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日産名車再生クラブ、今年は欧州で活躍した「スカイライン GTS-R」グループA仕様車をレストア。キックオフ式開催

スカイライン生誕60周年、スカイライン GTS-R生誕30周年の節目から選出

2017年5月20日 開催

社内クラブ「日産名車再生クラブ」が2017年度 再生クラブキックオフ式を開催

 日産自動車、日産テクニカルセンター内の開発部門従業員を中心にした社内クラブ「日産名車再生クラブ」は、2006年より日産の歴史的車両を可能な限り当時の状態に戻し、動態保存する活動を進めてきた。そして5月20日に日産テクニカルセンター内でクラブ員を集めて「2017年度 再生クラブキックオフ式」を行ない、その模様を報道陣に公開した。

 今年レストアに取り組む車両は1988年式の「スカイライン GTS-R(HR31型)」。同車両はNISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)がヨーロッパにおける日産のモータースポーツ活動拠点としてイギリスに設立した「ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)」が製作したもので、1988年の欧州ツーリングカー選手権(ETC)に参戦し、スパ・フランコルシャン24時間レースで総合6位となった車両だ。

 ちなみにスカイライン GTS-Rは、1985年に発売された7代目スカイライン(2ドアは1986年発売)をベースに、当時あったグループAというカテゴリーのレースに参戦するため、日産から800台限定で発売されたレース用のベース車。

 そうした稀少価値のあるクルマということに加えて、2017年はスカイライン生誕60周年にあたり、スカイライン GTS-Rも生誕30周年という歴史の節目であること、そして今回レストア対象になるスカイライン GTS-Rは「日産ワークスのスカイラインとして初めて海外のモータースポーツに参加したクルマであること」などから今年の対象として選ばれたという。

 レストアはキックオフ式終了後から開始され、完成は2017年11月を予定。そして11月26日に富士スピードウェイで開催される「NISMOフェスティバル」にて、展示およびプロドライバーを起用してのレーシングコース上でのデモランを予定している。

日産名車再生クラブによってレストアされる1988年欧州ツーリングカー選手権出場車のスカイライン GTS-R(HR31)。グループA仕様車である。座間記念庫に保管されていた車両で、ホイール以外は当時のまま。比較的きれいな感じだが、実際は走れる状態ではないとのこと
2017年の名車再生クラブのキックオフ式。司会はクラブメンバーの菅野氏(左)が担当。開会の挨拶はクラブ代表の木賀氏(右)が行なった
日産名車再生クラブは日産テクニカルセンター内の開発部門従業員を中心にした社内クラブで、コアとなるメンバーは現在12名。それに加えて平均100名ほどのクラブ員がいて、毎年の活動ごとに実際に作業に携わるメンバーを募っている。木賀代表はクラブについて「日産の歴史的車両をレストアするだけでなく、再生の過程で当時の技術者の工夫や考え方を学ぶことを目的にしている」と紹介した
クラブがこれまで手がけたクルマも紹介された。2015年は「NISMO GT-R LM」のル・マン仕様車で、スカイラインと名乗っていないところが特徴。1995年のル・マン24時間レースで総合10位、クラス5位に入賞したクルマ。2016年はA型エンジンの50周年ということで、A型エンジンを搭載する「チェリー FII クーペ GX-T」のTSレース仕様車のレストアを行なった
今年は1988年の欧州ツーリングカー選手権(ETC)に参戦し、スパ・フランコルシャン24時間レースで総合6位となったスカイライン GTS-RのグループA仕様車がレストア対象車
レストア対象になった理由についてと対象車のスペック。完成は今年の11月で、完成後は11月26日に富士スピードウェイで開催される「NISMOフェスティバル」でデモ走行を行なう予定
ゲストの佐藤氏。佐藤氏はクラブ活動に掛かる予算に関わっている。佐藤氏によると名車再生クラブの活動は日産社内の評価も高いとのこと。また、普段は仕事のうえで関わることのない社員同士が一緒に作業するいい機会なので、この機会を通じて培ったことをそれぞれの職場に持ち帰って、業務に活かしてほしいと語った
続いてはPR面などでサポートを行なう酒井氏の挨拶。この活動は他の自動車メーカーにはないものなので、大いにアピールしていくとのこと。その一環として、「人とくるまのテクノロジー展2017 名古屋」(6月28日~30日開催)で2016年にレストアしたチェリー FII クーペ GX-Tを展示するとの発表があった
グローバルマーケティングに携わる部署に所属する中山氏。中山氏は「日本でのグループA スカイライン GTS-Rと言うと、長谷見選手が乗ったリーボックスカイラインが圧倒的に有名ですが、同じグループAのGTS-Rで欧州でこんなに活躍したクルマがあるんだということを、いつか取り上げたいと思っていました」と語った
NPO法人 日本モータースポーツ推進機構 理事長の日置和夫氏

