ニュース

日産名車再生クラブが手掛けた「R32 スカイラインGT-R」(N1耐久レース仕様車)、富士スピードウェイでテスト走行

2022年11月9日 開催

日産名車再生クラブが2022年度の活動としてレストアした「R32 スカイラインGT-R」のN1耐久レース仕様車が富士スピードウェイを走行

 日産自動車の開発部署が集まる日産テクニカルセンター(NTC)には、従業員を中心とした社内クラブ「日産名車再生クラブ」がある。このクラブで日産は保管している過去のクルマから毎年1台を選んでレストアをしている。活動の目的は歴史的価値のあるクルマをよい状態で残すためだが、それに加えて当時のクルマ作りの技術や考え方を、現代の技術者が見て学ぶことも含んでいる。

 今回紹介するのは、2021年12月にキックオフ式を行なったスカイラインGT-R(BNR32) N1耐久レース仕様車のシェイクダウン走行。コースは静岡県にある富士スピードウェイで、名車再生クラブのコアメンバーと当時ドライバーを務めた加藤博義氏、神山幸雄氏が参加した。

今回の車両のレストアを行った日産名車再生クラブのメンバー
当時のドライバーを務めた神山幸雄氏(左)と加藤博義氏(右)
今回手掛けた車両はスカイラインGT-R(BNR32)のN1耐久レース仕様車
この車両は日産の評価ドライバー(テストドライバー)の評価能力向上を目的に、当時のN1耐久レースへ参戦するために製作されたもの
N1耐久レース仕様車のR32 GT-Rはほかにもあったが、この車両は日産が所有していたもので、レース参戦後は栃木県にある保管所に収められていた
日産の社内チームだが、スポンサーとして日産プリンス栃木がついていた
日産名車再生クラブ代表の木賀新一氏
日産名車再生クラブのエンブレム。手掛けた車両に貼られる

 日産名車再生クラブでは、神奈川県座間市にある「日産ヘリテージコレクション」に保管されている車両からレストア対象車を選ぶのが定石だが、近年は新型コロナウイルス感染症の影響が社会に強く出ていたので、多くのクラブ員が同じ場所に集まって作業することができなかった。

 そんな中でもクラブ活動を止めないようにしようと考えた結果、人員が少なくても対応できる比較的手のかからない車両を探すこととした。そこでヘリテージコレクション以外の保管車両まで対象を広げたところ、栃木県にある保管所で今回の車両が見つかったとのことだ。

 クラブの代表である木賀新一氏によると、栃木にあったこの車両は大きなダメージこそなかったが、走れる状態ではなかったという。そこでNTCに運び込み、車体からエンジン、駆動系、サスペンション、内装などすべてバラして、それぞれの担当がレストアを進めた。

 仕上がった車両を見ると、ボディまわりは新車のように「線がピシッ」としたものになっていた。また、塗装やステッカー、ゼッケンは当時のものをベースに再現。それにドアモールなどは新品に交換された。エンジンやトランスミッションもすべてバラして組み直されているが、交換が必要な部位には在庫があるものに関しては新品パーツが使われているとのことだ。

ホイールは当時履いていた17インチのBBSホイール。塗装が痛んでいたので前後とも再塗装をしている
現代のサーキット車両と比べるとホイールは細め
当時のタイヤはファルケンのスリックタイヤだが、これはもう手に入らない。そこで同じファルケン「アゼニスRT615K+」を履く。サイズは255/40R17。木賀氏いわく、当時のスリックタイヤとグリップ性能は同等レベルではないかとのこと
フロントサスペンション。構造に変更はない。ダンパーやスプリングは傷みがあったのでテインの車高調整式サスペンションキットに変更
キャンバーの変更はできないのでアッパーマウントはノーマル形状。ストラットタワーバーはNISMO製
リアサスペンション。こちらもテイン製の車高調整式サスペンションキットに変更
マルチリンクのアーム類はNISMO製
ブレーキキャリパーとローターは当時使用していたもの
エンジンはすべてバラして組み直された。その際にパイプ類など新品パーツが手に入るものは交換されている
エアフロメーターもまだ新品が手に入るという
ECUはノーマル。セッティングデータはレース用に変更されている。ちなみにウィンドウの開閉は手巻き式に変更されている
これは走行中のエンジンデータを取るために新たに装着したデータロガー。追加メーターも兼ねている
純正のインテークホースはブーストがかかると膨らむので、ホースバンドを巻いて補強。ブーストの立ち上がり向上に効果がある
ラジエターは容量アップ。純正のシュラウドが付かないのでカバーを製作している。導風効果のためでなく、作業中の危険防止のためとのこと
大型のオイルクーラーが装着されていた
NISMOダクト付きバンパー。インタークーラーはノーマルだが、エアコンコンデンサーがないので風の抜けは市販車よりもいい
ブローバイホースはインテークに戻すのでなく、ウォッシャータンクを利用したキャッチタンクへ送られる
ウォッシャータンクがなくなったため、室内に袋式のウォッシャータンクを増設している
燃料タンクは安全タンク。レース参戦時は100Lタンクを積んでいたが、古くなっていることからこれを外して新たに57Lのタンクを付けている
ハイキャスも生かされている。デフは空冷式のクーラーとポンプが追加されているようだ
マフラーは5ZIGEN製。トランクに積んである燃料タンクへ熱を伝わりにくくするために、ステーを延長してタイコ部の位置を下げている。バンパーとのクリアランスを見ると下げた量が分かる
反対側には遮熱のための板がある。延長されたステーも見える
室内もレギュレーションに沿った作り。シートは現代と比べるとシンプルな形状
インパネまわりもノーマルの面影が残っている
メーター部もノーマルだが、スピードメーターはガラス部を黒く塗りつぶしている。裏にスピードメーターはあるが指針は外してあるという。トリップやオドメーターも動作する
センターコンソールにはキルスイッチなどが追加される
レギュレーションどおりのロールケージが組まれる。サイドバーも装備
助手席側からの光景。N1なので当然だがノーマルっぽさが残っている。ステアリングもノーマルを使用
試走シーン。今回はちゃんと走行できるかのチェックが目的
富士スピードウェイのレーシングコースをときおりペースを上げて数周走行した
パワステフルードの沸騰やクラッチの不具合が出てしまい試走終了。これらに対処したあと、12月4日開催のファン感謝イベント「NISMO Festival(ニスモフェスティバル)2022」でお披露目走行する予定

