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日産名車再生クラブの「Z31フェアレディZ」再生完了宣言式 「神岡ターン」というドラテクは存在しなかった!?

2025年1月25日 開催

日産名車再生クラブが2024年度に再生作業を行ったHZ31フェアレディZ 300ZX。神岡政夫氏・中原祥雄氏のペアで1985年に全日本ラリー選手権でシリーズチャンピオンを獲得している

 日産自動車の開発拠点、日産テクニカルセンターに務める開発部門従業員を中心に構成される「日産名車再生クラブ」。この集まりは日産自動車の財産である歴史的な車両を、当時の状態で動態保存するための再生作業を行ないつつ、過去のクルマ作りから技術的工夫や考え方を学ぶことを目的とした社内のクラブ活動である。

日産名車再生クラブの概要
これまで手掛けたクルマは18台となっていて、それらは神奈川県にある日産ヘリテージコレクションに保存され、一部は毎年開催されるNISMOフェスティバルでデモ走行も行なっている

 日産名車再生クラブは2024年度の再生車として、1985年の全日本ラリー選手権でシリーズチャンピオンを獲得したHZ31型フェアレディZ 300ZX(以下、Z31フェアレディZ)を選択。2024年の6月に再生作業開始のキックオフ式を行ない、同年12月のNISMOフェスティバルで展示、走行をさせている。そして2024年度の活動を終えたことを宣言する「再生完了宣言式」を、日産テクニカルセンターにて開催した。

Z31フェアレディZの再生に携わったクラブメンバーと車両との記念撮影。当日参加できなかったメンバーもいるので実際はもっと多くの人が再生作業に参加している
1985年の全日本ラリー選手権でシリーズチャンピオンを獲得したZ31型フェアレディZ 300ZX
ドライバーは神岡政夫氏、ナビゲーター(当時の表記)は中原祥雄氏
21という車番は1985年の最終戦で付けていた数字。全日本ラリーは固定ゼッケンではないので大会ごとに数字は変わる
フロントビュー。ヘッドライトは軽量化のためモーターなどを外し開いた状態で固定されている
リアビュー。2本出しのテールパイプは純正

神岡政夫氏からのメッセージを紹介

 再生完了宣言式は、日産テクニカルセンター内のホールにて開催された。まずはクラブのコアメンバーより再生車両の紹介が行なわれ、Z31フェアレディZが選ばれた理由として、2024年に創立40周年を迎えたニスモ(現・日産モータースポーツ&カスタマイズ)が創立して最初に手がけたラリー車であること。そしてシリーズチャンピオンを獲得したクルマであることと説明された。

 ちなみに当時、ニスモから全日本ラリー選手権に参戦するにあたり、参戦車両を何にするかが議論された。そこで候補に挙げられたのがS12シルビアとZ31フェアレディZだったが、最終的にドライバーの神岡氏から「ホイールベースが短いほうで」というオーダーがあり、Z31フェアレディZが選ばれたそうだ。なお、S12シルビアのホイールベースは2425mm、Z31フェアレディZ(2シーター)は2300mmとのこと。

会の途中にはドライバーを務めた神岡政夫氏からのメッセージも紹介された
神岡政夫氏からのメッセージ

再生作業について

 日産名車再生クラブでは再生したクルマを12月に富士スピードウェイで開催されるNISMOフェスティバルで展示・走行させるため、作業期間は7月~11月の限られたものである。そのため作業はクルマを分解し、エンジンとミッション担当、サスペンションとアクスル担当、ブレーキ担当、ボディ担当に振り分けられて、それぞれで同時に作業を進めるという。

 それだけにクラブメンバーでも作業中の全体像は見えていないので、この再生作業完了宣言式は各担当の代表者が作業の概要をクラブメンバーに報告する場にもなる。

日産名車再生クラブの代表である木賀新一氏。日産自動車ではエンジニアとしてキャリアを重ね、現在は日産モータースポーツ&カスタマイズに転籍し、SUPER GT GT500クラス日産系チーム総監督を務めている
再生完了宣言式では部署ごとの代表者による作業概要の報告の場があった。再生作業ではまず資料探しから始まるという
会場にはクラブ員所有の当時の雑誌や大会プログラムなども並べられていた
モデルカーも展示されていた
作業はまず車両を分解することから始まる。ラリー車と言うことでどこも泥や埃だらけで、錆もひどかったという
再生作業なので使えるパーツは磨いて付け直す

エンジンまわりの再生作業

 全日本ラリー用の車両なのでレギュレーションどおりエンジンはノーマルだったが、搭載されるVG30ETは鋳鉄製なので冷却水路内の錆がひどい状況だった。そのためエンジンオーバーホールでは通常の作業に加えて錆取りを念入りに実施したそうだ。

