尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第13話】2021年のF1日本GPの中止

2021年シーズンの日本GP中止をF1ドライバーの中でもっとも残念がっていたのは角田裕毅選手だろう

 2021年の夏休みがもうすぐ終わろうとしていた8月18日、日本人にとって悲しいニュースが飛び込んできた。「2021年の日本GP、中止」の報だ。

 日本GPは新型コロナが世界的に感染拡大した2020年にも中止となったが、2020年に中止となっていた東京オリンピックが翌年の2021年に原則、無観客ながら開催されたため、F1の日本GPも2021年は開催されるのではないかという期待が日本のファンの間では大いにあった。その期待に応えようと、F1と日本GP主催者であるモビリティランド(現ホンダ・モビリティランド)もさまざまな努力を行なっていた。

 当初、F1とモビリティランドは日本のコロナの状況を考慮して、完全バブル方式で日本GPを鈴鹿サーキットで行なおうとしていた。F1はすでに2020年にコロナ禍でバブル方式を導入して17戦を実施した経験があった。そのシステムは2021年にヨーロッパラウンドで若干緩和されていたが、日本GP開催を実現するために、F1側が再び完全バブル方式を復活させることを同意していた。

 バブル方式は東京オリンピックでも採用されていたが、オリンピックはF1よりも選手や関係者の数が多いためか、実際には競技を終えた選手が街中に繰り出すなど、それほど強力なバブル方式ではなかったと聞く。

 それに比べて、F1が日本GPで採用しようとしていた完全バブル方式は、F1関係者を観客から隔離するだけでなく、日本の一般の人々とも接触しないというかなり強力なバブル方式だった。関係者に聞いた話では、ロシアGP後に日本GPへ参加するレース関係者は全員F1側が用意したチャーター機に乗り、大阪と中部の2か所の空港から入国することにしていたという。

 その後、全員を指定された鈴鹿市内のいくつかのホテルまで大型バスで移送し、チェックイン。バスでの移動は空港からホテルまでだけでなく、ホテルとサーキットもすべてバスで輸送することになっていた。つまり、レース関係者はホテルとサーキット以外に立ち寄ることができないという徹底ぶりだった。

インタビューに応える角田裕毅選手

 現在でもマスクの着用率が高い日本人にとっては、このバブル方式はそれほど違和感がないかもしれないが、すでにマスクの着用義務がなくなっていたヨーロッパで生活しているF1関係者にとっては、サーキット以外はホテルに缶詰となるこの完全バブル方式は、かなり厳しい自主規制だった。

 そのためレース関係者からモビリティランド側には、「せめてサーキット内にコンビニを作ってほしい」とか、「日本食が食べられるお店を臨時に設置してほしい」などという陳情があったと聞く。

 実はこの完全バブル方式はレース関係者だけでなく、メディアも含まれていた。すでに夏休み前にF1側から「日本GPへ取材に行く予定があるメディアは事前に申請してほしい」という連絡があり、筆者も申請していた。日本GPを取材するメディアもチャーター機に乗ってホテルとサーキットをバスで移動することになっていた。そのため、メディアセンターも海外から来たメディアと日本国内から来たメディアで分ける予定だったという。つまり、筆者は日本に帰国してもレース前に自宅へ帰ることはできなかった。

 それでも、筆者はそれを受け入れていたし、F1側も納得していた。そこまでして、日本GPを開催させようとしていた理由は、多くのレース関係者が鈴鹿でのF1を楽しみにしていたからだ。F1関係者が鈴鹿を愛する気持ちは、日本人が思っているよりももっと強いということをこのとき初めて肌で知った。それほど、鈴鹿はF1関係者に愛されていたし、同時に、F1関係者たちは、その大好きな日本をF1の関係者が入国することで感染拡大させたくないという思いやる気持ちも強かった。

 東京オリンピックが開催され、それ以上の強力なバブル方式で臨もうとしていた日本GP。しかしF1の取材を春から夏にかけて海外で行なっていた筆者には、不安要素が1つあった。それは査証(ビザ)の発給だ。当時、海外からの入国者に対して、日本政府は行動の制限を施していた。行動制限なしにレース関係者が仕事するためには、日本政府から特別な許可が必要だった。その交渉が大変だった。

