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その数なんと300台。座間で一般公開している「日産ヘリテージコレクション」展示車を写真で紹介

当時の姿そのままのモータースポーツ仕様車など厳選

2018年6月27日 開催

 日産自動車は、これまで生産してきた市販車からレースカーまで約400台を収蔵していて、そのうち300台ほどを神奈川県座間市の座間事業所内にある「日産ヘリテージコレクション」で展示している。6月27日には報道向けに「日産ヘリテージコレクション取材会」が開催された。

 この取材会は、日産が生み出してきたクルマに対する理解を深め、それら歴代のクルマが新しいクルマの開発などに繋がっていることを再確認してほしいということを目的に開かれたが、自動車メディアで働く人もCar Watch読者の皆さんと同じく「クルマ好き」の人種であるので、取材会の目的には「懐かしいクルマたちに思いを巡らせることを純粋に楽しんでほしい」ということも含まれていた。

日産ヘリテージコレクションには創業時からのクルマが展示されている。歴代のクルマがキレイに残っていることも見どころだが、ここにあるクルマの約7割は走行可能な状態を維持しているという点も素晴らしいところ
1950年代のクルマも多数ある。こちらはプリンス スカイライン。奥は6気筒エンジンを積んだGT
1970年代。フェアレディZの240GZと240Z Gのパトカーが並んで展示
スポーツグレードだけでなく、普通のグレードも展示されている。こういった車種に関しては「子供のころ、家にあった」など懐かしく感じる人も多いだろう
人気のR30型も多くのグレードが展示されている
R32もGT-RとGTS-tが展示。共に初期のイメージカラー

 日産ヘリテージコレクションの見学の前に行なわれたプレゼンテーションでは、日産の歴史などが紹介された。社名の日産は母体となった「日本産業」から来ているもので、日本産業という名前は個人の利益を追求するのではなく、日本全体の産業を活性化させたいという決意から付けられたものということ。そして、日産が作ってきた数多くのクルマや機能の中から、歴史的に価値のあるものを中心にスライドで紹介。最後にモータースポーツについて触れられたが、そこでは2017年の東京モーターショーで発表されたフォーミュラEへの参戦の話も盛り込まれ、「たま電気自動車」から「リーフ」へと繋がってきたEV(電気自動車)の時代へのチャレンジがさらに加速することを示した。