 交換部品については純正部品ばかりなので比較的容易に入手できたという。また、作業の過程でシリンダーヘッドをチェックしたところ、ここもレギュレーションどおり、吸気、排気ポートとも研磨も加工もされていなかったことを確認。このときせっかくバラしたことから研磨や加工もしたくなったそうだが、今回の作業はオリジナルを再現することが目的なので、加工はせずに元のまま組み直したという。

エンジンパートの作業概要
再生されたエンジン。エンジンルーム内の色が外装色と違うが、競技車は300ZX2シーター限定色だったブルーメタリック主体の2トーンカラーでそれを塗り直していたとのこと
VG30ET
日産、そして日本初のV6エンジンがこのVGエンジン
インテークパイプのゴム製ジョイントホースには、ブーストがかかった際にホースが内圧上昇で膨れるのを防ぎ、エンジンレスポンスを悪化させないために中間部にもホースバンドを掛かけている
ボンネット裏の丸い穴は軽量化のためにホルソーで開けられたもの。このほかドアパネルなどボディのあちこちに同様に軽量化のための肉抜き加工がされている

ドライブトレーンの再生作業

 ドライブトレーンはミッションとデフのオーバーホール作業を実施。Z31はVG30ETの高トルクに対応するためアメリカのボルクワーナー製の耐久性が高いミッションを使っていた。そのためオーバーホールで必要になるオイルシールなどをメーカーから入手できない状況だったが、日本でZ31フェアレディZのメンテナンスやチューニングを手掛けるアバンテオートサービスの協力でパーツを入手できたという。

 ギヤ自体やシンクロには大きな傷みがなかったので際使用できたが、このZはグラベルロードでのドリフト中、ギヤをバックに入れてコントロールする「神岡ターン」という技が一部のラリーファンで知られているので、ギヤやシンクロには相応の傷みがあったのではないか? と思う人もいるかもしれない。

 しかし、神岡ターンという技は存在しなかったそうだ。今回の再生メンバーには当時のラリーにメカニックとして同行していた方がいたので、そのへんの話を伺ってみたところ、その方が神岡氏から聞いた話では、コーナリングテクニックではなく「スピンしそうになったのでコーナリング中にバックに入れて回避しただけ」と語っていたそうで、その後、同じことをコーナリングでやってはいなかったという。

 当時のラリー参戦者からもグラベル走行時にブレーキだけでは止まれないときは、いったんロックさせてタイヤの回転を止めた瞬間にクラッチを切り、ギヤをバックに入れてからクラッチをつないで後退する駆動力でクルマを止める走り方があると聞いていたので、その応用だったのだろう。

 神岡ターンは神岡氏やZが登場するラリーを描いたコミック内で紹介されたものなので、作者の方が「スピン回避のバックギヤ入れ」をヒントに描いたものなのかもしれない。

ドライブトレーンの再生状況報告。ミッションはシール類の入手が困難だったのでZ31フェアレディZのメンテナンスやチューニングでは有名なアバンテオートサービスの協力で入手したそう。ファイナルギヤは5.142に変更。R200デフを使うトラックか4WD車用と推測されている
足まわりは汚れ落としと錆落としを入念に行ない再塗装したという。面白いところではリアキャンバーが調整できるようメンバーのブラケット部の加工と偏芯カムボルトが使われていた。車高が上がった分のキャンバー変化を修正するためかもしれない。また、写真ではゴム製のメンバーブッシュの代わりに硬質素材のメンバーカラーが使われているように見える
タイヤはダンロップの現行ラリータイヤに交換。ホイールは当時のまま、SSR製のメッシュホイール
ショックアブソーバーは代替え品がないので「ビルズ」という旧車ファンに人気のサスペンションメーカーにオーバーホールを依頼している

ボディの再生作業

 全日本ラリー選手権は大会ごとに主催が変わるので、シリーズ参戦しても固定ゼッケン番号とはならないし、大会スポンサーもラウンドごとに違っているため、再生前にはどの大会仕様にするかを決めなければならない。

 そこでクラブが選んだのが、チャンピオンを獲った年の最終戦「MCSCハイランドマスターズ85」参戦時の仕様。このときに付けていたのが21番のゼッケンだった

 しかし、ここで問題が発生。この大会は1985年の最終戦という節目の開催ではあったが、Z31フェアレディZはこのラリーでは優勝していない。そのため資料になる写真が少なくて仕様を確認するのに非常に苦労したという。

 それでも当時のラリー関係者が資料提供してくれたおかげでスポンサーステッカーの種類や貼っている位置が確認できたそうだ。ただ、斜めの位置から撮った写真だったため、ステッカーのサイズ感がつかみにくい。そこで今度は他のエントリー車の写真も探すことでサイズを見極めていったそうだ。

