尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話
【第24話】花束
2023年11月10日 00:00
2021年シーズンのF1最終戦アブダビGPの週末、サーキットは「レッドブル・ホンダvsメルセデス」一色に染まっていた。ハリウッド映画のポスターかボクシングの世紀の一戦を宣伝するポスターを彷彿させるパネルが、サーキットのあちこちに掲げられていた。F1が製作したと思われるそのパネルは、マックス・フェルスタッペン選手とルイス・ハミルトン選手が向かい合っているだけでなく、レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表とメルセデスのトト・ウォルフ代表も対峙していた。
というのも、最終戦を前にドライバーズ選手権だけでなく、コンストラクターズ選手権も決定しておらず、2つの選手権とも最終戦で決着がつくからだった。パネルだけではない。国際自動車連盟(FIA)が催す公式会見も、木曜日のドライバー部門でフェルスタッペン選手とハミルトン選手が同席すれば、金曜日のチーム関係者部門ではホーナー代表とウォルフ代表が同席していた。特にドライバーズポイントは、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手とメルセデスのルイス・ハミルトン選手がともに369.5点で並んでいたため、対立の構造がより鮮明だった。
F1は優勝したドライバーが25点を獲得し、以下2位~10位までに、18点、15点、12点、10点、8点、6点、4点、2点、1点が与えられる。つまり、フェルスタッペン選手とハミルトン選手のどちらか前で入賞したドライバーがチャンピオンとなる。
ただし、例外が2つあった。
1つは両者が無得点に終わること。この場合、同点のまま選手権が終わるが、同点の場合は上位入賞回数が多い選手が上になるルールとなっているため、優勝回数でハミルトン選手を上まわっていたフェルスタッペン選手がチャンピオンとなる。
この年のフェルスタッペン選手はチャンピオンシップ争いを演じていたように、チェッカーフラグを受けたレースはすべて入賞。また、ハミルトン選手も完走したレースは1回を除いてすべてポイントを獲得していた。よって2人が無得点に終わることは考えにくかった。
そうなると、無得点以外で同点になるのは、もう1つの可能性しかない。それはハミルトンが9位(2点)、フェルスタッペンが10位(1点)+ファステストラップ(1点)を獲得した場合だ。
しかし、この年のフェルスタッペン選手は入賞したレースのほとんどが優勝か2位で、それ以外のハンガリーGPの9位が1回しかなかった。また、ハミルトン選手もこの年は入賞したレースで8位以下はなく、ハミルトン選手が9位でフェルスタッペン選手が10位でフィニッシュするというケースも考えにくかった。
そうなると、チャンピオンシップ争いの決着は、どちらかが勝って、もう一方が2位でフィニッシュするか、この2人がともにリタイアするかのどちらかである。タイトル争いをしている2人が接触事故を起こしてチャンピオンが決定したレースとして思い出されるのは、1990年の日本GPだ。それだけは避けてほしかった。
なぜなら、最終戦アブダビGPはチャンピオン決定戦であると同時に、2020年の10月にF1からの撤退を発表していたホンダにとって、最後のF1でのレースになる可能性が高かったからだ。
その思いは私だけでなく、日本の多くのファンも同様だった。ホンダのホスピタリティハウス前の壁には、アブダビGPの週末、現地観戦に来たというファンから贈られたメッセージ入りの日の丸が掲げられていた。そのメッセージのほとんどが次のような内容だった。
「ホンダの皆さん本当にお疲れ様でした。数え切れないほどの感動を頂きました! 何度テレビの前でガッツポーズした事か。最後のレース走り切る事を願っています! ありがとうございました!!」
パドックにいた多くのレース関係者も同じ気持ちだったに違いない。ウイリアムズでメカニックを務めていた白幡勝広さんもチームの枠を超えてアブダビGPの週末にホンダのホスピタリティハウスを訪れ、日の丸にメッセージを書き込んでいた。
ホンダには勝って、チャンピオンに輝いてほしいが、それよりもまず100%の力を出し切ってほしい。勝っても負けても、悔いのないレースをしてほしい。その思いの方が強かった。
そんな週末に向けて、私はあるものを準備していた。それはこれまでお世話になった2人への花束だった。その2人とはホンダF1のマネージングディレクターを務めていた山本雅史さんと、テクニカルディレクターとしてエンジニアやメカニックたちを統率していた田辺豊治さんだ。
第4期のホンダのF1活動では、この2人がメディアへの対応を行なってくれた。田辺さんはすべてのグランプリで木曜日~日曜日まで毎日。山本さんも毎日ではなかったもののすべてのグランプリで私の個別インタビューに応じてくれた。だから、最後の一戦を前に感謝の印として、花束を贈呈したかった。そのことを熱田カメラマンにも相談したら、「ぜひ、そうしよう」と快諾してくれた。
また、最終戦のアブダビGPには日本からジャーナリストの柴田久仁夫さんと、当時オートスポーツ誌の編集長を務めていた田中康二さんが取材に来ていたので、彼らにも声をかけ、日本のメディアとして2人に花束を贈ることになった。
そのタイミングは、決戦の当日、日曜日の朝にした。