 さて、以降は取材会の模様や、ヘリテージコレクションの収蔵車を写真で中心に紹介していこう。

取材会についての解説。始終どことなく和やかなムードで取材会が行なわれた
日産が掲げる「ニッサン インテリジェント モビリティ」の解説。数々の新技術はドライビングをしやすく、楽しく、便利にしていくためのものということ
ニッサンの創業は1933年。鮎川義介氏(名字はあいかわと読む)によって創業された
1947年に作られたEV(電気自動車)の草分け「たま電気自動車」。これも実車が展示されている
1954年に設立された日産デザインチームの初期作品となる112型のダットサン セダン
世界で130万台の販売を記録し、日本車初のグローバルヒットとなったのが510型のダットサン ブルーバード
今でも多くのファンを持つS20エンジンを積む“ハコスカ”GT-RとZ 432。これらのクルマも展示されている
日本初のターボ付きエンジンを搭載したのは430型のセドリックとグロリア。この後、ターボ車の時代が来る
「へー、そうなんだ」というものもあった。ドアミラーの電動格納機能は現在では世界中のクルマに採用されているが、元祖は1984年に発売されたローレル
1992年といえば、RB26DETTエンジンをはじめとしたガソリンエンジンのハイパワー化が非常に盛り上がっていた。この時代を引っ張ったのは間違いなく日産だが、その一方、将来を見据えたリチウムイオンバッテリーの開発も行なっていたという
2010年というともう8年も前になる。この時代に日産は初代リーフを発売してEVの時代をスタートさせた
日産のレース活動について。グローバルな活動は1958年から始まった
敷地内では展示車の同乗走行も行なわれた。これは1961年式のダットサン フェアレデー SPL213
こちらは1983年式のスカイライン ハードトップ 2000 ターボRS。“RSターボ”という車名と思われることが多いが、“ターボRS”が正解
展示車の解説は日産名車再生クラブの記事にも登場するグローバルマーケティングコミュニケーション部の中山竜二氏、荒川幸隆氏が担当した。写真は中山氏
収蔵車が並ぶエリアへの入り口前には、第27回 東京モーターショーに出品した1987年製のMID4 II型が展示されている。エンジンはVG30DETTを搭載
ホールの配置。入り口から進むと年代順に見学できるようになっている。生産車の後はモータースポーツのクルマが並ぶ
創業の1930年代~1960年代までが並ぶ
1970年~1980年代。そして1990年。このあたりから「ウチにあった」的なクルマが登場。来場者の歩みが遅くなるエリアだという
特別な仕様のクルマも展示されている。プロ野球のリリーフカーを見られる機会はそうそうない。その横では、スカイラインデビュー60周年企画としてプリンス スカイラインと現行スカイラインを並べて展示
奥へ行くとモータースポーツゾーンとなる
ここからは何台かをピックアップして紹介。まずは1933年のダットサン12型フェートン。ダットサンとは日産の前身にあたる快進社の出資者3人のイニシャルから取った「D」「A」「T」に、息子を意味する「SON」をあわせ「ダットソン」と付けたが、ソンとは「損」を連想するので、発音が同じで太陽を意味する「サン」に直され、ダットサンとなった
朝鮮戦争の影響で鉛の価格が高騰してバッテリーが高価になったことを機に、たま電気自動車をガソリン仕様に変更した「たま貨物車」。ノーズにラジエター用のグリルが追加されている
ダットサン ブルーバード 1200。1959年製。日産のデザインチームが初めてデザインを手がけたクルマ
1954年製のプリンス セダン デラックス。エンジンは零戦の栄、誉の設計主任だった小谷氏が手がけたもの。プリンスとは明仁親王殿下の立太子礼にちなんで命名され、その後、社名、ブランド名、そして販売会社の名前と残っていく。このクルマは当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)が愛用したものとのこと
初代スカイラインの派生バージョンで商用バンのスカイウェイ。かなり珍しいクルマ
日産初のグローバルヒットとなった510型ブルーバード。これは1969年式のダットサン ブルーバード 1600 デラックス
プリンス自工と合併して1年後に発売されたスカイライン 2000GT-R。写真は1969年製のPGC10型
左が2000GT-Xで、右が1972年製のスカイライン 2ドアハードトップ 2000GT-RのKPGC10型。外観は似ているが値段は倍くらい違っていた。2台並べた展示なので細部の比較がしやすい
スカイライン 2000GT-Rと同じS20型エンジンを積んだフェアレディZ 432。4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトから「432」となった
初代プレジデント。1965年の自動車業界は、貿易為替自由化の実施により関税の撤廃が控えていた。すると、アメリカ車の輸入が増えることが予想されていたため、プレジデントはアメリカ車を迎え撃つための作られたという話もある
1973年式のスカイラインH/T 2000GT-R。KPGC110型。製造期間が短く、200台ほどしか生産されていない稀少なクルマ
1966年式のシルビア。エクステリアは木村一男氏がデザイン。原案ではリトラクタブルヘッドライト、ファストバックだったが、見直しを重ねこうなった。1963年にはこのスタイルに近い試作車が完成している。ゆえに、俗説にあるランチア フルビアクーペ(1965年発表)のデザインを真似たというのは誤った情報とのこと
ここからは懐かしいと感じる人が多そうなクルマを紹介。ハイソカーブームの時代にデビューしたレパード 2ドア ハードトップターボSGX
