかなければならない。

 そこで、多くの人に協力してもらうオープンな方式で作ろうと。例えば地元の中高校生やボランティアに頼んで、そういう坂や階段やエレベータなどの最新情報を地図に入れる。

 そんな感じの企画からスタートして、10年前から始めました。しかし、そのころは今のように全員がスマートフォンを持っているような時代ではなく、どうやってデータを入力するか?で行き詰まりました。なので、まず国土交通省でそういうデータをみなが入力できるツールを開発して、インフラを作ろうと。

──10年たってどうなったんでしょうか?

坂村先生:Googleマップのルート案内で、次に来る電車がどこを走っているのかが分かる。経路選択オプションで車いすにチェックを入れると車いすで移動可能な導線をナビしてくれる。などのサービスがあるのはご存じですか? 実はアレは私のところ(東洋大学情報連携学部:INIAD)で出しているODPT(オープンデータパブリックトランスポ-テーション)をもとにGoogleさんがサービスを提供しているんです。

 ちなみに交通管制システムの多くは、私が開発したTRONで動いているんですが、それはまた別の話になります。ODPTは集めたデータをTRON方式でオープンデータとして公開しているという感じです。それをやっていたら、Googleがそのデータを使わせてほしいということで、それであのサービスができたんです。

 TRONのやり方はオープン方式です。世界中には似たようなコトをやる人がいます。そういう人たちと敵対するのではなく、協力してやりましょうという方式。お互いが重要視するのは結果。結果こそが重要なのでそれに必要なものをつなぎ合わせていこうと。自分たちが作ったアプリを使ってほしいなんてコトは二の次という考えです。バリアフリー・ナビプロジェクトも基本的な考え方はこれと同じなんです。

──なぜこのタイミングで任命式をやったのですか?

坂村先生:この10年でやっと環境が整ってきて、スマートフォンをみなが持っている今だったら思い描いていたことができる! 今こそバリアフリー・ナビプロジェクトを皆さんに知ってもらい、協力していただきたいと考えたからです。そのため一般の方への認知度を高めるために、若いおふたりにアンバサーをお願いしました。おふたりには、エンジニアなどの専門職ではない方々に広めていただければと期待しています。

──アンバサダーのおふたりに広めてほしい、具体的なサービスやアプリがあるのでしょうか?

坂村先生:今はまだわれわれが発信しているオープンデータをGoogleさんやいろいろな場所で使ってくださいという活動ですが、やはり何か具体的なものがないと彼女たちも発信しづらいと思います。なので、何らかのサービスとして、今年度末に発表をしようと考えています。

 ですが、覚えておいていただきたいのは、その際にもこのアプリケーションを使わなければダメです! というものではないというコトです。

 期待しているのはすべての人の移動を快適にするルート案内サービスがあって、それを支えるデータ収集を皆でやろうという活動を、教育機関や若い世代に訴求してもらいたいのです。例えばバリアフリー情報の収集などを中学・高校の活動の一部に入れてもらうとかになっていけばうれしいです。

 私が学長を務めている東洋大学情報連携学部(INIAD)では、大学として車いすの自動走行の研究もしています。今後その自動走行車いすにも国交省の「バリアフリー・ナビプロジェクト」のデータというものが活きてくるんです。そういうものがなければ路面の状況がわかりませんからね。

 赤羽にある東洋大学情報連携学部は2万m2の敷地面積に5000個のIOTノード(装置)のあるスーパーインテリジェントビルで、エレベーターから何からぜんぶ自動走行車いすがコントロールするんです。

──そういった研究で10年後の移動を変えていくということでしょうか?

坂村先生:今は人間が移動するためのデータがほとんどですが、これに少し手を加えるだけで、自動運転車いすとかロボット、パーソナルモビリティなど、いろんなものの自動運転につながって行きます。なので、国土交通省としては今後はそっちのほうもやっていこうと委員会で検討中です。お見せできる具体的なものができた際には、デモンストレーションにお呼びしますので、ぜひまた取材に来てください(笑)。


 最初、バリアフリー・ナビプロジェクトの任命式の取材依頼があったとき正直あまり期待はしていませんでした。しかし参加者のなかにTRON開発者の坂村健先生のお名前が! そして任命式の後に先生にもインタビューできるとのことで期待値はMAXに! そして現場ではその期待を超えるお話が聞けました。

「車いすユーザーとしてオレが一番使いやすいと感じているのは、Googleルート検索で車いすオプションを入たものなんです」と話したとき、「あ~それの元データ、Googleがくれっていうんで、私のとこが提供しているんですよ~」とフランクな口調で応えてくれた坂村先生の笑顔が今も脳裏に焼き付いています。その笑顔に10年後は車ユーザーをはじめ足腰がわるい高齢者の移動などが、今よりももっとずっとよくなっているだろうコトを確信しました!