尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第21話】スーツケースの中の革靴とスーツ

2021年のサウジアラビアGPの木曜日、コース下見から帰ってくるフェルスタッペン選手。案の定、気軽には近づけない雰囲気が漂っていた……

 マックス・フェルスタッペン選手やレッドブル関係者への取材が制限され始めた2021年のシーズン終盤。残すレースはサウジアラビアGPとアブダビGPの2連戦だけとなった。

 サウジアラビアGPは2021年が初開催で、準備が整っておらず週末はチームもメディアもかなりドタバタすることが予想されていた。そうなると取材するチャンスはアブダビGPしか残っていないのだが、チャンピオンシップ争いは最終戦までもつれ込む可能性が高く、そうなれば単行本用の個別取材を行なうことはほぼ不可能となる。

2021年が初開催だったサウジアラビアGPのコース周辺。開幕まで数日にも関わらず客席は建設途中だった
サーキットも建設車両が往来している状態

 そこで私は2人の友人にお願いをすることにした。1人はミハエル・シュミット氏で、もう1人はアンドレ・ベネマ氏だ。

 シュミット氏は、ドイツ誌の編集者で、F1取材歴は約40年の大ベテラン。オーストリア人のレッドブルのモータースポーツアドバイザーであるヘルムート・マルコ氏とはドイツ語で立ち話できる仲で、レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表とも親しい。そこで、マルコ氏とホーナー代表のホンダへのコメントをシュミット氏に取ってもらうことにした。

コメント取りを依頼したミハエル・シュミット氏
ベッテル選手と立ち話するシュミット氏

 ベネマ氏はオランダ人記者で、フェルスタッペン選手を長年取材しており、こちらもフェルスタッペン選手とはレッドブルのホスピタリティハウスでオランダ語で雑談できる程のツーカーの仲だった。

 私は正直にホンダをテーマにした単行本を作るために取材していることを話し、その中でホンダへのコメントがなくてはならない存在だということを説明し、理解してもらうことにした。

2021年のホンダF1本「歓喜」の陰の立役者の1人アンドレ・ベネマ氏。翌年単行本をプレゼントすると「マックスが愛するホンダの母国である日本の読者のためにお役に立てて光栄だ」と喜んでくれた

 フェルスタッペン選手やレッドブル関係者と親しいとは言っても、2人にとっても残り2戦でコメントを取ることは簡単なことではない。断られることも覚悟していたが、シュミット氏もベネマ氏も快諾してくれた。

 この時期、私にはもう1つ悩んでいたことがあった。それは、国際自動車連盟(FIA)が年末に開催する年間表彰式への参加だった。ホンダがレッドブルとともにコンストラクターズ選手権を制すれば、1991年のマクラーレン・ホンダ以来の快挙となる。そうなれば、年間表彰式に呼ばれることになる。

 私には忘れられないシーンがある。1990年のFIA表彰式で特別功労賞の表彰を受けるために参列していた本田宗一郎氏が表彰式後に、「セナ君どうもありがとう。来年もナンバーワンのエンジン作るよ!」と言って故アイルトン・セナ選手と抱き合うシーンだ。ホンダのエンジンを崇拝していた故セナ選手は、本田宗一郎氏からの激励に感極まって涙していたほどだった。

1988年のアイルトン・セナ選手とホンダのチーム員たちの記念撮影。写真:MWCT(Marlboro World Championship Team)

 もし、ホンダがコンストラクターズ選手権に輝けば、おそらくドライバーズチャンピオンもフェルスタッペン選手が取ることだろう。そうなれば、フェルスタッペン選手とホンダ関係者が年間表彰式に同席することになり、それは1991年以来、30年ぶりのこととなる。しかも、当時ホンダは2021年限りでF1から撤退することになっていたから、このようなチャンスはもしかするともう二度と巡ってこないかもしれない。日本人で現場取材している数少ないメディアとしては、参加しないわけにはいかなかった。

 ところが、私は約30年間F1の取材をしてきたが、年間表彰式に参加したことは一度もなかった。参加したことだけでなく、参加するための申請すらしたことがなかった。それは私だけでなく、日本のメディアのほとんどが、最近は年間表彰式に参加していなかったため、参加するためのノウハウをそのとき私はまったく持っていなかった。

 そこで私は夏休み明けの9月にFIAの広報担当に「参加したいんだけど、どうすればいい?」と正直に尋ねることにした。するとFIAの広報担当は「メディアの参加者に関しては、私たち広報担当が仕切っているので、オワリの名前をリストに加えておくよ」と二つ返事でOKしてくれた。

 その後、トルコGPから一時帰国していた際、私は最後の旅となるアメリカGPから最終戦アブダビGPまでの遠征用のスーツケースに、年間表彰式参列用のスーツと革靴を入れていた。

 ところが、前述のようにシーズン終盤に入って、メルセデスが反撃してきたことで、私のもくろみは不透明にものとなっていた。

 この年、私の飛行機のチケットは、ほとんどが片道発券だった。新型コロナに見舞われる前までは日本発の往復チケットを買っていたが、当時はコロナ禍で一度帰国すると強制的に隔離生活を送らなければならなかったからだ。

 最後の4戦の取材も、飛行機のチケットはブラジル・サンパウロ~カタール・ドーハ、カタール・ドーハ~サウジアラビア・ジェッタ、そしてサウジアラビア・ジェッタ~アブダビへと、すべて片道航空券だった。

 ホンダがチャンピオンになるかどうか分からなくなってきたため、アブダビGPの後の予定が立てられずにいた。もし、チャンピオンになれば、アブダビから年間表彰式の会場であるフランス・パリへ行くための片道切符を買った後、フランス・パリから日本へ帰国するチケットを買えばいい。ただし、もしチャンピオンを取り損ねた場合はパリへは行かず、アブダビから日本へ帰国することにしていた。

 果たして、パリ行きと日本行きのどちらの航空券を買うべきか。シワにならないようスーツケースの中から取り出してはタンスにかけていたスーツと革靴を見ながら、私の胸中は日を追うごとに、複雑なものとなっていった。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。