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日産名車再生クラブによる1988年式「スカイライン GTS-R」の再生完了宣言式

エンジンまできっちり仕上げたグループA仕様のGTS-R。その再生過程の苦労が語られる

2018年1月20日 開催

 日産自動車の開発施設、日産テクニカルセンター内には開発部門従業員を中心にした社内クラブ「日産名車再生クラブ」がある。このクラブでは日産の歴史的車両を可能な限り当時の状態に戻し、動態保存する活動を進めていて、2016年までに12台の再生を完了させている。

 そして2017年はスカイライン生誕60周年であり、スカイライン GTS-Rも生誕30周年という節目の年であることから、クラブが再生対象として選んだのは「日産ワークスとして海外のモータースポーツに初参加したスカイライン」であるグループA仕様の1988年式「スカイライン GTS-R(HR31型)」だ。製作したのは「ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)」で、1988年の欧州ツーリングカー選手権(ETC)に参戦していた車両だが、その活動時期にはスパ・フランコルシャン24時間レースにも参戦。ここでは総合6位に入っている。そんな欧州での活躍後、クルマは日本へ戻ってきていて、最終的に日産の財産的な車両を保管する施設、座間記念庫(非公開)に保管されていたものだ。

 その車両が名車再生クラブのメンバーの目にとまり、スパ24時間レース出場時の仕様で再生されることとなったのだ。

 再生を手がけるにあたって開催されたキックオフ式の模様は2017年5月22日の記事「日産名車再生クラブ、今年は欧州で活躍した「スカイライン GTS-R」グループA仕様車をレストア。キックオフ式開催」にて紹介している。さらに完成した車両がお披露目走行を行なった「NISMO FESTIVAL at FUJI SPEED WAY 2017」に関してはこちらの記事「20回目の節目として「GT-R」をフィーチャーした「NISMO FESTIVAL at FUJI SPEEDWAY 2017」レポート」で紹介しているので、それぞれの記事もぜひもう1度読んでいただきたい。

 さて、目標であった「NISMO FESTIVAL at FUJI SPEED WAY 2017」を完璧な姿で走らせることを完遂した日産名車再生クラブは、最後の締めとして1月20日に日産テクニカルセンター内において「再生完了宣言式」を行なったので、今回はその模様を紹介しよう。

再生が完了した1988年式の「スカイライン GTS-R(HR31型)」グループA車。スパ・フランコルシャン24時間レース参戦仕様
もとのエンジンは降ろされて、HCR32型スカイライン用のRB20DETをベースに新たに組み直して搭載。エンジンコンピュータはレース専用品だったが、今後の管理を考慮して純正コンピュータをベースにした仕様に戻されている
タービンやエキゾーストマニホールド、サージタンクなどはGTS-RのRB20DET-R用
インテリアもしっかり直されている。シートは国内でリペアを行なった
ロールケージも1度取り外してサビ取りや再塗装を行なった。エアジャッキも当時のものをオーバーホールして使用できる状態にしている
ライト類もスパ24時間レースのときに付けていた前期用に戻している。現車には残っていなかったゼッケン灯も資料から再生。車体のステッカーはすべて作り直した
ホイールは欠品していたので、ドイツのBBSへ当時履いていたモノと同じホイールをオーダー。タイヤは横浜ゴムの協力で作ってもらった
燃料タンクまわりは当時の印象をなるべく壊さないようにしつつ、安全のため最新のアイテムを使って作り直されている
日産名車再生クラブ 代表の木賀新一氏

 再生完了宣言式とは文字どおり、取りかかっていたクルマの再生作業が完了したことを参加メンバーの前でクラブ代表の木賀新一氏が宣言するものだが、同時に作業の各パートを担当したメンバーから作業に関わるコメントを聞けるものとなっている。

