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水素カローラはなぜ燃えたのか? 極限状態のモータースポーツにおける課題出し

2月23日の富士テスト時点における液体水素GRカローラ。この後、3月8日のプライベートテストで水素漏れによる火災が発生した

液体水素GRカローラの挑戦が延期に

 3月18日~19日に鈴鹿サーキットで開催されるスーパー耐久開幕戦鈴鹿において、トヨタ自動車は液体水素を燃料とするGR Corolla H2 concept(水素GRカローラ)を参戦させるはずだった。液体水素を燃料とするクルマの耐久レース参戦は世界初、もちろん実用的なレーシングスピードで走る液体水素を燃料とするクルマも世界初の挑戦になる。

 ところが3月15日、トヨタから衝撃の発表が行なわれた。「3月8日に富士スピードウェイで実施した専有のテスト走行にて、エンジンルームの気体水素配管からの水素漏れによる車両火災が発生しました。その結果、車両の復旧が間に合わないため、出場を断念いたしました。代替車両として、『ORC ROOKIE GR Yaris』(ガソリン)での走行を予定しております」ということが起きたという。

 ただ、水素リークセンサーによるフェールセーフが正常に機能したことで大幅な延焼は抑えられたほか、液体水素に起因するものではなく、昨年まで走らせていた70Mpaの圧縮気体水素を用いる水素GRカローラと同じ構造のところが原因だったとのこと。この件に関して、高橋智也 GAZOO Racing Company プレジデント、佐藤恒治次期社長、豊田章男現社長の3人が、オンラインで説明を行なった。

水素をいかにコントロールするのか

液体水素を給水素するカローラ。これまでよりコンパクトな面積で給水素できるようになった

 まず、最初に大切なことは、水素は燃えるものだということだ。もちろんガソリンも燃えるし、軽油も燃える。リチウムイオンバッテリだって燃えてしまうことがある。とくに内燃機関の場合、燃える力が強いほどよい燃料となり、よく燃えるガソリンが小型内燃機関においては王者となってきた。

 しかし、ご存じのように普通のガソリンでは燃える際に二酸化炭素を出してしまう。未来において二酸化炭素の排出はカーボンニュートラルにする必要があるため、世界中の自動車会社は単なるガソリンを使わないクルマの開発を行なっている。とくにトヨタは、現時点で方向性を絞り込むことなく、電動化、カーボンニュートラル燃料、燃えても水となる水素などに取り組んでおり、水素については極限の出力や環境での可能性を探るため、モータースポーツの現場を活かした開発を続けている。

 今回、その極限の状況で水素が漏れ、発火。漏れに対するフェイルセーフは働いて大幅な延焼は避けられたものの、鈴鹿の開幕戦には間に合わない状況となってしまった。

 フェイルセーフは想定どおり働いたため、問題は水素がなぜ漏れてしまい、シリンダーの中ではなくエンジンルームの中で燃えてしまったかということにある。ガソリン燃料なら手の内としてコントロールできていたことが、水素燃料ではコントロールし切れていなかったことになる。

 そして今回起きた水素漏れは、液体水素に起因するものではなく、2年間スーパー耐久を戦ってきた水素GRカローラと同じ構造の箇所で起きたこと。2年間見えていなかった水素燃料の課題を見つけることができたとも言える。

水素漏れが起きた詳細な状況

 この状況が起きたのは、3月8日の富士スピードウェイ。最終コーナーを立ち上がっていくときだという。ここは富士のストレートに向けアクセルを全開にするポイントで、最終コーナーの立ち上がりだけに横方向のGもかかった状態になっていると思われる。そのような状況の中で、水素が漏れ、発火する条件が整ってしまった。

 高橋プレジデントによると、水素が漏れた時間は0.1秒以下。漏れた量は計測できていないが、0.1秒以下で水素漏れをセンサーが検知し、水素の供給は遮断できたという。あらかじめ水素漏れを想定して装着していたセンサーは正常に動いたのだが、水素の発火条件を満たしてしまい、発火につながった。

 高橋プレジデントは水素が燃える条件は物理法則により「濃度は4%以上、温度は550℃以上」と語る。今回はその条件を満たしてしまったという。

 液体水素GRカローラは、ボディ後半部に液体水素タンクを積み、そこにマイナス253℃の液体水素を真空二重槽方式で搭載している。いわば、でっかい魔法瓶を後席+ラゲッジルームに搭載しているクルマ。その冷えた液体水素燃料をタンクから取り出し、トヨタが開発した極低温で動作するポンプで10MPa以上に昇圧。その昇圧した液体水素を熱交換器で温めて気体化、10MPa以上に昇圧された気体の水素をエンジンルームに送り込んでいる。

 このエンジンルームに行く水素燃料ラインは、これまで2年間スーパー耐久で戦ってきた水素GRカローラと同じもので、漏れた箇所はエンジンに近いフレキシブルジョイントの部分という。エンジンが振動するためフレキシブルジョイントの燃料配管がエンジン近くに必要で、それが排気管と近い位置に配置されていたとのこと。

 そのフレキシブルジョイントから水素が0.1秒以下で漏れ、排気管の近くに滞留することで局所的に4%以上の濃度となり、さらに700℃を超える排気管の近くだったために発火した。