 ゲストの最後に登壇したのは、日本モータースポーツ推進機構 理事長の日置和夫氏だ。日置氏は日産出身で、NISMOにも在籍。モータスポーツに関しては国内外において幅広く活躍した経歴を持っている。その日置氏からレストア対象車のスカイライン GTS-Rを走らせていたニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)について語られ、「皆さんご承知のとおり1984年にNISMOが誕生しました。この組織は日産車でのモータースポーツ活動を世界的にいろいろやっていこうじゃないか、そして将来はル・マン24時間レースに出ようという目標を持って始まったわけです。しかし、ヨーロッパでレースをするためにはヨーロッパにベースが必要です。そこで1988年にNMEが立ち上がりました」と説明。

 続いて「当時の社長は難波靖治氏が務めていましたが、現地の責任者は豪州日産でマーケティング部長兼モータースポーツを担当していたハワード氏が就任しました。そしてNMEの活動が本格的に始まったのですが、さすがに立ち上げてすぐにル・マン24時間レースに出るようなグループCカー(当時の規定)は作れない。そこで日本でもレースデビューするR31を使い、ヨーロッパのツーリングカーレースシリーズの最高峰だったETCに参戦。こうした活動でだんだん体制を作り、1989年から欧州ベースでのモータースポーツ活動でもCカーを走らせます。そのあとはラリーへと活動を場を切り替えました」とのこと。そして「以後、NMEは欧州日産の子会社として継続。1995年になると私が社長になりました。在籍中はプリメーラでBTCC(イギリスツーリングカー選手権)に参戦して結果を残し、イギリスのラリーチャンピオンシップでも結果を残しました。現在、NMEという会社はありませんが、そこで活躍したメンバーがF1も含めた各モータースポーツの世界でまだまだ活動しています」と、1980年~1990年代の欧州における日産のモータースポーツに関わる貴重な話が語られた。

 そして「このクルマはNISMOがシャシーを作っていますが、エンジンコントロール系は現地で付けていると思います。そのためNISMOでも資料が少ないクルマです。そこでNME時代の仲間に資料を探して送ってもらうことになっていますが、これがなかなか届きません。ただ、シャシーまわりは長谷見さんのクルマと変わらないものです。分からないことがあったら現車を見ながらやっていただければと思います。ただ、長谷見選手が乗ったリーボックスカイラインをレストアするときに部品が足りなくなってこのクルマからちょっと部品を拝借しました(笑)。大きいものではトランスミッションをいただいちゃってます」と語ると、会場から大きな笑いが出た。

 最後に「この活動は好きじゃないとできません。皆さんは好きで、どうしてもやりたいということで集まっていただいていると思うので、仕事ではなく趣味だということで立派に仕上げてもらうことを期待しています。ぜひよろしくお願いします」と結んだ。

 以上でキックオフ式は終了。この式ではレストア前の車両の撮影も許可されていたので、NMEが製作した1988年欧州ツーリングカー選手権出場車のスカイライン GTS-R(HR31)の細部を写真で紹介していこう。

 スカイライン GTS-Rはファンが多いクルマだけに、今回の名車再生クラブの活動は注目度が高いものになるはず。富士スピードウェイで走行するシーンが見られることを楽しみに、今年のNISMOフェスティバルの開催を待ちたい。

