尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第9話】異なる最後の1年

2009年当時トヨタF1のチーム代表の山科忠氏

トヨタとホンダのF1撤退は何が違うのか

 イギリスからハンガリーへ移動した私は、さっそく単行本の取材活動を継続した。

 私は2010年に、2009年限りでF1を撤退したトヨタのF1活動を記した「トヨタF1 最後の一年」という単行本を書いていたから、今回は2度目の「最後の一年」となる。しかし、トヨタのときと今回のホンダの本では取材も構成も書くアプローチもまったく異なっていた。

 トヨタのときは、撤退発表自体がシーズン最終戦が終了した後の11月4日だった。最終戦のアブダビGPの決勝レースが11月1日だったから、シーズン終了3日後のことだった。

 実はこのことはレース前にある方を通して知らされていた。でも、それが真実かどうか、私はトヨタのスタッフに確認することはできなかった。しかし、レーススタート前のグリッドでトヨタのスタッフが私を見つけると積極的に撮影に応じてくれて、その笑顔の瞳の中に光るものを見たとき、知らされた事実が間違っていなかったと悟った。だから、あの最終戦では私はトヨタだけをひたすら追い続けた。

 そんな中、小林可夢偉選手が素晴らしい走りで6位入賞した。レース後、笑顔でチームスタッフの元に帰ってきた可夢偉選手。そのとき、可夢偉選手は「これで来年のシートは間違いない」と喜んでいたというが、すでにこの時点でトヨタはF1から撤退することを決定していた。だから、可夢偉選手が笑顔なのに対して、トヨタのスタッフが涙ぐむ者もいた。でも、その意味を私は可夢偉選手に教えることはできなかった。

2009年当時の小林可夢偉選手の走り

 撤退が発表された後、トヨタに取材を申請し、ファクトリーがあるドイツ・ケルンへ飛び、約1週間、関係者に話を聞き、取材をした。取材中、声を詰まらせ、涙を流したスタッフもいた。あれほど心を苦しめながら取材したことはそれまでなかったし、それからもない。

 それでも私は取材をやめたり、執筆する手を止めたりしようとは思わなかった。なぜなら、あのときトヨタのスタッフはやり残したことを私に代弁してほしかったに違いないと感じたからだ。だから、涙ながらに語るスタッフに、私は質問を続けたし、ICレコーダーのスイッチを切ることもなかった。そうやって、「トヨタF1 最後の一年」は作られた。

 あれから12年。ホンダのF1撤退は、トヨタとは状況が大きく異なっていた。ホンダはすでに撤退することが発表された後にラストイヤーを迎えた。しかも、トヨタは1勝もできずにF1を去ったのに対して、今回のホンダはすでに勝利を挙げているだけでなく、チャンピオンシップ争いを演じている。だから、単行本のテーマもトヨタのときは「どのようにして撤退に至ったのか」、そして「その会社が下した決定には現場スタッフはどんな思いで最終戦まで戦い続けたのか」だったが、ホンダの単行本で私は撤退することをメインのテーマにしないことにした。

2009年当時の小林可夢偉選手

 もちろん、ホンダのスタッフもF1参戦終了という本社の決定を喜んで受け入れている者は1人もいない。だが、トヨタのスタッフが本社の決定にあらがって、最後まで参戦継続を模索したのに対して、ホンダは決定自体は静かに受け入れていたように思う。ただし、ホンダには1年間、戦う時間が残されていた。それがトヨタと大きな違いで、ホンダは残された1年に自分たちの情熱を注げていた。それが、ホンダがこの年に投入した新骨格のパワーユニットであり、新スペックのバッテリだった。撤退に悔いはないといったら嘘になるが、ホンダはやり切って撤退しようとしていた。だから、今回の単行本ではいかにしてホンダがラストイヤーに、王者メルセデスとチャンピオンシップを争うまでになったのかを描くことにした。

 そして、トヨタのときと同じようにホンダのスタッフも取材に協力的だった。それは、外からだけでは見えない努力をしてきたことを、メディアを通じて一般の方たちに少しでも知ってもらいたかったからだろう。

 もちろん、トヨタのスタッフも、そしてホンダのスタッフも自分で執筆し、本を出すことだってできる。その代表的なのが自叙伝だ。しかし、文章というのは、執筆者にしか書けない内容であればあるほど、主観的な内容となる。文章というのは主観的になればなるほど、他人が読むと共感を得にくくなる。「本人はそう言っているが、本当かどうか」という疑問が読者に生じるわけだ。そこで必要となるのが客観性なのだが、主観的事実を客観的に伝えるということを1人で行なうのは非常に難しい。なぜなら、主観と客観は相反する行為だからだ。

スタート直後に赤旗が出て、ピットレーンを通過する各マシン

 そこで必要となるのがメディアだと私は考えている。ホンダのスタッフにしか知り得ない事実(主観的事実)を私が客観的に整理したうえで、それを伝えることにより、本人が語った主観的な事実を自分の中にある記憶に当てはめて共感できる。それが感動だ。

 ハンガリーに到着してから4日後、1年延期されていた東京オリンピックが開幕した。多くの視聴者が日本代表から感動をもらった。F1において、日本のファンの中で、もっとも長く日本代表を務めていたのは間違いなくホンダだ。そのホンダのスタッフたちが語ってくれた事実を、いかに私がつなぎ合わせるのか。それは重圧でもあったが、ジャーナリスト冥利に尽きる光栄な仕事だった。しかも、その大役をトヨタだけでなくホンダでも任されるという幸せの作業でもあった。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。