尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第4話】アンドラ生活

ピレネー山脈の真ん中に位置するアンドラ公国

シェンゲン協定という滞在日数に関するルールへの対応

 2021年のF1シーズンでは、イタリア・イモラでのエミリア・ロマーニャGPを終えた後、私は帰国の途にはつかず、熱田カメラマンと飛行機でスペインへ飛んだ。3戦目の舞台はポルトガルなのに、わざわざスペインへ向かったのには理由がある。国境規則であるシェンゲン協定の「あらゆる180日間における最長90日」というルールを守るためだ。

 シェンゲン協定とは、加盟しているヨーロッパの国家間において、出入国検査(国境検査)なしで国境を越えることを許可する協定のこと。シェンゲン協定加盟国は26か国(2021年時点)で、これらの国では180日間の中で90日までしか滞在できない。

 バーレーンGPの後、私がシェンゲン協定加盟国であるイタリアに最初に足を踏み入れたのは4月14日。もしも、その後、イタリアからポルトガルへ飛び、その後もグランプリが開催される国々を転々とすると、夏休み前までにあっという間に90日に達してしまう。そこで熱田カメラマンが知り合いのジャーナリストから聞いた技が、グランプリの取材を行なわない期間はシェンゲン協定加盟国に属していないアンドラに退避するという方法だ。

アンドラの中心を流れる川にかかる橋

 アンドラとは、スペインとフランスの国境にまたがるピレネー山脈の真ん中に位置する公国で、ヨーロッパの中にありながらシェンゲン協定に加盟していない。そういう国はほかにもモナコやイギリスなどがあるが、モナコは滞在費が高く、イギリスはヨーロッパラウンドを移動するにはやや遠かった。その点アンドラは、スペイン、フランス、モナコはもちろんポルトガルへも自動車で移動できる。ちょうどこの4戦がエミリア・ロマーニャGPの後に予定されていたため、アンドラはヨーロッパに滞在しながら数か月間F1を取材するにはもってこいの場所だった。

 アンドラの存在は知っていたものの、訪れたことはなかった。エミリア・ロマーニャGPの後、昼過ぎにミラノからバルセロナへ飛び、空港でレンタカーを借りて、夕方にはアンドラに予約していたホテルにチェックインしていた。

宿泊したアンドラの街

 かつてはタックス・ヘイブンだったアンドラは、免税ショッピング天国として、多くの観光客で賑わっていたと言うが、法人税や非居住者への直接税などさまざまな税金が導入された2012年以降は、ピレネーの大自然を生かした観光天国としてヨーロッパ各国から人々が訪れている。

 だが、私がアンドラを訪れた2021年はコロナ禍まっただ中ということもあり、街は閑散としていた。ホテルにチェックインした後、夕食をとろうと街に繰り出すも、多くのレストランがシャッターを下ろしていた。これから数か月、グランプリが終了した後、ここに帰ってきて生活しなければならない。第2のわが家としては、少々物足りない。仙台から東京に出てきたときも、約30年間グランプリを取材してきた中でも、一度もホームシックなんてものを経験しなかった私が、アンドラに着いた夜、57歳にして初めて「これがホームシックか?」と不安に感じたのを覚えている。

 しかし、そのとき私にはホームシックに悩んでいる暇はなかった。というのも、コロナ禍で日本からF1を取材に来ているジャーナリストは私ひとりだったからだ。そのため、この年はメディアからいつもより多くの取材依頼がフリーランスの私に殺到した。通常であれば、喜んで引き受けたいのだが、コロナ禍での取材はこれまでとは異なって、取材先へ行くまでに、いままでにはなかったさまざまな事前準備が必要だった。その1つが、PCR検査での陰性証明の発行だ。この時期は飛行機での移動の際はチェックイン時に必須だったが、自動車で国境を越える場合も必要になると言われていたため、念のために携帯しておくことにした。

 コロナ禍ではPCR検査の陰性証明だけでなく、それ以外にもそれぞれの国へ入国する際に必要な書類や申請も必要だったため、事前にチェックしておかなければならなかった。それらの書類はすべて英語やそれぞれの国の母国語しか表記されていないため、F1のチームリリースを読むよりも何倍もの時間がかかった。しかも、その情報がいつ変更されるかも分からない状況だったため、定期的にインターネットで最新の情報をチェックしなければならなかった。パソコンを開いても原稿を一行も書かずに、ネットばかりチェックして閉じた日もあった。

英語のF1のチームリリースを読むよりも、何倍も読むのに時間が必要だった入国書類

 だから、出版社や新聞社からお願いされた原稿も失礼は承知でいくつか断った。フリーランスになって、そんなことをしたのは初めてだったが、あのときは現場での取材活動を最優先に考えていた。どうしても断れない原稿も、事情を説明して文字量を調整してもらった。

 あのときの私は日本から遠く離れて寂しいという気持ちよりも、次にレースが行なわれる国に行けるのだろうかという不安な気持ちしかなかった。そんな中で、単行本の構成を徐々に構築していった。そのときだけは、雑務から解放され、やりたいことだけに集中できた至福の時間だった。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。