 水素自体はすぐに燃え、フェールセーフ機構が働いたことで水素の追加供給もなかったが、エンジンルームの中にあるブレーキリザーバータンクのオイルが燃えてしまったため鎮火に時間がかかった。それが、今回の車両火災の大まかなメカニズムになる。

 詳しいことは解析中で、詳細は今後になると思われる。ただ、ここまでの話で、クルマのメカに詳しい人には今後の対策方法も見えてきているだろう。

「世界で誰もまだやったことのない領域での仕事をしている」と佐藤次期社長

左のカーボンに囲まれたものがマイナス253℃の液体水素をためる燃料タンク。魔法瓶方式で温度を保つ

 まず、誰もが思い浮かぶのが、水素が漏れないフレキシブルジョイントにすればよいではないかということ。佐藤次期社長によると、そもそも車載向けの水素配管というものが世の中に普通に存在せず、それも含めてトヨタは開発しているとのこと。トヨタがすでに実用化しているFCEV「MIRAI(ミライ)」であれば燃料電池のためエンジンのような振動が起きず、水素燃料配管への要求も低いものだった。

 振動するエンジン、さらに直噴水素エンジンだけに10MPa以上の圧力がかかるフレキシブルジョイントというのは非常に難しい技術だという。そもそも、水素は最も小さい原子で、それが2つくっついた水素分子もとても小さくすり抜けやすい。また、マイナス253℃の燃料から作り出すため温度も低く、一般的にシール材として用いられているゴムを使うのも難しいとのこと。実際、記者も高校生時代に液体窒素(マイナス196℃)を扱う機械を作るアルバイトをしていたときに日電アネルバ(現在はキヤノンアネルバ)製の部品にシールテープを巻き、なにやらねじ込んで配管を作っていた記憶がある。それよりもさらに低い温度の世界なので、よほど特殊な配管も必要になってくるのだろう。

 そして次に思いつくのが、漏れても水素が局所偏在しないようにすることと、温度が550℃以上に上がらないように排気管から遠ざけること。これについては、現在構造を変更中とのことで、次のレースまでにはカイゼンされる。

 水素はどこにでもありふれているものであり、ガソリンと違って漏れても環境への影響はない。濃度と温度さえ適切にコントロールする技術を手に入れれば、発火することもない。極端な話、フレキシブルジョイントのまわりに送風機を付けて拡散すればよいだけとも言える(もちろん、それだと燃費が悪化するので、そのような対策にはならないだろう)。トヨタは、カイゼンをどのように行なうかを公開開発としてオープンにしており、カイゼンした結果をモータースポーツの現場で見られるのはよい時代と言える。

 なお高橋プレジデントによれば、水素GRカローラと液体水素GRカローラのクルマの構造で、もし影響した部分があるとすれば重量があるという。液体水素GRカローラは、ステンレス製の魔法瓶と万が一の爆発に備えたシールドを備えるため、水素GRカローラより重くなっているとのこと。重ければコーナリング時にそれだけ車体にかかるエネルギー量が高くなり、それがゆがみにもつながってくるかもしれない。そのような解析についても今後行なわれ、対策が採られていくと思われる。

 佐藤次期社長は、「我々は事故ではなく、課題をしっかり出せたという認識をしています。大事なのはむしろ出てきた課題をどのように次に活かすかということですし、多くの学びがありました。カイゼンの手を緩めることなく、前に進んでいくということだと思います。液体水素がレーシングスピードでクルマに搭載されて走っているということ自体が、そもそも世界で誰もまだやったことのない領域での仕事をしています」「メンバーも非常に厳しい仕事の中で、モチベーション高く、未来のモビリティ社会の選択肢を作るのだという気概をもってやってますので、そういうメンバーのモチベーションを守りながら、一歩一歩学びを活かして実現していく努力を継続していきたいと思っています」と語り、未知の領域での開発を続けていくという。

世界初の挑戦は、再び富士24時間から

 いずれにしろ、今回トラブルが起きたことで、世界初の液体水素車による耐久レース挑戦は次戦の富士24時間レースから始まることになる。液体水素車によるレースも世界初なら、液体水素燃料の水素直噴エンジン車も世界初になる。

 いわば2年前の水素GRヤリスによる世界初挑戦と同じく、24時間レースという最長レースからの挑戦になるわけだ。

 このような状況になったことを、実際にステアリングを握る豊田章男社長に質問したところ、「これはねプレッシャーが大変だと思いますよ。最初に(水素)GRヤリスで出るよって言ったときを思い出します。5時間レースからかと思ったら、24時間レースから行きましたからね。そういう意味では、まず(5時間レースで)様子を見てからということがダメだよと言われたみたいなもんですよ、現場にしてみたら。24時間をしっかりと走る姿、我々はしっかり評価するチャンスをいただいたという風に思っています。結局、神様はそれ(24時間)をやれと言っていることだと思います。5時間で満足するんじゃないと」と、とても明るく語ってくれた。

 実際、佐藤次期社長、豊田章男社長は今回の件について、「(2年間も出なかったトラブルについて)よくぞ課題を出してくれた」と社内でポジティブに評価しているという話を聞いた。トヨタ自動車は、極限の状況であるモータースポーツでの課題出しを行ないながら、世界最先端の開発を今後も続けていく。