 マイクを取った木賀氏は完了宣言の前に今回の印象などを語ったが、作業的には時間に押されてこれまでで「一番濃密だった」と発言があるくらい厳しいものだったそうだ。

 ただ、苦労して仕上げたクルマが「NISMO FESTIVAL at FUJI SPEED WAY 2017」を走行したときの印象として「やはり直6の気持ちのいい音というのがこんなにも素晴らしいものなんだと久々に感動しました。今回はエンジンまでしっかり直してもらって制御系も変えてもらって完全に再生できたかなと思います」と笑顔で語った。そして「社内的に『再生クラブはなんでレーシングカーばかり手がけるの』と聞かれることが多いです。まあ、市販車ももちろん大事なのですけど、走りだけに振って妥協を許さないという姿勢で作りあげているレーシングカーがなんともカッコよくて、特別なオーラを発しているというか、そういう想いがありまして、あそこに並んでいる(テクニカルセンター内の大ホールに特別展示中)クルマを通りかかった方々がニコニコしながら見ているところを目すると“これからもレーシングカーだなぁ”と思ってしまうんです」と仲間内の会だからこその飾らない言葉でコメントしたあと「取り留めのない話になってしまいましたが、これを持ちましてスカイラインGTS-Rスパ仕様の再生完了を宣言します。ありがとうございました」と語った。

ここからは作業パートごとの報告が続いたので、スライドと合わせて紹介する。再生の対象になったのは1988年の欧州ツーリングカー選手権(ETC)に参戦し、スパ・フランコルシャン24時間レースで総合6位を獲得したグループA仕様のスカイライン GTS-R
海外のレースを走っていたクルマなので残っている資料が少なかったとのこと。残っていた現車もグリル、ヘッドライト、テールランプが変更されていたりパーツの欠品があったりした
作業スケジュールと車両分解。名車再生クラブは毎年サポートのメンバーを社内から集う。これによって同じ会社にいながら仕事では関わることのない部署の人同士の交流も生まれ、また、若手にとっては経験したことのない作業を直接目にしたり、手伝ったりできる機会でもある。これについて若手の参加者に感想を伺ったところ、大変だったがやりがいを感じていて「楽しかった」という言葉が聞けた
エンジンとドライブトレーンについて

 搭載されていたエンジンのRB20DET-Rは日本のグループA仕様とはチューニング内容が違い、独特の手法による低圧縮、ハイブースト仕様。そこでR32用RB20DETをベースに製作し直した。なお、R31時代のRB20はインテークポート形状が特殊で燃料の霧化が今ひとつという難点も同時に解消。このエンジンに関して担当したクラブ員からの「10年、20年後、次の方がエンジンを開けたときに“ちゃんと作ってあるな”と思えるように仕上げました」という言葉に作りに対する気持ちがこもっていた。なお、当時付けていたトランスミッションは、日産自動車がレストアしたグループA仕様車のリーボック スカイラインに移植されてしまっていたので、異なる形式のトランスミッションを組み合わせている。

ブレーキ、足まわりについて

 ブレーキキャリパーはオリジナルをオーバーホールしているが、本体は廃盤なのでパーツを新品に変えることが不可能だった。とくに苦労したのはブレーキのエア抜きに使うブリーダー部分。固着していて抜けず、8本あるうちの7本はねじ切れてしまった。そこですべての穴の修正など行なって、約2カ月近くの時間を費やしたという。エアジャッキもオーバーホールされた。スタビライザーはグループA専用品なので、これも復元したという。

電装品について

 残っていた車両はヘッドライトとテールランプが後期型用になっていたが、スパ24時間のときはどちらも前期型を付けていたので、ここも純正パーツを入手してスパ仕様へ戻した。夜間も走るレースなのでゼッケン灯も装着されていたはずだが、その後のスプリントレースでは不要なので外され、取り付けの穴も塞がれていたので、数少ないスパ24時間レース出場時の写真からゼッケン灯の形状とメーカー名を割り出して海外から入手。すごい執念である。また、今後の管理しやすさを考慮してエンジンコンピュータを換えたため、ハーネスも大改造。こういった電装系の作業は、地味だが時間と手間が掛かるかなりの大仕事といえるだろう。

車体と塗装について

 記念庫にあった状態でも塗装はそれほど痛んでなかったので再塗装を行なわないという話もあったが、ロールバーのほうに出ていたサビが気になるということから1度ロールバーを取り外すことになった。するとボディのほうもあちこちサビがあったり、他車に接触されたような変形跡があったりとそれなりのダメージが見つかったので、ボディの修正と全塗装を行なうことになったとのこと。バンパーやエアロパーツも同時に塗り直されている。

車体復元について

 今回のクルマは各パートの再生作業に予想していた以上の時間が掛かったため、シェイクダウン予定日までに仕上げるには、スケジュールの後半でかなりの追い込みが必要になったという。そのためクラブ員の最後のひと月の週末は、朝から晩まで全て復元作業に充てられた。燃料タンクまわりは安全性重視で新品へ。ただ、見かけはあまり変わらないように仕上げたという。ドイツのBBSに発注していたホイールは走行前日に届くというこちらもギリギリセーフ。最後のアライメント調整作業は走行前夜22時ごろになってしまったとのこと。

