インタビュー
F1を撤退したミシュランが、次の競争の場に選んだのがスーパーGT(GT500クラス)だった理由とは?
スーパーGT参戦タイヤメーカーインタビュー「ミシュラン」編
2026年8月20日 07:50
スーパーGTは、1994年の全日本GT選手権として本格的にシリーズが開始されて以来、屋根つきのレーシングカーが2つのクラス(GT500とGT300)に分かれて同じレースを戦う、異種格闘技のようなユニークさが受けて、日本で最も人気のレースとなっている。そのユニークさの1つは、どちらのクラスにも複数のタイヤメーカーが参戦して繰り広げられる、タイヤ性能の競争が挙げられる。
スーパーGTにタイヤを供給しているマニファクチャラーの中で、ミシュランは特別なポジションを占めている。他のマニファクチャラーがいずれも国内のメーカーであるのに対して、ミシュランはフランスのメーカーであることもそうだが、かつて2010年代にはGT500におけるブリヂストンの激闘は、スーパーGTの歴史に残る熱い競争の時期だったからだ。ミシュランは2023年シーズンをもってGT500へのタイヤ供給の休止を発表し、現在はカスタマーレーシングの一種としてGT300のチームにタイヤを供給する形でスーパーGTに参戦している。
そのミシュランのスーパーGTの活動について、日本ミシュランタイヤ モータースポーツ フェローの小田島広明氏に話を聞いてみた。
100年以上の歴史を持ち、まさにミシュランなくしてモータースポーツなし!
ミシュランの歴史はタイヤの歴史……そういってもいいぐらい自動車産業が欧州で興った時期からその歴史は続いている。ミシュランが創業したのは1889年、日本はまだ明治維新から22年が経過した明治22年で、大日本帝国憲法が制定され、立憲君主国としての歩みを始めた時期に相当する。創業当時のミシュランは子供用のゴムボールとブレーキパッドを製造するゴムメーカーだったが、1891年に自転車用タイヤを製造し、それを世の中に出荷開始した、それがミシュランタイヤの歴史の始まりだ。
そこから135年が経過しているが、今やミシュランは世界のタイヤメーカーのシェアでトップの一角を占めている。このシェアは統計や年度などで異なるためそういういい方になるが、年によってミシュランがトップだったり、ミシュランにとって永遠のライバルともいえる日本のブリヂストンがトップだったりするためこうした表現なるのだが、ミシュランがグローバルでタイヤメーカーの上位を占めているのは紛れもない事実だ。
日本法人となる日本ミシュランタイヤが設立されたのは1975年。そこからすでに半世紀の歴史を経ており、ミシュランのブランド名はすっかり日本でも定着したといえる。また、ミシュランという名前をタイヤでなく「ミシュランガイド」の名前から知ったという人も少なくないだろう。ミシュランガイドは、ミシュランが発行しているガイドブックで、その中でも覆面調査員がレストランのよさをチェックして星でその素晴らしさを表現するレストランのミシュランガイドはよく知られている。さらに、フランスの名称では「ビバンダム」、日本での名称は「ミシュランマン」となる同社のキャラクターも、子供も含めてよく知られている存在だ。
ミシュランのモータースポーツ活動の歴史は古い。同社の社史によれば、1895年にパリ・ボルドー自動車レースに参加し、往復1200kmの距離を完走。近代では、1970年代後半~1984年、そしてブリヂストンとの激闘が印象的だった2000年~2006年のF1参戦、ル・マン24時間レースを含むWECなどの耐久レース、ニュルブルクリンク24時間レースのような欧州のグラスルーツレースなど、モータースポーツのあるところミシュランありといえる長い歴史を誇っている。近年ではWEC/ル・マン24時間レースの上位カテゴリーになるLMH/LMDhにコントロールタイヤを供給するなどグローバルな活動も目立っている。
日本でのモータースポーツ活動は、1980年代中ごろからの全日本ロードレース選手権(2輪)に始まり、1990年代半ばのJTCC(全日本ツーリングカー選手権)への参戦。その後はGT300車両への供給に集中し、2002年にARTA with A'PEX 新田守男/高木真一組(BFGoodrichブランド)、2005年にはTEAM RECKLESS 佐々木 孝太/山野 哲也組、2007年にはapr 大嶋 和也/石浦 宏明組、2008年にはMOLA 星野一樹/安田裕信組と数々のチャンピオンを獲得するなど存在を見せ、2009年にGT500への供給を再開。2011年には46号車 S Road MOLA GT-R(柳田真孝/ロニー・クインタレッリ組)が初めてGT500のチャンピオンを獲得した。
このミシュランによるGT500のチャンピオン獲得は、前身となる全日本GT選手権を入れても、初めてブリヂストン以外のタイヤを装着した車両が獲得したチャンピオンだった。その後、2012年、2014年、2015年もチャンピオンを獲得し、その当時はブリヂストンとミシュランの激しいタイヤ戦争は後に語り草になっている。
しかし、惜しまれながらも2023年にGT500へのタイヤ供給を休止。現在はGT300の9号車 PACIFIC ウマ娘 NAC BMW(冨林勇佑/藤原優汰/久保凜太郎組、MI)、と20号車 シェイドレーシング RC F GT3(平中克幸/清水英志郎組、MI)にカスタマーレーシング的なスタンスでタイヤ供給を行なっている。なお、20号車は2025年から継続、9号車は今シーズンからの供給となっている。
ミシュランがサポートするGT300チーム
| カーナンバー | マシン | ドライバー |
|---|---|---|
| 9 | PACIFIC ウマ娘 NAC BMW | 冨林勇佑/藤原優汰/久保凜太郎 |
| 20 | シェイドレーシング RC F GT3 | 平中克幸/清水英志郎 |
