尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第25話】最後の集合写真

2021年のアブダビGP決勝前、レッドブルとアルファタウリで仕事しているホンダのスタッフ全員で集合写真を撮った

 ホンダにとって最後の一戦となった2021年のアブダビGPの土曜日の予選。ホンダとレッドブルは、最後の最後まで全力を尽くして戦っていた。

 予選前、最後のフリー走行となったFP(Free Practice)3でレッドブルは2台のマシンに異なる仕様のリアウイングを装着して、ストレートスピードとラップタイムの差を確認していた。セッション後、走行データを分析し、ドライバーやレース戦略家を交えて、どの仕様のリアウイングにするかを話し合った。

 その話し合いを終え、レッドブルが2台にこれから始まる予選と日曜日の決勝レースに使用するリアウイングを装着し始めたのは予選開始まで30分を切ってからだった。セルジオ・ペレス選手のリアウイングにいたっては、装着が完了したのは予選開始まで5分を切っているギリギリのタイミングだった。

フェルスタッペン選手のマシンのウイングを交換している様子
セルジオ・ペレス選手が乗るマシンのリアウイング交換が完了したのは予選開始5分を切っていた

 その期待にマックス・フェルスタッペン選手はしっかりと応え、今季10回目、ホンダにとって90回目のポールポジションを獲得した。ただし、そのポールポジションはペレス選手がフェルスタッペン選手にスリップストリームを使用させるというチームプレーによって得たものだった。ポールポジションは取ったものの、メルセデスとルイス・ハミルトン選手の速さは、依然としてアブダビGPでもレッドブル・ホンダにとって脅威となっていた。

何とかポールポジションを獲得できたマックス・フェルスタッペン選手

 最後の一夜が明けた。2021年12月12日、日曜日。アブダビの朝は青空とともに明けた。レースは夕方5時からだったが、私は午前中にホテルを出た。ホンダの集合写真の撮影会がお昼前に行なわれるからだ。その撮影会に私は2つの花束を持っていった。1つはテクニカルディレクターの田辺豊治さんに、もう1つはマネージングディレクターの山本雅史さんに手渡した。

テクニカルディレクターの田辺豊治さんに花束を贈呈した

 田辺さんは、責任感が強く、実直な方だった。ホンダが勝ち始めてからも、地に足をつけ、常に日本の研究所であるHRD Sakura(現在のHRC Sakura)のスタッフの努力を称え、現場で仕事するスタッフを気遣っていた。

 私はそんな田辺さんから一度、お叱りを受けたことがあった。2019年のブラジルGPのことだ。フェルスタッペン選手がポールポジションを取った後に行なった囲み取材で、私は田辺さんに「圧倒的な速さでポールポジションを取ったのに、金曜日まではかなり静かでしたが、実際は自信があったんじゃないですか?」と、ちょっと軽い内容の質問をした。すると、田辺さんは「レースというのは、常に相手があることなので、そういう質問には答えられないし、これからも答えたくない」と厳しい口調で返答した。ポールポジションを取ることがいかに大変なことなのかを軽く見られたことに対して、田辺さんはホンダを代表して我慢ならなかったのだと思う。

 山本さんも、レースに対しては、常に厳しかった。と、同時に俯瞰で物事を見ることができ、周囲に常に気を配る方でもあった。

 2021年シーズンに世界各国を転戦しながら取材する大変さは、これまでもこの連載で何度も書いていたが、私たちが最終戦まで取材できたのには、山本さんからのサポートが非常に重要な役割を果たしていた。山本さんは栃木研究所時代に技術広報をしていたこともあり、メディアの重要性を熟知していた。

マネージングディレクターの山本雅史さんにも花束を贈呈した

 もし、私と熱田カメラマンが同行取材できなければ、ホンダF1のラストイヤーだというのに日本人メディアが皆無という状況になる。私たちが困っていたときは、さまざまな形でサポートし、背中を後押ししてくれた。

 そしてもう1人、この場を借りて感謝したい人がいる。当時ホンダで広報を務めていた鈴木悠介さんだ。田辺さんと山本さんの2人の間に入って、私たちとコミュニケーションを図ってくれる鈴木さんがいなかったら、ここまで取材活動はできなかった。

 鈴木さんはレース後、ホンダのスタッフが食べているカツカレーを、現場で取材している日本人のために人数分、取り置きしてくれた。鈴木さんがそこまでしてくれたのは、おそらくF1というスポーツが日本の一般のファンには分かりにくく、日本でF1の認知度を上げるにはメディアの力が必要だと考えていたからだと思う。

 鈴木さんはホンダF1のラストイヤーを最後にホンダを退職し、現在はレッドブル・レーシングで活躍している。それでも、いまでも日本のF1のことを考え、世界で戦っている。このような日本人がこれからもF1で活躍してくれることを望みたい。

当時ホンダで広報を務めていた鈴木悠介さん

 本当は鈴木さんにも花束を用意したかったが、鈴木さんに花束を渡すと、ほかに渡さなければならない人がたくさん出てくるため、ホンダF1の現場の顔というべき存在の田辺さんと山本さんの2人だけに手渡した。

 花束贈呈の後、レッドブルとアルファタウリで仕事しているホンダのスタッフが全員集合して、撮影会が始まった。そのとき、ちょうどサーキット入りしたばかりの角田裕毅選手が通りかかった。ホンダに育ててもらい、ホンダを愛する角田選手にとって、ホンダF1のラストショットになるかもしれなかったその集合写真を見て、感じるものがあったのだろう。

たまたま撮影現場に角田選手が通りかかった

「一緒に写真を!」といって無理やり連れ出し、ホンダF1の首脳陣たちと集合写真を撮った。

 みんな、いい顔をしていた。最後のレースまで、5時間を切ろうとしていた。

ホンダF1の首脳陣たちとの記念撮影
尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。