シェイクダウンについて

 ボディ板金塗装などは含まずに、このクルマに費やした作業時間は3200時間ほど掛かったとのこと。その苦労の甲斐あって、ニスモフェスティバル前に設定していた独自のシェイクダウンは予定どおり行なえた。テストドライバーを務めてくれたのは星野一樹選手と高星明選手。星野選手から「メチャクチャ調子いいですね」というコメントがもらえて、苦労が報われたという。走行を見ていたクラブ員も2015年に再生したNISMO LM GT-Rと比べてもエンジン音はとても素晴らしかったというコメントだった。

ステッカー貼り付けについて

 シェイクダウン終了後はステッカーを貼り付けて仕上げを行なう。この作業では大きく3つの行程があった。まずはもとのステッカーから型を取るのと貼ってあった位置の採寸。それをデータ化してステッカーを作成し、最後に貼り付けという順だ。ただ、現車はスパ仕様とはステッカーが異なっていたので写真資料などを参考に作業を行なう面が多かったし、当時のステッカー類は現在のように施工業者が手がけるのではなく、メカニックが現場で貼っていたので曲がっていたり貼る位置がずれていたりするので、今回はそれらを全て修正という意味で整えたカタチで貼り付けた。ただ、とにかく時間がなかったので多少雑になった部分もあるという反省もあった。でも、作業は若手メンバーに手伝ってもらいながら約1日半の短時間でやり遂げている。

2017年11月26日の「NISMO FESTIVAL at FUJI SPEED WAY 2017」当日は、往年は名レーシングドライバーの和田孝夫さんに乗ってもらった。サーキットサファリとヒストリックカーレースの先導車として走行していたので、現地に行かれた方はその姿と音を体験していると思う。そして再生に協力してくれた企業のリストが写され、報告は終了した
日産OBであり日本モータースポーツ推進機構理事長の日置和夫氏

 クラブからの報告が終わったあとは来賓からのコメントが続いたが、ここは代表して日産OBであり日本モータースポーツ推進機構理事長の日置和夫氏の発言を紹介する。

 日置氏からは「皆さん、ご苦労様でした。説明を伺ったところ各パートで大変ご苦労されたことは伝わって来ました。レストアすることについては色んな話をして、どういうカタチで残していくのかとなるわけです。直したクルマは日産が続く限り残るわけですから、後世に伝えるためどういう仕様にしておくのが一番いいのかを考えます。ただし、基本的にはオリジナルという路線でいくことがそのクルマの価値を残すことでもあるので、色々と考えることも多く大変なことです。でも、クルマをバラしてみると当時の生産車やレーシングカーのクルマ作りの考え方や次の世代のクルマとの比較から色んなものが見えてくるので、そこに面白さを感じるでしょう。皆さんの活動は日産の歴史を守るものでもあるので、今後も皆さんの力でこのクラブがずっと続くことをよろしくお願いします」と語られた。

今回をもって定年退職を迎えたコアメンバーへの記念品贈呈も行なわれた。R35GT-Rのエンブレムなどのデザインを手がけた本間健氏へは、2007年に再生したSKYLINE 2000GT-R 72年東京モーターショー出品車の搭載エンジンに使われていた鍛造ピストンとチタンコンロッドというとても貴重な品が贈られた
ニスモフェスティバル限定品として製作販売した今回の再生車のミニカー。京商製だ。限定品だが、クラブ員にはさらに特別にクラブのロゴが入ったモデルが用意されていた
現在、日産テクニカルセンターのホールに一緒に展示されているのは、2012年に再生したプリンス自動車 スカイライン GT 64年の第2回日本グランプリ2位入賞車と、2015年に再生したNISMO LM GT-R 95年ルマン24時間レース出場車。見てみたい気になるだろうが、ここは開発施設なので非公開だ

 以上で再生完了宣言式はすべて終了。2018年もこのクラブの活動は続くが、現在はまだどのクルマの再生を手がけるかは未定とのこと。例年だと5月くらいに発表されるので、日産名車再生クラブの活動に期待する日産ファンの方は5月を楽しみにしていていただきたい。