今でも見ることが多いS13系のシルビアと180SX。2台とも初期のCA18エンジン搭載車
A31型セフィーロをベースにパワーアップされたRB20DETエンジンを積み、装備も豪華になったセフィーロ オーテックバージョン。エアロパーツも専用品を装着
こちらもオーテックが手がけたR33型スカイライン 4ドアにRB26DETTエンジンを搭載し、前後フェンダーもワイド化されたスカイライン GT-R 4ドア オーテックバージョン 40thアニバーサリー
ここからはラリーカーの紹介。コレクションのラリーカーは「フィニッシュラインを越えたときの姿」での展示が基本なので、傷みがあるものが多い。ゆえにこのコーナーは面白い。これはダットサン 富士号。1958年オーストラリアラリーのクラス優勝車
もう1台の参加車。ダットサン 桜号
1966年の第14回 東アフリカサファリラリー クラス優勝車のP410型ブルーバード。石原裕次郎氏主演映画「栄光への5000キロ」の題材にもなった
1970年の東アフリカサファリラリー 総合優勝車のP510ブルーバード
1971年の東アフリカサファリラリーにはHS30フェアレディZが参加。こちらも優勝を飾った
1972年のモンテカルロラリーで3位に入賞したHLS30 240Z。補助灯とバンパーの配置は、ライト類が前に飛び出ることを嫌ったドライバーからのリクエストだったとのこと
痛々しい姿は1973年サファリラリー優勝車のHLS30。ライト類の欠損はペナルティになるので「無理矢理付けて」ゴールしたとのこと
1973年製のブルーバード U 1800SS。第21回東アフリカサファリラリーで総合2位を獲得
1977年のサザンクロスラリー優勝車のKP711初代バイオレット
1981年サファリラリー優勝車のPA10 バイオレット。エンジンは4気筒のL型エンジンをDOHC化したLZ20Bを搭載。最高出力は210PS
1982年サファリラリー優勝車のPA10 バイオレット。こうして見ると日産のラリー車はサファリで強かった
S110型のシルビア。PA10バイオレットのあとを継ぎ、サファリラリーへ参加。1982年には総合3位に入った
S110シルビアをベースにしたニッサン 240RS。これは1983年のモンテカルロラリー仕様。日産名車再生クラブがレストアした車両だ
全日本ラリー選手権シリーズに神岡/中原組で参加していた1985年製のHZ31 フェアレディZ 300ZX。1988年はシリーズチャンピオンになった
1988年サファリラリー出場車のRVS12シルビア。エンジンはV6を搭載。1988年のサファリラリーでは総合2位を獲得した
1992年RACラリーに出場したRNN14パルサー GTI-R
日産がワークスとして参戦したテレフォニカ・ダカールラリー2004(通称パリダカ)で総合7位に入ったニッサン ピックアップ 2004
ここからはスーパーシルエットレース車の紹介。これはトミカ スカイライン ターボの1982年スーパーシルエット11号車。DR30型が原型だがエンジンはLZ20Bを積む。長谷見昌弘選手がドライブ
コカコーラ キヤノン ブルーバード ターボ。1984年スーパーシルエットレースの20号車。柳田春人選手がドライブ
ニチラ インパル シルビア ターボ。1983年スーパーシルエットレースの23号車。星野一義選手がドライブ
初代マーチをベースにしたスーパーシルエット仕様車。レースには出ていない。初代マーチのイメージキャラクターだった近藤真彦氏のために製作されたクルマ
ツーリングカーの展示もある。これは1989年のスカイライン GT S-R リーボック。全日本ツーリングカー選手権の50号車
1991年スパ24時間耐久レース総合優勝のスカイライン R32 GT-R
有名なスカイライン GT-R 12号車のカルソニック
同じく有名なスカイライン R32 STP タイサン GT-R
スカイライン ニスモ GT-R LM。1996年ル・マン参戦車
スカイライン ニスモ GT-R LM ル・マンの公認用ロードカー
歴代のSUPER GTマシンも展示されている
古いレースが好きな人には見逃せないR381からR383も展示。実車は想像より大きめだった
ニッサンのモータースポーツと言えばプロトタイプカーが代表的。ここからはプロトタイプカーの展示を紹介。これは1986年のニッサン R85V
ニッサン R86V
ニッサン R88C
ニッサン R89C
ニッサン R92CP 24号車 YHP。基本メカニズムはニッサン R91Cに準じたマシン
1992年のニッサンR92 CP カルソニック
1992年のNP35。エンジンの規定が自然吸気仕様に変更されたことをうけて作られたが、グループCレース自体が打ち切りとなり、国内レース1戦のみを走ったマシン
ニッサン R390 GT1のル・マン公認取得用ロードカー。発売はされていない
1997年のル・マン出場車のニッサン R390 GT1
1998年のル・マン24時間レースで総合5位に入ったニッサン R390 GT1
ニッサン R391は1999年のル・マン24時間レースに2台エントリーしたが、クラッシュとトラブルで2台ともリタイア。国内の1000km耐久レースでは優勝を記録した
他にもリーフRCなどの展示もある。モータースポーツコーナーも見どころが多い
この日産ヘリテージコレクションは一般にも公開している。見学には日産ヘリテージコレクションのWebサイトからの予約が必要となる。申し込みは先着順で、結果はメールで返信される。見学可能な日もWebサイトの予約ページに掲載されており、2カ月前から予約ができる。見学はビデオ上映、ガイド形式での見学、自由時間、アンケート記入となる。見学は無料だ

【お詫びと訂正】記事初出時、キャプションに誤りがありました。お詫びして訂正させていただきます。