尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話
【第8話】救世主、現る
2023年7月21日 00:00
国によって異なる新型コロナの対応に追われる日々
新型コロナによる渡航制限が世界各国で実施されていた2021年は、海外を渡り歩いている日本人はほとんどいなかった。各国の出入国の制限も刻々と変化していた。
オーストリアGPで取材継続の危機に直面した私と熱田カメラマンは、とりあえず次のグランプリ開催地のイギリスへ飛ぶことにした。この時期のイギリスがヨーロッパ各国から受け入れを拒絶されていたことは、ロンドンとヨーロッパ各国を結ぶ直行便が軒並みキャンセルされていたことでも分かる。私たちもオーストリアからロンドンまでと、ロンドンからブダペストまでの片道航空券を買っていたが、2便ともキャンセルとなり、ウィーンからフィンランドのヘルシンキ経由でロンドンを目指すことになった。
問題はその後だ。イギリスからやってくる日本人を受け入れ、かつ1週間後にハンガリーへ入国可能なヨーロッパの国を、イギリス滞在中に探し出さなければならなかった。さらに、その国が日本政府から入国に際して制限を受けていない国であることも重要だった。ここで間違った選択をして移動してしまうと、その後の取材活動に大きな影響をきたす可能性があるため、インターネットの情報だけでなく、各国にある日本の領事館や旅行代理店にも情報を確認してもらい、慎重に計画を立てた。
オーストリアGPからイギリスGPまでは2週間のインターバルがあり、そのうち10日間は宿泊施設で自主隔離しなければならなかったので、私たちには考える時間はあった。オーストリアをあきらめた私たちが次に考えたのがドイツだった。しかし、フランクフルトにある日本領事館のスタッフに電話で確認すると「オーストリア同様、ドイツもイギリスからの特別な渡航証を持たない日本人を受け入れてはいない」という回答だった。
そこで、私はそのスタッフにこちらの事情をすべて話して、イギリスGP直後に日本人の渡航者を受け入れ、かつハンガリーと日本へ制限なしに入国できる国がヨーロッパにないかを正直に尋ねてみた。すると、そのスタッフは「イギリスからの入国の際に自主隔離が5日間ありますが、その後、ハンガリーへ行くことも、その後日本へも制限なしで入国できる国があります」と教えてくれた。その国はイタリアだった。
イギリスからイタリアへの入国の際に5日間だけホテルで自主隔離すれば、その後ハンガリーへ渡航するもでき、かつ日本へも隔離なしで帰国できる。すぐに旅行代理店へ7月19日発ミラノ行きの航空券の予約を入れ、その1週間後にミラノからブダペストへの航空券も手配してもらった。
これでとりあえず、ハンガリーGPまで取材活動を続けられるうえに、日本への帰国後にワクチンも接種できる見通しがたった。すでにイギリスで10日間の自主隔離を経験している私たちには、イタリアでの5日間の自主隔離はもう怖くはなかった。
イギリスでの自主隔離を終えた私は熱田カメラマンと再会し、今後のスケジュールを確認。ところが、ここで私たちにもう1つの難題が浮上してきた。それは日本へ帰国した際に提出するPCR検査の陰性証明書だった。ワクチン接種証明書がまだ一般的ではなかった2021年は、どの国も入国に際してPCR検査の陰性証明書が必要だった。日本も同様だったが、その書式が日本だけ厳格で、厚生労働省が用意したフォーマットでなければならなかったのである。PCR検査をやった方なら分かると思うが、陰性証明書というのは検査会社のフォーマットで勝手に出されるもので、こちらが用意した用紙に書き込むなんてことは受け付けていない。日本国内でも無理なことを海外で外国人相手にやってもできないことは自明の理。
そのため、厚生労働省は必要な条件が記入されていれば、必ずしも厚生労働省が用意したフォーマットでなくてもよいとホームページに記していた。ところが、日本行きの飛行機を運行している航空会社がそのことを理解していないケースが多く、チェックインのときに「指定された書式ではない」といって搭乗を拒否するケースが頻発していた。
そんな私たちに手を差し伸べてくれたのが、ホンダの山本雅史さんだった。実はハンガリーGPを終えた後に日本に帰国するのは私だけでなく、ホンダのスタッフも数名帰国することになっていた。F1は夏休み期間中に2週間仕事をしてはいけない期間が設けられていたため、日本から長期出張でヨーロッパに来ていたスタッフにとっては里帰りするちょうどいい機会だった。そのホンダのスタッフも私たちと同様にPCR検査の陰性証明が必要だった。ホンダには会社として社員が安心して移動できるよう旅行代理店と提携してさまざまなサポートを受けている。その旅行代理店によれば、フランクフルト空港に日本書式に対応したPCR検査場があるという。さっそく予約を入れ、8月2日にフランクフルト空港でPCR検査を受ける手はずを整えた。
こうして、オーストリアから抱いていた絶望感は、イギリスGP期間中に徐々に薄れていった。その絶望感を歓喜に変えたてくれたのが、国際自動車連盟(FIA)からの1通の書類だった。なんと、FIAのメディア担当スタッフが私たち2人のためにハンガリーGP主催者から特別に招待状を早く取り寄せ、イギリスGPの土曜日に手渡してくれたのである。これで晴れて私たち2人はイギリスGPの翌日にイギリスを発ってハンガリーに入国できることになった。すでにイタリア経由での飛行機を発券していたが、旅行代理店に連絡して、ハンガリーへの直行便に変更。変更手数料は高くついたが、隔離なしでハンガリーへ行けるなら安いものだった。
オーストリアGPではホンダが勝ったのに絶望感を味わったが、1週間後のイギリスではフェルスタッペンがリタイアに終わったのに、私の心の中にあった絶望感は消えていた。それは取材が継続できるからだけでなく、ホンダやFIAをはじめ多くの関係者が私たち2人のために動いてくれたことがうれしかったからだった。
いざ、ハンガリー。そして日本へ。2021年シーズンはようやく折り返し点を通過した。