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日産名車再生クラブキックオフ式。2019年の再生対象車は「1964年式プリンス グロリア スーパー6 第2回日本GP T-VIレース仕様車」

自動車大国日本の礎は“普通のクルマ”によるレースで築かれた

2019年5月25日 開催

1964年式「プリンス グロリア スーパー6 第2回日本GP T-VIレース仕様車(レプリカ)」が2019年のレストア車両に選ばれた

 日産自動車の開発部門が集まる日産テクニカルセンターには「日産名車再生クラブ」という社内クラブがある。同クラブでは「日産ヘリテージコレクション」の所蔵車を対象に、現役当時の状態に戻すレストア作業を手がけている。なお、この作業ではただクルマを直すだけでなく、レストアの過程で見えてくるクルマ作りの内容から当時の技術や考え方を学ぶことも目的としている。

 2019年の再生対象車だが、いくつかの候補の中からクラブが選んだのは1964年式「プリンス グロリア スーパー6 第2回日本GP T-VIレース仕様車(レプリカ)」だ。5月25日には、日産テクニカルセンターに今年度のメンバーを集めて「FY19名車再生クラブキックオフ式」を開催した。

日産名車再生クラブは、日産テクニカルセンターの開発部門従業員がサークルとして立ち上げたのが始まり。現在はクラブへ昇格し、その活動は社内だけでなく社会的にも高く評価されている
日産名車再生クラブがこれまで手がけた車両。ここ数年は完成したクルマをニスモフェスティバルで走行させている。なお、座間にある日産ヘリテージコレクションで実車の見学ができる
名車再生クラブは年度ごとに再生活動メンバーを募集する。5月25日に2019年度のメンバーが集まってキックオフ式が開催された

 改めて2019年の再生対象車を紹介する。今年の再生対象車は、1964年式プリンス グロリア スーパー6をベースにした第2回日本グランプリ T-VIレース仕様車(以下プリンス グロリア スーパー6)で、このクルマを製造したのは戦後、航空機製造から自動車製造へ転身した「プリンス自動車工業(1966年にニッサン自動車と合併)」だ。

 日産名車再生クラブがプリンス グロリア スーパー6を再生対象車とした理由は3つあった。1つは歴史的な出来事でもある第2回日本グランプリ優勝車両と同型のプリンス グロリアを動態保存したいという点。次に、2012年に名車再生クラブが再生した、1964年第2回日本グランプリで2位になった「プリンス スカイラインGT」と一緒にサーキットを走らせたいという点。そして日本のモータースポーツ創世記のクルマ作りを学ぶということだ。

日産名車再生クラブが2019年に手がけるのが、1964年式プリンス グロリア スーパー6をベースにした第2回日本グランプリ T-VIレース仕様車。ただ、実際のレースカーはもうないので、再生するのは当時作られたレプリカ
1964年式プリンス グロリア スーパー6をベースにした第2回日本グランプリ T-VIレース仕様車。エクステリアデザインは当時最先端だったフラットデッキスタイルと4灯ヘッドライトが特徴

 プリンス グロリアは1962年9月にデビューしていて、1964年式では2代目に切り替わる。1963年には今回の対象車でもある「スーパー6」というグレードが追加された。スーパー6は2.0リッターエンジンで国内初の直列6気筒SOHCエンジン(G7型)であり、最高出力が105PSと日本で初めて100PSを超えたエンジンでもあった。

日本初の直列6気筒SOHC 2.0リッター「G7型」エンジン。最高出力が105PSとなっていて、100PSを超えたのもこのエンジンが日本では初めて
レース車もシングルキャブレターだったが、再生車に付いているキャブレターとインテークマニホールドとは違うものだったとのこと。ここはクラブ員が所有しているパーツを装着する予定
シリンダーヘッドはターンフロー方式だった
プリンスのコーションプレート。最高出力が記載されている

 プリンス グロリア スーパー6はその高性能さからモータースポーツへも参加。1964年には第2回日本グランプリの「T-VIレース(ナンバー付き車両)」で大石秀夫選手がドライブした39号車が優勝し、杉田幸朗選手の38号車が2位という好成績を収めている。

 ただ、当時のレースカーは残っておらず、日産ヘリテージコレクションに収めてあったのは、レース用パーツを一部使用して当時製作された展示用のレプリカ。だが、それでもとても貴重な1台である。

インテリアはノーマルのままのようだ
タコメーターは装備されていない。当時のレース資料映像ではダッシュボード上に後付けのタコメーターが見えた
ノーマルシートは傷みがあるが、車格が高いクルマらしく豪華な作り。シートをどうするかは聞いていないが、このシートをリペアした姿も見てみたい
ロールバーも付いていたが展示車だったのできちんと固定されているかは疑問
アクセルペダルは特徴ある作り。ブレーキとクラッチペダルも小さく感じる。パーキングブレーキはダッシュボード部にあるタイプ
ドア内張は張り替えられているようだった
ステアリング右下にあるスイッチ類
フェンダー先端には車幅確認用のマスコットが付く。上級グレード用の装備だったそうだ
「Prince 6」というエンブレム
「Gloria Super 6」のエンブレム
リアウィンドウのみアクリル製に変えてあった。このあたりの経緯を知る人はいないので理由は不明
特徴的な平らで大きいトランク
内部も広く、奥にガソリンタンクがある
タイヤは資料によると5.50 L-13というサイズ。海外に代用できるタイヤがあるという
ブレーキは前後ドラムなのでマスターバックは付いていない
フロントサスペンションはダブルウィッシュボーン式
リアサスペンションはド・ディオン式

完成が前倒しできたら、11月の「鈴鹿サウンド・オブ・エンジン」で走る……かも!?

