尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第20話】コース外の戦い

2021年シーズンの終盤に激闘を繰り広げたマックス・フェルスタッペン選手(左)とルイス・ハミルトン選手(右)

 アメリカGPとメキシコGPをレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手が連勝したとき、2021年のチャンピオンシップ争いはこのままフェルスタッペン選手が突っ走るだろうと正直思っていた。トルコGPでチャンピオンシップリーダーに返り咲いたフェルスタッペン選手と、2番手のルイス・ハミルトン選手(メルセデス)との差は19点にまで広がったからだ。残りは4戦。レースで優勝した場合に獲得できる点数は25点で、2位は18点だから、残り4戦でフェルスタッペン選手が1勝すれば、ハミルトン選手は残りを全勝しても追いつけない状況となっていた。

 ところが、ここからメルセデスは猛烈な追い上げを見せた。その速さは、それまでのメルセデスとは異なり、レッドブル陣営を慌てさせた。現場で取材していても、このころからレッドブルがナーバスになっていたのを肌で感じていた。そして、レッドブル・ホンダとメルセデスの戦いは、コース上だけでなく、コース外でも激しさを増していった。

 発端はサンパウロGPの金曜日に行なわれた予選後のパルクフェルメだった。サンパウロGPから突然ストレートスピードが上がるようになったメルセデスのリアウイングに疑惑を持ったフェルスタッペン選手が、予選後のパルクフェルメでハミルトン選手のマシンのリアウイングを触ったという疑いがかけられた。

ハミルトン選手のマシン

 F1では報道目的のカメラマンのほかに、各チームが雇っている専属カメラマンもいる。チームは専属カメラマンから自分たちの広報用の写真を撮影してもらっているだけでなく、ライバルチームの空力パーツのディテールの撮影も依頼していて、ライバルチームの研究を行なっている。フェルスタッペン選手がハミルトン選手のリアウイングを触ったというのも、そのカメラマンからの情報であることは想像に難しくない。

レース審議委員会へ向かうフェルスタッペン選手

 サンパウロGPのレース審議委員会は、土曜日の朝にフェルスタッペン選手を召喚し、事情を聞くことになった。そのころレッドブルのチーム首脳陣は、自チームのホスピタリティハウスで朝食を取っていたが、クリスチャン・ホーナー代表もモータースポーツアドバイザーのヘルムート・マルコ氏も朝食そっちのけで、何やら真剣な話し合いを行ななっていた。

クリスチャン・ホーナー代表(左)とヘルムート・マルコ氏(右)

 その後、レース審議委員会はフェルスタッペンに対して5万ユーロ(約800万円)の罰金を科した。

 メルセデスからの攻撃はこれだけに収まらなかった。このレースでフェルスタッペン選手はハミルトン選手とサイド・バイ・サイドのバトルを演じたのだが、そのディフェンスがあまりにも攻撃的だったとして審議を求めた。その要求は一度は却下されたのだが、レース後に再審理を要求したのである。

 再審理はサンパウロGPの翌週に開催されたカタールGPに持ち越されたものの、レース審議委員会は、メルセデスからの審査請求を却下した。

 これで一件落着かと思われたカタールGPでは、フェルスタッペン選手は再びレース審議委員会に召喚された。日曜日のレース前、レース審議委員会からの事情聴取を終えてコントロールタワーから出てきたフェルスタッペン選手の表情は、それまで取材してきた中で見せたことがなく、その後も見たことがないほど、非常に険しかった。

後も見たことがないほど非常に険しい表情をしていたフェルスタッペン選手

 この審議はメルセデスから要求されたものではなく、予選でフェルスタッペン選手がダブルイエローフラッグを尊重しなかったためだったが、サンパウロGPから続く、レース審議委員会への召喚にフェルスタッペン選手とレッドブルが精神的にいらだっていることは、はたから見ていても分かった。

 そのことは、レース前にフェルスタッペン選手が5番手降格のペナルティを受けた後、チームのホーナー代表が、マーシャルへ暴言を吐いたことでも分かる。マーシャルポストでイエローフラッグが振られていたものの、コース脇のライトパネルやステアリング上のダッシュの警告灯、また音声信号で通知させるという措置がなされていなかったことに対するマーシャルへの不満を爆発させた。レース後ホーナー代表は、この一件でもレース審議委員会に呼び出され、戒告処分を受けていた。

レース審議委員会に呼び出されたホーナー代表

 サンパウロGPとカタールGPで連敗したレッドブル・ホンダとフェルスタッペン選手は、ポイントの上ではまだリードしていたものの、精神的にはかなり追い詰められていた。

 そしてこの状況は、単行本の取材にも大きく影響していた。この時期レッドブルはフェルスタッペン選手への単独取材をかなり制限し始めていたからだ。2021年限りでF1参戦を終了するホンダへのフェルスタッペン選手をはじめレッドブル首脳陣たちの思いは、この単行本には欠かすことができない最後の1ピースだった。

 私にとっても、サンパウロGPとカタールGPでの連敗は、精神的に追い詰められた完敗だった。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。