2006年にF1から撤退したミシュラン本社が次の競争の場に選んだのが日本のスーパーGT/GT500だった
──開幕戦岡山、第2戦富士とこれまでのレースで、ミシュランとしてはどのような戦いをしてきたのか振り返ってほしい
小田島氏:結果にはつながっていないが、われわれとしては去年からタイヤの改善をしないといけないと感じてきたポイントは着実に進化させてきたと考えている。ただ一方で、9号車 PACIFIC ウマ娘 NAC BMWに関しては、今季から新しくユーザーになったことや、車両がBMWに切り替えたので、まずは車両に慣れることを優先していて、タイヤ側で車両に合わせこむまではいたっておらず、まだ車両との適合をいちから学び直している状況。
そのため、レース結果だけを見ると、まだタイヤ的にどうこういえることは少ないが、9号車に関しては初めてのBMWでQ1を突破したり、タイヤとして貢献できた部分もあったと考えている。
──2023年末をもってGT500への供給を休止して、今はGT300のユーザーチームへの供給となっているがGT500休止前とは活動は違ってきている?
小田島氏:GT500のときもさまざまな試行錯誤をしてきた。GT500ではタイヤ戦争があり、テストの規制を別にすれば開発規制はないので、自由にスペックを作って持ち込めていた。それをわれわれのパートナーだった日産の車両に装着して、どうすればより速く走らせられるかを協力して開発してきた。
それに対してGT300では、車両メーカーからすれば、カスタマーレーシングの範疇になる。個別に特別な開発をしていない車両なので、タイヤメーカー側で車両に合わせていくことが求められるカテゴリー。また、GT500のようにあれもこれも開発できる訳ではないので、同じような試行錯誤は続けているが試すやり方は変わっている。
基本的にはわれわれタイヤメーカーが持っている知見を、GT300で戦っているチームに提供する、それがGT300の活動の中心になる。その意味では欧州のNLS(ニュルブルクリンク耐久選手権、ニュルブルクリンク24時間レースを中心とした選手権)へのタイヤ供給に準じたような活動だと、われわれは認識している。
──今シーズンのGT300用のタイヤは昨年のタイヤからどう進化しているか?
小田島氏:基本的には正常進化だが、昨年よりもタイヤ負荷をうまくいなしつつ、安定して走れるようなスペックになっている。ただ、昨年とは車両が違うので、そのタイヤのスペックを上げれば直ぐに速く走れるというものでもなく、まだ若干の調整が必要になっているというのが今のポジション。先ほどGT300はある種のカスタマーレーシングだと説明したが、一般的なカスタマーレーシングとの大きな違いは、このGT300はタイヤ競争があることで、GT500に勝るとも劣らない競争が繰り広げられている。
──GT500休止後も、GT300への供給を続けている。この活動をフランス本社ではどのように評価しているのだろうか?
小田島氏:1999年に参戦を開始した当初から、われわれが変わらないスタンスであるのは、日本ではチャレンジャーの立場であるということ。その一方でGT300というカスタマーレーシングの枠内で競争があるのはスーパーGTだけかというと、前出のニュルブルクリンク24時間レースを含めたNLSにも、ブリヂストン、横浜ゴム、ダンロップ、ファルケン、TOYO TIRE、グッドイヤーなど多くのタイヤメーカーによる競争がある。ただ、このGT300の特徴とは、GT車両を使いながらもスプリントだということは大きな違い。WECや他のシリーズはいずれも耐久レースなので大きな違いだと考えている。
──今年はスーパーGTのタイヤマルチメイク最終年となっている。ミシュランのこれまでのスーパーGT活動で思い出に残っていることを教えてほしい
小田島氏:一番いい思い出は、やはり2011年に46号車 S Road MOLA GT-Rがチャンピオンを獲得したこと。われわれは2009年にGT500にカムバックしたが、2009年~2011年までのロードマップを引いて、2008年から国内テストを始めていた。
2008年に学んだことを2009年に実戦投入して少し得意なところを見つけて2010年に勝って、2011年にはチャンピオンを狙うというのがわれわれのロードマップだった。2011年にチャンピオンを獲れたのは、われわれにとってロードマップ通りにやりきったという意味でホッとしたというのが正直なところ。
というのも、その当時のミシュランがモータースポーツをやる1つの基準は、他社との競争、他社との比較ができるということを前面に打ち出していた。その当時2006年末をもってF1の活動が終了して、世界中のレースを見わたして競争ができるシリーズはどれかというと、日本のスーパーGTが視野に入ってきた。
スーパーGTのGT500では非常に激しい競争をしている、ではそこにミシュラングループの活動と位置づけて、グループの開発リソースをかなり高いレベルの優先順位をつけて利用できる、つまりミシュラン本社の活動として位置づけられたのが、GT500再参戦だった。もちろん日本ミシュランタイヤという日本のミシュランが全面にはでているが、その後ろではミシュラングループがF1をやっていたときに活用したリソースをそのまま引き継いで参戦するという体制だった。
それまでミシュランは、F1のような世界選手権などを参戦する場として考えていた訳だが、日本のタイヤメーカーという強力な競合がいるレースだからこそアジアのスーパーGTに参戦する。しかもそのシリーズでチャンピオンを獲得するのは簡単なことではないという認識をもって参戦するという形でGT500再参戦を決めた。その意味で、ちゃんと結果が出せたということはよかったし、フランスにも評価されたと思う。
──逆にあまり好ましくない思い出はありますか?