日産名車再生クラブ代表の木賀新一氏

 車両の紹介の後は関係者のあいさつとなる。最初に登壇したのは日産名車再生クラブの代表を務める木賀新一氏だ。

 木賀氏は「今年もこの日を迎えられてうれしく思います。毎年のことですが再生するクルマの選定は時間ががかるもので、今回も最終的に残った候補から選ぶのに1週間くらい悩みました。第1回と第2回の日本グランプリは映像が残っていまして、その中でプリンス グロリア スーパー6が走る姿がたくさん出てきますが、非常にいい音をして走っています。プリンスという会社は元々が立川飛行機から来ていまして、当時の軍用機はとても厳しい検査に受からないと納められなかったと聞いています。そんなところからも、プリンスという会社は決められた枠の中で性能を最大限出していくことに長けていたのではないかと思います。だからレースでも成績を残せたのでしょう。今回の作業ではそんなところも見て、みんなで考えていきたいなと思っています」とあいさつした。

日産のヘリテージマーケティングを担当するグローバルブランドエンゲージメント部に所属する中山竜二氏

 次は来賓の中山氏が登壇。中山氏は日産のヘリテージマーケティングを担当するグローバルブランドエンゲージメント部に所属している。中山氏いわく「プリンス グロリア スーパー6は当時の最先端のデザイン、技術が盛りこまれたテクノロジーフラグシップと呼べる存在でした。このクルマが出ていたクラスはツーリングカーレースの最高峰で前年優勝のトヨペット・クラウンを破って優勝しています。また、2位と4位もプリンス グロリア スーパー6でした。プリンス グロリア スーパー6はスポーツカーではなく普段使いのクルマです。また、ほかのクラスに出ていたクルマも普段使いのクルマでしたが、そういったクルマでレースをしてきたことが自動車大国日本の礎を築いていったとも考えられます。そう思うと今回のクルマの再生は非常にワクワクするものであります。また、日本グランプリは鈴鹿サーキットで開催されたので、私としては鈴鹿でグロリアを見たいと思います」と語ったが、これがクラブの活動に大きな影響を与えることになった。

プリンス自動車工業に務めていて、プリンス グロリア スーパー6の設計にも携わった日産アーカイブズの伊藤修令氏

 当時のプリンス自動車工業に務めていて、櫻井眞一郎氏の元で車両設計をしていた伊藤修令氏。プリンス グロリア スーパー6の設計にも携わっている。伊藤氏は「プリンスの上層部はわれわれ設計部に対して“やるんだったら、今、考えられる最高のものを作れ”と言ってきていました。では、最高のものとはなんでしょう。おそらくどのメーカーの設計者も同じように最高のものを作ろうとしていて、同じような部分に着目しているでしょう。その中で最高のものとは他の人が思いつかないことではなく、同じようなことを考えていた人が“これはすごいことをやったな”と思ってくれて、自身の仕事の参考にしてくれるようなものだと思っています。そんな考えでいろいろとやってきました。グロリアは当時最高のクルマを作るということでやっていまして、新人だった私にもエンジンマウントやデフマウントの設計の仕事が回ってきました。それに、グロリアはホイールベースが長かったので3ジョイントのプロペラシャフトを作ることになりまして、そのドライブライン部の設計もやらせてもらいました。そんなことからグロリアは思い入れがあるクルマなんです」と当時の貴重な体験を語ってくれた。伊藤氏は作業時にはアドバイザーとなるとのこと。

当時の開発ノートの現物。「S410R」がグロリア、「S50SR」「S54AR」はスカイライン。トランスミッションもギヤ比だけでなくシフトパターンのバリエーションも複数あったことが分かる。トルクが細めだったのでギヤの選択が重要だったのだろうか
日本モータースポーツ推進機構理事長の日置和夫氏

 最後は日産OBで日本モータースポーツ推進機構理事長の日置和夫氏のあいさつだ。日置氏は「グロリアですが、私が高校生の頃にTVで見ていたクルマです。私は当時からこのクルマに関心を持って見ていたうちの1人なんですね。さて、このクラブの活動では12月のニスモフェスティバルで再生したクルマを走らせていますが、先ほどの話にも出てきたように日本グランプリで活躍したクルマなので、鈴鹿サーキットでも走らせてみたいところでもあります。そこでもし、スケジュールの進みがよく完成が前倒しできたら、11月に鈴鹿サーキットで開催される『鈴鹿サウンド・オブ・エンジン』というイベントで走らせるのはどうでしょう。鈴鹿サーキットさんには話をします(笑)。当時のドライバーの方も元気なので、声をかければ来てくれると思います。とにかく先輩たちが築いてきた歴史を皆さんが再生して、“こんなにすごいことがあったんです”と世の中に見せていただくことには本当に感謝しておりますし、引き続き皆さんの努力で多くのクルマを直していっていただきたいと思います」と語った。

 以上で日産名車再生クラブのキックオフ式は終了したが、ひょんなことから「ニスモフェスティバルのひと月前の鈴鹿サーキットを走る」という目標(?)ができてしまった。クラブ員の方は例年より忙しい作業期間になるかもしれないが、事故など起こすことなく例年どおりの完璧な作業を期待したい。

プリンス グロリア スーパー6の再生スケジュール。ここにはないが、11月の「鈴鹿サウンド・オブ・エンジン」という暫定の目標ができた。でも、日本グランプリが開催されたコースを、再生されたプリンス グロリア スーパー6が走行する姿は見てみたいものだ