 そのほかのステッカーも部分的に欠けていたりしたので、当時のデザインを元にデザインシートで作り直している。そうした努力もあって担当したクラブ員の方によると、「90%ほどは再現できたのではないか」と語っていた。

ボディの再生作業の報告。ここも汚れと錆との戦いだったそうだ
ラリーでの走りの過酷さを残すため、走行で点いた痛みは修復していない。こういうシブい作業をするのが日産名車再生クラブだ
擦りやすいバンパー下の痛みも残っている
マッドガードは日産が過去に生産した競技専用車の「240RS」用を加工して使っていたが、これは新品が手に入らない。しかしクラブのコアメンバーが所有していたのでそれを使用したという
ステッカー類はオリジナルが残っていたものは、オリジナルに紙を当ててトレースする手法で作り直している。ゼッケンは当時、紙製だったので原物は残っていないが、写真からデザインとサイズを参考にデザインシートで製作。小技として紙ゼッケンを張るために使っていた布テープの色なども再現している
三菱石油が大会スポンサーで、これが見える写真がなかなか見つからずに苦労したという
ニスモのワークスカーにラリーアートのステッカーが貼ってあるが、これはラリーアートが大会スポンサーをやっていたから貼られたステッカー
MCSCハイランドマスター85参戦時の競技会証。これはオリジナル品

内装の再生について

 内装も汚れとの戦いだったそうだ。内張などを外していくと隙間という隙間に布テープが貼られ、埃の侵入を止める努力の跡があったという。

 内装パーツはすべて外して洗浄。割れているパーツは修復も行なった。そしてリベット打ちで留めてあったパーツ類も1度外して同様のリベットで付け直している。

 そして内装パーツとして特徴的なものが、ステアリングの右側に巻かれたグリップ。ドライバーの神岡氏は右手1本でステアリングを操作することが多く、左手はシフトノブやサイドブレーキにかけていたとのこと。そのため右手が滑らないように革製グリップを巻いていたそうだが、このグリップは珍しいものなので手に入らないと思っていた。ところがなんと神岡氏がスペアの品を所有していたのでそれを使わせてもらっているという。

 ほか、内装パーツではラリーコンピュータが取り外されていたが、再現度を高めるためにこちらも探すことになった。

 まずはラリーコンピュータが写っている写真を探したが、鮮明に写っているものがなく困っているところに、当時を知る方が持っていた写真に映っているものがあった。そこでその写真を元に特徴的に「これではないか」と思われるものを探して取り付けている。

 また、ラリーコンピュータの横には無線機も装着されていたので、こちらも探して取り付けている。ただ、この無線機は現在の電波法には合致しないものなので動作しないように加工してあるとのこと。

内装の再生作業についての報告スライド
内装も徹底的に清掃、リペアされている
バケットシートは絶版品なので表皮を外して洗っている
助手席も同様
ニーレストが追加されたドアトリム。もとが高価格なZだけに凝った内張デザイン。窓の開閉はレギュレター式になっている
神岡氏は右手のみでステアリング操作することが多かったという。そのため滑り止めグリップを右側だけに付けていた。再生車に使ったグリップは神岡氏提供のデッドストック品
アクセルペダルの下のフロアにかかとを載せるための装備が追加されている。これも神岡氏ならではの仕様だ
ラリーコンピュータとラリートリップも探して取り付けられている
センターコンソールには無線機があるが現在の電波法では使用することが不可。これは雰囲気だけということで機能しないように加工している
無線機用のアンテナホルダーも付いている
シフトノブは保管時に違うものに変えられていたが、ここも当時と同じ純正ノブに交換している
助手席フロアにはフットレストが追加されている。また、パンタ式の油圧ジャッキも搭載される
ラゲッジにはスペアタイヤを積んでいたのでタイヤラックと固定ベルトが装備される
左壁側にはクロスレンチホルダーとクロスレンチが装備される
室内の操作スイッチ欠品やハーネス欠品のためラリー用のフォグライトは点灯しない状態だったが、ちゃんと点くように修理されている
黄色いハーネスがシビエ製のフォグランプ用ハーネス&リレー。エンジンルーム内に付く。クラブ員が所有していたものを使用している
当時のラリーメカニックをしていたクラブ員の方が見せてくれたニスモ社内書類。ラリー参戦のためのもの。個人名や宿泊施設名は画像処理で消している
1985年の第5戦 ツール・ド・九州のリザルト。神岡氏のZ31フェアレディZは優勝している。このレベルのリザルトが競技当日配布されていた
すべての発表が終わると代表の木賀氏が再生作業終了の宣言をして閉会となった。2025年の再生車は今後発表されるので情報が入ったらまた紹介していこう