尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第22話】99.9%

F1の2021年シーズン。サウジアラビアGPで勝利を逃したフェルスタッペン選手とレッドブル。右端がホーナー氏で左端がマルコ氏

 2021年のF1シーズン、終盤のブラジルGPからサウジアラビアGPまでの3戦で、一度も勝利できなかったマックス・フェルスタッペン選手とレッドブル・ホンダ。その3戦をいずれもルイス・ハミルトン選手(メルセデス)が連勝したことで、ドライバーズポイントはフェルスタッペン選手とハミルトン選手が同点となった。ポイント上では並んだままだが、流れは完全にハミルトン選手とメルセデス側にあることは誰の目にも明らかだった。

 最終戦はアブダビGP。サウジアラビアのジェッタからレース翌日の月曜日に移動してきた私は、最終戦を前にホンダのラストイヤーを記す単行本を、どのように締めくくるべきか思案していた。

 もし、最終戦でフェルスタッペン選手がハミルトン選手を上まわってチャンピオンとなれば、ホンダにとっては1991年以来、30年ぶりのチャンピオン獲得となる。その場合は悩むことはない。その喜びの声をダイレクトに伝えればいいだけだ。

 問題は、もし最終戦でフェルスタッペン選手がハミルトン選手に逆転された場合は、どうすればいいのか? アブダビ行きの飛行機の中で考えが固まらないまま、アブダビ空港行きのEY 2334は着陸体制に入ろうとしていた。窓のシェードを上げると、眼下に決戦の舞台となる照明に照らされたヤス・マリーナ・サーキットが鮮やかに輝いていた。

アブダビ空港に着陸する前、眼下には決戦の舞台となるヤス・マリーナ・サーキットが輝いていた

 アブダビ到着後、私はホンダF1のマネージングディレクターを務めていた山本雅史さんに「最終戦前の忙しい中、申し訳ありませんが、水曜日に会えませんか?」と連絡を入れた。山本さんは快諾してくださり、山本さんが宿泊していたヤス島にあるホテルへ向かった。

 暦のうえでは12月だったが、中東のアブダビはこの時期でも昼間は半袖&短パンで過ごせるほどの陽気だった。待ち合わせ場所のホテル内のカフェの目の前にはプールがあり、数名のゲストが泳いでいた。しばらくして、ホテルのエレベーターから山本さんが降りてきた。ホテルにはレース関係者が多いので、私たちは少し暑いけれど、屋外のテーブルに席を取った。

 私は山本さんに、ホンダとして最終戦に向けてレッドブル側とどうやって臨もうとしているのかを尋ねた。それを聞いていた山本さんは晴れ晴れとした表情でこう返してきた。

「クリスチャン(レッドブルの代表)には、すでにメールしました。ホンダF1にとってこれが最終戦。最後のレースになる。勝つか負けるかしかないから、ホンダは出し切るだけ出し切ると言う方向で最終戦に臨みたい、と。もちろん、パワーユニットが壊れたらダメだけど、2位でゴールしてパワーユニットが余裕だったというのは、ホンダにとって意味がないから」

 ホンダはグランプリ前日の木曜日にレッドブル側と、その週末にどのような体制で臨むのかという意思統一を行なっている。その話し合いに入る前に、山本さんはレッドブルの首脳陣であるホーナー氏とモータースポーツアドバイザーのヘルムート・マルコ氏らと、事前にマネージメントサイドで意思統一を図ってから、技術的な話し合いに入ってもらおうと言うのだ。

3連敗を喫したサウジアラビアGPで、山本MDは最終戦が始まる前にアブダビでレッドブル側と意思統一を図ろうと考えていた

 似たようなことは2019年にもあった。猛暑のオーストリアGPでホンダに勝つチャンスを見出した山本さんは、八郷隆弘前社長を巻き込んで、通常よりも攻めたモードでパワーユニットを使用するという戦略を打ち出した。山本さんの思惑は功を奏し、スタートで出遅れたフェルスタッペン選手をホンダのパワーユニットが力強く後押し。ホンダにとって、2015年にF1に復帰して以来の初優勝という記念すべき勝利となった。

 その山本さんは、この最終戦アブダビGPでも同じ戦い方で臨もうとしていたのである。

「100%でいったら壊れるかもしれない。しかし、96%では勝てない。少なくとも99%か98%で行きたい。できれば99.9%まで使って、最終戦を終えたい」

 山本さんからその言葉を聞いて、私の迷いは吹き飛んだ。チャンピオンを取ろうが取れまいが、そんなことはどっちでもいい。この単行本で伝えなければならないことは、ホンダは最後まで全力で戦ったという事実を取材し、書くことだということを私は山本さんと会って再認識した。

 山本さんが示した最後まで全力で戦うという姿勢は、ホンダの現場部隊だけでなく、日本の研究所であるHRD Sakura(現HRC Sakura)とも共有され、HRD Sakuraの技術者たちは重箱の隅をつくほどまで、アブダビGPでパワーユニットを使い切ろうと、さまざまな調整を行なっていた。

 それはフェルスタッペン選手のパワーユニットだけでなく、チームメイトのセルジオ・ペレス選手も同様だった。そして、この99.9%の戦いが、3日後のアブダビGP決勝レースで、ペレス選手の獣のような走りへとつながる。

 レースでは、スタート直後にポールポジションのフェルスタッペン選手を抜いて先頭に立ったハミルトン選手が、1回目のピットストップを終えた後、まだピットインせずに先頭に立っていたペレス選手の背後に迫るシーンがあった。ここでレッドブルはハミルトン選手との差が8秒にまで広がったフェルスタッペン選手を助けるために、ペレスにオーバーテイクボタンを何度か使用させて、数周に渡ってハミルトン選手を押さえ込んだ。これで8秒以上あったハミルトン選手とフェルスタッペン選手の差は1.7秒にまで縮まり、レース終盤のセーフティカー導入時にメルセデスはハミルトン選手のピットインをちゅうちょし、フェルスタッペン選手のファイナルラップの大逆転劇へとつながることとなった。

当時、ホンダF1の副テクニカルディレクターを務めていた本橋正充さん

 当時、ホンダF1の副テクニカルディレクターを務めていた本橋正充さんもこう振り返る。

「最後だったので、持てる力を振り絞って戦うつもりでいました。キャリブレーションとかチューニングで、少しでもパワーを上げられるよう、HRD Sakura側でも検討してくれて、そのうえで現場側も、エネマネ(エネルギーマネージメント)などに関していろんな準備をしていました」

 いよいよ、明日はアブダビGP前日のメディアデー。サーキット内での取材が解禁される。2021年最後の4日間が始まろうとしていた。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。