R32 GT-R開発のキーマンに当時の話を聞く

R32 GT-Rの車両実験部 実験主幹(前期型)とマイナー後の商品主幹を務めた渡邉衡三氏

 現地にはこのレストア作業に関わりのある、当時の主要人物が訪れていた。忙しい合間に対応いただいた2名の方から伺った内容を紹介しよう。

 まずはR32 GT-R開発で実験主管と商品主管を務めた渡邉衡三氏から。実験主管と商品主管についてだが、実験主管とは車両開発実験に関する責任者のことで、商品主管が作ったコンセプトを「モノにする」という役割だ。そして商品主管とは現在でいうとチーフエンジニア。開発から仕様、費用などすべてを見るプロジェクトのトップのことだ。

 R32 GT-Rの初期は伊藤修令氏が商品主管を務めていたことは有名な話だが、伊藤氏は前型になるR31 スカイラインでも主管を務めていた。伊藤氏はR32 スカイラインGTS(GTS-t)は「R31 スカイラインを超えるクルマにする」という強い意気込みをもっていたという。

 そんなことで開発が始まったR32 スカイラインだが、このモデルは従来のFRのほかに「究極のロードゴーイングカー」となるべくGT-Rの開発も予定されていた。このときに伊藤氏の元、開発主管を担当していた渡邊氏は「開発の人員も多いわけではない。とてもじゃないけど同時にやっていくのは無理だ」と意見具申したという。

 そうした意見から、GT-Rのベースとなる2WDのGTS-tをしっかり作る。そしてそれをベースにし、次の試作ロットからGT-Rを作っていく方針になったという。R32 スカイラインというとGT-Rが人気だが、そのベースとなったGTS-tも非常に完成度が高い名車なのだ。というかGTS-tの完成度がなければ、その後のすべてのGT-Rはいまのような評価を受けていたかは分からないだけに、世界中から賞賛されたGT-Rの歴史において、R32 スカイラインのGTS-tの存在は偉大なのだ。つまり、伊藤氏の「意地」は最高のカタチで実現されたということである。

 とはいえ渡邊氏の意見に対して、最初の頃、伊藤氏はかなり憤慨していたとのこと。そこで渡邉氏は開発主管としての考え方を丁寧に説明したという。そのときのことは「伊藤さんはもの作りのプロですから、キチンと説明したことで理解してくれました」と渡邊氏は語った。そしてR32 スカイラインはGTS-t、GT-Rとも発表は同時にするが、GT-Rの発売は開発期間を余分にとって3か月ずらしたものとなったのだった。

 というストーリーだったが、この話からR32 スカイラインの成功に関して、伊藤氏のみならず渡邉氏の存在もとても重要だったことが分かる。なお、渡邉氏はR32 GT-Rのマイナーチェンジモデルから商品主管に昇進しているので、そのころのお話も伺った。

 GT-Rというクルマはとても高性能だが、商品化をするうえで妥協というか、後発モデルのために出し惜しみしたような面はあるか? と質問したところ、「そうしたことはないです。私が担当したR32 GT-Rの後期型では17インチタイヤが採用されましたが、これは前期型にあったアンダーステアが強めという意見に対応したものです。ただ、社内的に17インチはR33まで取っておけという意見がありましたが、GT-Rは究極のロードゴーイングカーであるので、そういう出し惜しみはしません。“妥協することなく、より高いところへ登ったからこそ、さらに上が見られる”という考えです。私はR33、R34 GT-Rでも商品主管を務めましたが、すべて同じ考えで進めてきました」と語ってくれた。

こちらは当時のドライバーを務めた神山幸雄氏。R32スカイライン(GTS-t、GT-R)の評価ドライバーである。現在もロードカー実験評価グループに所属していて、最新ではノートオーラ NISMOの開発に携わっている

 最後にもう1人、R32 GT-Rの評価ドライバーであり、今回の車両でレースに参戦していた神山幸雄氏からも話が伺えたのでそれも紹介していこう。

 神山氏いわく「われわれがレースに参戦したのは評価ドライバーとして、より多くの経験を積むことが目的でした。評価ドライバーの仕事は商品主管や開発主管の考えたものがそのとおりになっているかを確認して、結果を技術者に伝えることです。また、性能がどうかということだけでなく、それが乗っている人にどう伝わるのかを見るのもわれわれの大切な仕事です。クルマを買ってくれたお客さまに“気持ちよく楽しく走っていただきたい”と常日頃から考えて評価をしています。性能とフィーリングがつながっていないと乗っていて楽しくありません。そのためにさまざまなシーンでの走行を行ないますが、レース参戦もその1つでした。楽しいという表現があっているか分かりませんが、安心して乗れるクルマ、手足のように操れるクルマというのは、結果として運転の疲労感も出ないクルマになるので、そういった面を見る感覚を得るためのレース参戦は参考になりました」と語ってくれた。

当時のドライバーの名前が貼られていた
評価能力を高めるための参戦ではあったが、やはり「勝ちたい」という気持ちも強く、レースの前後には加藤氏などと勝つための話し合いもしていたという