グループAへ参戦するためターボチャージャーの大型化、ステンレス製のエキゾーストマニホールドなどを採用し、最高出力を210PSにアップしたスカイライン GTS-RのRB20DET-Rエンジン。レストア対象車のスペックは排気量が2029cc、最高出力は400PS/7200rpm、最大トルクは42.0kgm/6000rpmとなっている。潤滑方式はウエットサンプ
国内のクルマと大きく違うのは点火系。ダイレクトイグニッションではなくディストリビューターを使う点火方式になっている。そのため、RB20DETエンジンながらディストリビューター、プラグコードと点火コイルが付いている
吸入空気量測定もエアフロセンサーを使うLジェトロから圧力センサー式のDジェトロに変更。タービンコンプレッサーのインテークから真っ直ぐに吸気パイプが伸び、車体下部から空気を採り入れるレイアウトに見える。エンジン制御はイギリスのザイテック製ECUで行なう。グローブボックス内にセットされていた
クーリング系もNMEが製作したもの。ラジエターの導風板なども日本のグループAマシンとは作りが異なっている。バンパー開口部はセンターがインタークーラー、左右にオイルクーラーとブレーキ冷却用と思われるダクトがあった
正面から見て左のダクト。内側がブレーキ用、外側がオイルクーラーへ風を導く通路。オイルクーラーへの通路は凝った形状になっていた
左右にオイルクーラーのコアがあった。どちらもエンジン用かどうかは不明。このクルマにはデフクーラーも付いているとのことだが、リアの下まわりにコアは見えなかった
タービンまわりの遮熱処理も、材料を含めて日本で作ったクルマとは異なる。オイルのブローバイは両方のカムカバーから取り出され、キャッチタンクへ送られる。キャッチタンク下部にはガスと分けたオイルをエンジンへ戻すようなホースがある。あとブレーキのマスターバックが外されているが、マスターバックがないぶんタワーバーがバルクヘッド寄りにセットされている
ダッシュパネルに市販車の面影が残るコクピット。シートも国内では見かけないメーカーのものが付いていた
ロールケージの処理。市販車ベースのマシンということで、現代のGT3カーと比べて見るとこの時代のレースカーは作りがシンプルという印象
ダッシュパネルではメーターパネルを作り直している。実際に走行したときのものかは不明だが、ブースト計のスパイ針が指す数値は約1.6kg/cm2。タコメーターは9200rpm付近を指している。水温は約85℃あたりとかなり低め。左側には油温計と燃圧計がある。イグニッション系は右側に付いている
トランスミッションはリーボックスカイラインのレストア時に取り外されてしまったので、現在はノーマルのものが載っているとのこと。完成時はレース用トランスミッションに戻される予定。センターコンソールにはキルスイッチやヒューズなど電装系がまとめられている
ペダルはノーマル。ヒールプレートとフットレストが追加される。シートはワンオフステーを用いて固定されている。ドア内張からはウィンドウ開閉用のロッドだけ出ている。元はハンドルがあったのかも知れない
燃料タンクはトランク下部に付いている。燃料注入、エア抜きを別々に行なう当時の給油システムだ
ホイールはレースで使っていたものが欠品していたので、いわゆる転がし用が装着されていた。本来はBBS製が付いていたとのこと。タイヤは横浜ゴム製。このサイズはまだ入手可能ということで、レストア時も横浜ゴム製のスリックタイヤを使う
特殊なアッパーマウントを使用していた。ショックのロッドが見えないくらい倒しているだけでなく、取り付け位置も若干前にずらすような形状だ。キャンバーは日本のマシンほど付けていなかった
リアサスは上下を逆さまにして付けてあった。R31はリアに太いタイヤが入らないので、径の太いケースを上にして奥行きを稼いだのだろうか。なお、太いタイヤが入らずトレッドも広げられないこの構造は、R32を作るときに反省点として挙げられたという。R31はセミトレ式なのでデフマウントも独特。ロアアームの取り付けは形状がノーマルとは変えてあった。なお、これはレギュレーションの範囲内とのこと。ドライブシャフトの後ろにあるのはデフクーラー用のポンプだ
右フェンダーにはキルスイッチが付く。フェンダーに穴を開ける取り付け法も独特。ミラーはビタローニ製が付いていた。マフラーは左サイド出し。資料写真ではアクセルOFF時に盛大に火を噴いているが、木賀代表いわく「その状況もしっかり再現する」とのこと
ボディは全塗装される予定。車体のステッカーも貼り直される。GTS-RのグループAレースカーは日本にもあるが、このクルマは日産カラーをまとうワークスカー。ルックスのよさはピカイチといえるクルマだ。スポンサーステッカーはサイドにBBS、リアバンパーにYOKOHAMAのみ貼ってある。このシンプルさもワークスカーならでは