尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第3話】単行本の相談

F1のヨーロッパラウンドでマシンや機材を陸送する大型トラック

2021年シーズン序盤はヨーロッパに約4か月とどまりながら取材を続けることに

 家族の同意を得て、2021年シーズンは第2戦以降も取材を続けることにした。

 2戦目以降はしばらくヨーロッパ内でのレースが続く。F1ではこの期間をヨーロッパラウンドと呼ぶ。全チームのファクトリーがヨーロッパにあるため、このヨーロッパラウンドはレース機材を飛行機ではなく、トランスポーターと呼ばれる大型のトラックで陸送する。

 私はコロナ禍で取材を続けるために、今度は夏休みまでの約4か月帰国せずにヨーロッパにとどまることにした。荷物は4か月先を見越して、いつもより多くなった。通常なら、次に取材に行く国に合わせて衣服や取材道具をカバンに入れるのだが、今回は夏休みまでに訪れる国のすべてに合うアダプターが必要になる。この4か月間に取材に行く国はイタリア、ポルトガル、スペイン、モナコ、アゼルバイジャン、オーストリア、イギリス、ハンガリーの8か国。これらすべての国の気候に合わせるだけでなく、4か月後には夏になるため、春物から夏物までの衣服をスーツケースに詰め込んだ。

PCR検査を受けるための専用アプリが用意され5日おきに検査を行なっていた

 さらに取材道具もいつもと違う準備が必要だった。コロナ禍でFIA(国際自動車連盟)はグランプリ期間中は5日おきにサーキット内でPCR検査を実施。その検査を受けるためには専用のアプリをインストールしなければならなかった。さらに国によっては出入国の際にも各国専用のアプリをインストールしなければならない。そのアプリを起動させるためには、海外でも常時通信できる環境が必要で、スマートフォンをSIMフリーにして、それぞれの国で使用できるSIMを準備しなければならなかった。

 またプレシーズンテストと開幕戦で使用したICレコーダーを装着する棒も、開幕戦後に帰国した際に100円均一で購入した伸縮タイプに改良したスペック3に進化させた。未使用の取材用ノートも数冊、カバンに入れると、スーツケースはもうパンパン状態。いつもなら、何個か入れていたカップ麺や日本のお菓子などはまったく入る余地はなかった。というか、カップ麺やお菓子を入れることを忘れるぐらい取材することしか考えていなかった。

 というのも、これから続ける取材は単にレースを追いかけるだけでなく、別の取材も変更して行なうことにしていたからだ。それはホンダのラストイヤーを取材し、単行本に記すというものだ。

 実は、この構想は2019年の後半あたりから頭の中にあった。2015年にF1に復帰したホンダを取材していて、なんとなく「いつF1から撤退しても不思議はない」と感じていたからだ。そこで、筆者は2019年のブラジルGPの際に、当時ホンダF1のマネージングディレクターを務めていた山本雅史さんに、こんなお願いをしていた。

「もし、この先、ホンダがF1を撤退するようなことになったら、そのときはそのホンダのラストイヤーを記した単行本を執筆しようと思っていますので、取材にご協力ください」

 同時に1冊の本を手渡した。その本のタイトルは「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)。2009年を最後にF1を撤退したトヨタのF1活動をまとめて、私が2010年の春に上梓した単行本だ。

 その11か月後の2020年10月に、ホンダは2021年限りでF1参戦を終了することを発表。コロナ禍で取材を継続する私にとって、この機会を逃す手はなかった。

 私にとって、ホンダは特別な存在だった。まず、ホンダが初めてF1のレースに出走した1964年8月2日は、私の誕生日だということ。次に私がフリーランスになってF1の世界に飛び込むことを決意した1992年に、ホンダはF1を撤退。私がF1の取材を開始した1993年にホンダはいなかった。当時、F1の取材をスタートさせた私に対して、周囲からは「ホンダが撤退したのに、F1に来た変わったやつ」だと言われたものだった。ホンダがF1に参戦していた1992年まで大勢いた日本メディアが一気に去っていたからだ。

 それでも、私はいつかホンダがF1に復帰すると信じて、1993年以降も取材を続けた。その思いは間違っていなかった。ホンダはその後、参戦と撤退を繰り返した。そのホンダが、いま再びF1を去ろうとしている。57歳になろうとしていた私にとって、もしかしたらこれがホンダのF1活動を取材する最後の機会になるかもしれない。

 そう思った私は、再び山本さんにコンタクトをとった。

F1関係者との適切な距離を確保しながら取材を行なうため、フェンスで囲われた通称「ミックスゾーン」がこちら

 場所は、第2戦エミリア・ロマーニャGPが行なわれたイモラ・サーキット。当時はまだF1のパドックはバブル方式がとられていたため、メディアがチーム関係者と直接会って話をできるのは、フェンスで囲われたミックスゾーンだけだった。こういう話はメールや電話ではできないと判断した私は、失礼を承知で、山本さんに取材と称してミックスゾーンまでご足労いただき、単行本を書きたいという旨を打ち明けることにした。

 山本さんは2019年のブラジルGPのことを覚えていた。そして、こう言ってくれた。

「会社や関係者にいくつか確認しなければならないけれど、できる限り協力します」

単行本の製作に快諾してくれた当時ホンダF1のマネージングディレクターを務めていた山本雅史さん

 イモラは1994年にアイルトン・セナ選手がレース中の事故で天に召された地。ホンダはセナ選手が愛したエンジンメーカーであり、セナ選手のタイトルはいずれもホンダとともに手にしたものだった。山本さんと別れた私はセナ選手の銅像が立っているタンブレロコーナーまで行き銅像に向かって、単行本を書くことを報告した。

イモラ・サーキットのタンブレロコーナー近くには、故アイルトン・セナ選手の銅像があり、毎年多くのファンが献花に訪れている

 そのイモラで、ホンダのパワーユニットを搭載するマックス・フェルスタッペン(レッドブル)選手が、シーズン初優勝を飾った。単行本の取材がいよいよスタートしようとしていた。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。