 F1側は渡航へ向けての準備と、もし渡航できずに中止になった場合の代替え案を実施する時間的な関係から、日本GPを開催するかどうかのタイムリミットを8月10日に設定していた。しかし、日本政府から8月10日になっても、なかなか返事が来なかった。そこで断念してもよかったが、F1のCEOを務めるステファノ・ドメニカリ氏が、日本政府と交渉している主催者モビリティランドに対して、「あと1週間なら待てる」と、何とかして日本GPを開催させようと努力した。

 モビリティランドもその期待に応えて、お盆休みを返上して8月17日まで粘り強く交渉を行なったという。そして、お盆休み明けの16日にすべての書類を提出したものの、芳しい答えは返ってこなかった。そこで、モビリティランドとF1側が17日に緊急会議を行ない、断念を決断。18日に中止の発表となった。

アルファタウリ・ホンダからF1へ参戦中の角田裕毅選手

 その報をF1ドライバーの中でもっとも残念がっていたのは、日本人ドライバーの角田裕毅選手だった。

 角田選手は当時、「鈴鹿を楽しみにしていた日本のファンにとって、日本GPが中止になったことはもちろん残念で、僕も楽しみにしていたので、少し悲しい。ただ、正直予想はしていたし、発表される1日か2日前くらいに把握はしていました。だから、ある程度心の準備はできていたし、オリンピックの状況を見て、そうなるだろうなと思っていました。オリンピック開催時と状況は大きく変わっていないのに、F1が開催できなかったことには、正直クエスチョンマークもありますが、皆さんの健康が最優先なので、しょうがないと思います。楽しみにしていたので残念ですが、その分ヨーロッパでのレースだったり違う国のレースで自分がよい走りをして、その間にもっともっと強くなって来年戻って来られるように頑張っていきたい」と語ってくれた。

 鈴鹿のレーシングスクールで腕を磨き、その後世界へ羽ばたいていった角田選手にとって、鈴鹿はレーシングドライバーとしての故郷だ。2014年の小林可夢偉選手以来、7年ぶりの日本人ドライバーとなった角田選手は、2021年シーズンはデビュー戦から日の丸が入ったキャップをずっとかぶっていた。その帽子をかぶって凱旋することを誰よりも楽しみにしていたに違いない。

 もちろん日本人ドライバーだけではない。鈴鹿がホームコースのホンダの関係者にとっても、日本GPが2021年に開催されないという決定は大きな衝撃だった。当時、ホンダF1のテクニカルディレクターを務めていた田辺豊治氏は、「2020年に新型コロナが感染拡大し、その後鈴鹿が中止になって、この1年半で私たちはいろんなことを学び、2020年は17戦、2021年も夏休み前まで11戦やってきただけに、非常に残念な気持ちでいっぱいです。鈴鹿で開催される日本GPは、われわれホンダにとっては母国レースという以上に特別なグランプリでもありました。2021年の日本GPは、ホンダがパワーユニットマニュファクチャラーとして臨む最後の年だからです。日本のファンの皆さま、そして日頃から応援してくれているファンの方々、またF1プロジェクトにご協力いただいてる関連メーカーさんの前で、最後にレースをやりたかった。開催に向けて努力されたF1関係者、日本のモビリティランドおよびその関係者の皆さまには感謝しています。鈴鹿での日本GPはこれからも続くので、この先もF1を楽しみに応援していただければと思います」と、ホンダの現場スタッフを代表して語ってくれた。

2021年当時、ホンダF1のテクニカルディレクターを務めていた田辺豊治氏

 そして、日本GP中止の決定は、ホンダF1の最後の1年をテーマに取材してきた筆者にとっても、単行本のコンテンツの予定を変更しなければならない事態となった。それでも、この決定は、いかに鈴鹿が愛されていたかを再認識するいい機会となった。そして、その事実は、それから1か月半後に明らかになる。単行本のコンテンツは変更されたが、鈴鹿を愛する者たちを取材する点では、何も変わりはなかった。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。