尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第14話】最後のロシア取材

ロシアのアドラーにあるサーキット近くの住宅地内にあったカラオケ屋

 F1の取材を約30年しているが、F1が開催されていなかったら、訪れることがないだろうなと思う国がいくつかある。その1つが「ロシア」だ。

 筆者が初めてロシアを訪問したのは、F1の取材を開始した1993年のこと。ただし、それはロシア訪問が目的ではなく、ヨーロッパラウンドの取材の飛行機代を節約するために、ロシアの国営航空会社のアエロフロート・ロシア航空のチケットを購入し、トランジットで途中モスクワに降り立ったのが最初だった。当時のアエロフロート・ロシア航空は日本から同日でヨーロッパへの乗り換えができず、モスクワで1泊しなければならなかったからだ。

 空港の施設内にとどまることは許されず、翌日に乗り継ぐ乗客は専用のバスでモスクワ市内の宿舎に強制送還され、パスポートを取り上げられて、相部屋で一夜を過ごすという、今では考えられないシステムだった。

ロシアの街中で見かけた放置車両

 その後、アエロフロート・ロシア航空を利用することもなく、しばらくロシアへも行くことはなかったが、F1のカレンダーにロシアが加わった2014年に31年ぶりにロシアの土を踏んだ。今度はロシアGP取材ということで、査証(ビザ)を手にしていたこともあり、ロシア入国後はパスポートを取り上げられることはなく、ロシアの街を自由に移動できた。

 ただし、ロシアGPが開催されていた場所は、ソチの中心部から何十kmも離れた2014年の冬季オリンピックの舞台となったアドラーという街に作られたソチ・オリンピックパークで、サーキットの周辺にはほとんど何もなく、当初F1関係者が宿泊したのはオリンピック用に作られた選手村の宿泊施設だった。

 その後、開催を重ねるごとにサーキットの周辺にいくつかのホテルが建設され、民家や商業施設も増えた。それにともなって、メディアたちも選手村を出て、民間の宿泊施設に移った。

F1関連のお土産も売られていた

 単行本の取材をしていた2021年は、イタリアGPの1週間後に開催される予定となっていた。コロナ禍という事情を考えて、私たち日本人メディアはイタリアGPの後、帰国せずにイタリアからターキッシュ・エアラインズでイスタンブール経由でソチへ入ることにした。ロシア渡航に必要な査証を取得するために、イタリアGP期間中にミラノにあるロシアの領事館へ足を運んだりもした。

 ロシアと聞くと、筆者同様、年配の方は旧ソビエト連邦時代を想像し、どこか冷たい国を連想するかもしれないが、2010年代に入ってからのロシアは、多くの西側諸国の企業も進出していて、筆者が2019年に宿泊したのは、いわゆる個人でいくつかマンションを所有していた民泊業者だった。

 2021年に予約した宿も民泊。キッチン付きのマンションだったので、自炊するために近所のスーパーマーケットに買い出しに行ったものだった。スーパーは日本よりもかなり小さく、品揃えも決して豊富とはいえなかったが、日本製の調味料があったり、アメリカ系のコーヒーショップの清涼飲料水があったり、ヨーロッパの東側諸国と大きく変わらないラインアップだった。

日本製の調味料も取り扱っている
見慣れたロゴのコーヒーもそろっていた

 そのスーパーで毎日のように買っていたのが、焼きたてのピロシキだった。ピロシキもまた、最近の日本のオシャレなパン屋さんにはあまりなく、若い方にとっては馴染みがないかもしれないが、1980年代や1990年代のパン屋さんには必ずあった人気の惣菜パンで、カレーパンの中身をひき肉と一緒に春雨やシイタケなどを炒めた具材にした揚げパンである。

 しかし、ロシアのピロシキは小さいパンの一般名称で、さまざまな種類がある。惣菜系のピロシキもあれば、ジャムなとが入った菓子パン系のピロシキもある。本場ロシアでは、日本人にとってのおにぎりともいえるほどポピュラーな存在で、2021年に私が宿泊していたマンションの近所のスーパーには自家製のピロシキが毎日売られていた。

ロシアでは日本のおにぎりと同じような存在なのが「ピロシキ」だ

 ロシアGPが開催されはじめた2010年代は、F1とロシアの結びつきは急速に強くなり、2010年にはロシア人初のF1ドライバーとしてヴィタリー・ペトロフ選手がF1にデビュー。その後、ダニール・クビアト選手やセルゲイ・シロトキン選手がF1に参戦し、単行本の取材を行なっていた2021年にはニキータ・マゼピン選手が4人目のロシア人ドライバーとしてF1にデビューしていた。

 ドライバーだけでなく、多くのチームがロシアン・マネーを収入源の1つにしていた。しかし、ロシアGPが初めて開催された2014年に、ウクライナ領のクリミア半島が突如独立を宣言し、クリミア共和国が樹立され、自ら望む形でロシアに併合されたあたりから、筆者はロシアへの渡航にはどこかモヤモヤした気持ちを抱えていた。

 2021年は単行本の取材があるので行ったが、それを最後にロシアへは行かないことを決めていた。

 それから数か月後の2022年2月、ロシアはウクライナに侵攻。F1からロシア人ドライバーは消え、ロシアン・マネーも姿を消した。いつの日かロシアによるウクライナ侵攻が終わる日も来るのだろうが、F1が、そして私がロシアへ行くことは、もう二度とないだろう。

ロシア人として4人目のF1ドライバーとなったニキータ・マゼピン選手は地元でも大人気
尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。