小田島氏:GT500へは1999年から参戦していたが、2003年に一度活動を休止している。GT3OOの方は継続していたが、GT500の活動は一度ストップしている。もともとJTCC(全日本ツーリングカー選手権)に参戦していたわれわれのパートナーが、JTCC終了後にわれわれのタイヤをスーパー GTで使おうということで始まったプロジェクトだった。初年度にチームタイトルは獲れたが、ドライバー選手権の方はタイトルに届かなかったのが残念だった。
その結果、当時われわれのタイヤを使っているチームにとって十分機能していなかったと評価され、残念ながら撤退せざるを得なくなり休止となった。ただ、これにもいい面もあって、実はフランス本社にGT500の競争はレベルはかなり高いと認識してもらうことにつながり、片手間では勝てないと理解して、2009年からの復帰後の本社の取り組みにいい影響を与えている。
──スーパーGTへの参戦を通じて、一番技術がブレークスルーした年や時期はある?
小田島氏:何回か階段はあるが、GT500に再参戦し始めたときに、新しい開発アプローチを導入した。また、2010年代の前半にニスモと組んでチャンピオンを獲得した時期あたりから、シミュレーション技術が大きく進化した。タイヤのデザインがシミュレーションでできるようになり、それをニスモ側の車両も一緒になってシミュレーションできるようになったこと大きかった。
これはチームとしてのニスモではなく、カーコンストラクターとしてのニスモと協業できたことが大きかった。先方にとっても、タイヤはミシュランがいい仕事をしていて、関係にバリューがあると感じてもらえたと考えている。具体的にはわれわれのタイヤモデルをニスモにわたして、それを車両に反映してシミュレーションの中を走らせる。最終的にはそこまでできるようになっていた。
──今シーズンの目標を教えてほしい。
小田島氏:比較が単純ではなく難しいのだが、やはり同じ車両を使った他のタイヤメーカーを装着しているチームよりも前にいってほしいというのがわれわれタイヤメーカーとしての責任(筆者注:今シーズンでいうと20号車 シェイドレーシング RC F GT3と同じLEXUS RC F GT3を、96号車が投入していて、タイヤはブリヂストンを装着している)だが、ユーザーチームが選手権で少しでも上位へいけることを手伝うことがわれわれの役割だと考えている。
ミシュランマンは引き続きポルシェのワンメイクレースで見られるかも
インタビュー後にGTAから発表された来期のタイヤに関してミシュランは、GT500とGT300のどちらのコントロールタイヤメーカーにも選定されていないため、1999年以来続いてきたミシュランのスーパーGTの活動は今シーズンをもって終了することになる。
小田島氏がいうとおり、2010年代にミシュランとブリヂストンがGT500を舞台に激しいタイヤ戦争を行なっていたことは、スーパー GTの歴史の中で最も重要なシーンの1つだといっても過言ではない。
なお、ミシュランがスーパーGTの舞台から去ることで、サーキットではおなじみの顔となっているミシュランマン(仏名:ビバンダム)にもう会えないのではないかという向きもあると思うが、小田島氏によれば「ポルシェが開催しているPCCJ(ポルシェ・カレラ・カップ・ジャパン)、PSCJ(ポルシェ・スプリント・チャレンジ・ジャパン)、今年からオフィシャルタイヤサプライヤーを努めるv.Granz(ヴイ・グランツ)には引き続きタイヤ供給を行なっていく」とのことで、ミシュランがタイヤ供給をおこなっているレースでは引き続きミシュランマンがサーキットに登場する可能性がある。
もちろん来年も両シリーズが開催されるか、ミシュランがタイヤを供給するのかなどは公式発表を待つ必要があるが、ミシュランマンロスに陥りそうな読者は、ぜひそうしたワンメイクレースを訪れてみてはいかがだろう。












