尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話
【第23話】ありがとう HONDA
2023年11月3日 00:00
2021年12月9日木曜日。いよいよ2021年のF1シーズン最後の週末が幕を開けた。
これまでアブダビではため息をつくことが多かった。アブダビGP初年度の2009年は、当時参戦していたトヨタにとって最後の一戦となったグランプリだった。そのことを知りつつ、明かすことができないという重苦しい雰囲気の中で、何度もため息をついていた。
2014年の最終戦直後に行なわれた合同テストでは、翌年からF1に参戦するホンダがマクラーレンと組んで初めて実走テストを行った。
だが、テストはトラブルに次ぐトラブルの連続。テスト前日の準備日も含めて3日間、ホンダのスタッフはガレージで不眠不休で作業を続けた。結局、宿泊を予定していたホテルのベッドで寝ることがないまま、テストを終了するという過酷なものだった。
のちに、そのテストにチーフエンジニアとして参加していた中村聡さんは、その状況を次のように明かしてくれた。
「テストの最終日はフラフラで立ってられない状態だった。あのころのホンダのパワーユニットは、ホンダの人間が言うのもおかしいですが、正直『これでF1に出ていいのか?』というレベルでした。それでもマクラーレンはわれわれを助けてくれました。エアボックスやバッテリパックなどはマクラーレンが製作に大きく貢献してくれました。もし、彼らのサポートがなかったら、レースできていなかったかもしれません」(中村)
しかし、復帰後3年目となる2017年になっても、ホンダがパワーユニットの性能だけでなく、信頼性においてもトラブルを続出させると、マクラーレンの忍耐力も限界に達した。マクラーレンとの間にできた溝は、その後、修復不可能なまでに大きくなり、この年限りでホンダはマクラーレンとの決別を迎えることになる。その最後の一戦、ヤス・マリーナ・サーキットのマクラーレンに搭載されたホンダのパワーユニットを、ただひとり、じっと見つめていたのが中村さんだった。
中村さんは2017年の最終戦をもって帰国し、HRD Sakura(現HRC Sakura)でその後のホンダのF1活動を支えた。その中村さんはチーフエンジニアとしての最後の一戦となった2017年のアブダビGPでこう語っていた。
「望んでいた結果は出せませんでしたが、HRD Sakuraもミルトンキーンズのスタッフも誰もさぼってなんかいません。それだけははっきり言えます。ただ、もしかしたら、やり方が間違っていたのかもしれないし、努力するポイントを勘違いしていたのかもしれません」(中村)
ホンダのF1活動の特徴の1つに、HRD Sakuraの開発スタッフと現場スタッフを定期的に入れ替えるローテーションがある。個人主義が強い欧米では、組織が細分化されているケースが多く、F1のエンジニアたちも自分が担当している分野の専門領域に非常に特化した技術を持ち、何十年も同じ技術の開発に携わるケースが多い。
ところが、ホンダは情報は全員で共有し、全員が全体を考えて動き、組織にとって最適な方法は何かを考えながら開発しているため、定期的に配置転換を行なう。現場で得た経験をパワーユニットの開発を行なう際に生かすことで、より実戦に適したパワーユニットの開発ができるというわけだ。
中村さん以外にも多くの現場スタッフがファクトリーに戻り、2018年以降の開発をサポートし、ついにメルセデスとチャンピオンシップ争いを演じるまでに成長した。その決戦の地となった2021年のヤス・マリーナ・サーキットを訪れたとき、私はかつて現場で悔し涙を流した多くのホンダ・スタッフたちの顔を思い浮かべたのだった。
そのヤス・マリーナ・サーキットで木曜日の夕方、レッドブルとホンダが記念撮影会を行なった。シーズン終盤にはどのチームも記念撮影会を行なうが、2021年限りでF1活動を終了すると発表していたホンダにとっては、このアブダビGPがパワーユニットマニュファクチャラーとして臨む最後の一戦となる。
通常、この手の撮影会ではメカニックや広報が準備のために先に来て、チーム首脳陣やドライバーは最後に現れることが多い。しかし、このときは、マックス・フェルスタッペン選手が早めに来ていた。なかなか準備が整わなかったため、ガレージを離れてピットウォールへ行き、父親のヨス氏や身内のスタッフとしばらく歓談していた
その後、クリスチャン・ホーナー代表が到着すると、全員がガレージの中に集合。ここでホーナーがスタッフ全員にスピーチを行なった。
「この1年、みんなよくやった。いよいよこれが最後のレース。みんなで楽しもうじゃないか!」
ドライバーズ選手権でフェルスタッペン選手とルイス・ハミルトン選手(メルセデス)が同点で迎える最終戦。だれもが緊張している中で、ホーナー氏のこのスピーチは、チームの緊張をしばし解くとともに、士気を改めて高めていたように見えた。
ホーナー氏のスピーチを終えて、ガレージから出てくると、ピットウォールにいたフェルスタッペン選手が用意していたヘルメットを持って、ホンダF1の山本雅史さん(当時マネージングディレクター)と、田辺豊治さん(当時テクニカルディレクター)に近づいて、2人にヘルメットを見せていた。それを見た2人が驚いていたので、撮影会が始まる前の一瞬の間を利用して、フェルスタッペン選手に近づき、2人に何を見せたのかを直接尋ねた。
するとフェルスタッペン選手は笑顔でヘルメットを見せてくれた。ヘルメットの後頭部には、こう書かれていた。
「ありがとう HONDA」
このとき、写真会場には大勢のカメラマンがいたが、撮影が始まる前にフェルスタッペン選手がヘルメットを見せてくれたのは私だけだったと思う。フェルスタッペン選手がいかにホンダをリスペクトし、そのことを日本のファンに知ってもらおうとしていたかが伝わってきた。
こうして、2021年最後のメディアデーが終え、最後の3日間の戦いが始まろうとしていた。