尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第26話】託した日の丸

当時ホンダF1のマネージングディレクターを務めていた山本雅史さんに、フェルスタッペン選手が勝利した場合に日の丸を渡してほしいと託した

 2021年のF1最終戦アブダビGPの日曜日の午前中、ホンダの集合写真を撮った後、私はマネージングディレクターだった山本雅史さんに近寄り、「ちょっと相談したいことがあるんですが、いいですか?」と言って、2人だけになった。このとき、私のポケットには小さく折りたたんだ日の丸があった。

 2021年シーズンの取材を行なうために、最後に日本を出発したのはアメリカGPへ向かう前の10月中旬だった。このとき、私のスーツケースには、通常の取材時に持ち運ぶ物以外に、2つの物が入っていた。

 1つは、年間表彰式に出席するためのフォーマルなスーツで、もう1つが日の丸だった。

 ホンダにとって、最後のF1活動となるシーズン終盤のどこかのタイミングで、日の丸が必要になるかもしれないと考えていたからだ。

 ただ、日本を発つ前は、レッドブルとホンダが最終戦を待たずして、チャンピオンになると考えていたため、日の丸が必要になるチャンスは簡単に訪れるだろうと楽観していた。ところが、最終戦直前の3戦をすべてメルセデスのルイス・ハミルトン選手が優勝したため、タイトルの行方はまったく分からない状態で最終戦を迎えることとなった。

 果たして、この日の丸をどう使うべきか、私は思案に暮れた。

 このとき、私の中ではパルクフェルメでマックス・フェルスタッペン選手に掲げてほしいという思いがあった。それは、パルクフェルメならば、多くのカメラマンがいるので、その様子がとらえられると考えたからだ。メディアの報道を通して、フェルスタッペン選手が日の丸を見せることで、現場はもちろん、日本でF1を戦っているホンダのスタッフに、フェルスタッペン選手からの感謝の意思が伝わればいいなと思っていたからだ。

 もちろん、日の丸を用意したのは私だから、“やらせ”だと言われれば、それまでだが、フェルスタッペン選手は「ありがとうHONDA」というメッセージをヘルメットの後頭部に込めていたことからも、フェルスタッペン選手自身も最終戦はホンダへの感謝の気持ちを込めながら走るに違いなかった。

 ただ、ヘルメットの後頭部に刻まれたメッセージだけでは伝わりにくい。そこで私はレースを走り終えて、パルクフェルメに戻ってきたフェルスタッペン選手に日の丸を渡し、カメラの前で披露してもらうのがベストだろうと考えていたのだ。

2021年のアメリカGPのレース後のパルクフェルメ。表彰台を獲得したペレス選手用に関係者がメキシコの国旗を用意していた (C)Getty Images / Red Bull Content Pool.

 ただし、このアイディアには2つの関門があった。1つは、当時2021年はまだ新型コロナが蔓延していたため、パルクフェルメ周辺には規制がかかっており、メディアが自由に近づくことができなかった。

 そこで、私は国際自動車連盟(FIA)のメディア担当に「レース後にフェルスタッペ選手に日の丸を渡したいのだが、どうすればいいか?」と素直に尋ねてみた。すると、FIAのメディア担当は「レッドブルのチーム関係者なら、パルクフェルメに近づくことができるので、そのだれかに渡してみるのが一番確実だろうと思う」と答えてくれた。

フェルスタッペン選手の父親のヨス氏 (C)Getty Images / Red Bull Content Pool.
レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表 (C)Getty Images / Red Bull Content Pool.

 そこで、私はフェルスタッペン選手の父親のヨス氏やクリスチャン・ホーナー代表に相談することを考えたが、土曜日にフェルスタッペン選手がポールポジションを獲得したとはいえ、優勝するかどうかは分からない緊迫した中で日曜日の朝を迎えていたため、そんな状況では相談するのは失礼だろうと断念した。そもそも、ヨス氏とフェルスタッペン選手はオランダ人であり、ホーナー氏が代表を務めるチームはオーストリア国籍だから、彼らに日の丸を託すには無理があった。これが2つ目の関門だった。

 しかも、チャンピオンがかかった最終戦がどんな戦いになるのかまったく読めなかった。日の丸を渡す状況が整えばいいのだが、そうならない可能性もある。しかも、その状況はチェッカーフラッグが振られてみないと分からない。

 半ば、日の丸を渡すことをあきらめていたときに、私の頭の中に登場してきたのが、山本さんだった。

 山本さんならば、日本人として日の丸を持つことは自然なことだったし、その年のアメリカGPでは表彰台に上がった経験もあり、パルクフェルメでも常に首脳陣と側で、レース後のフェルスタッペンを祝福していた。さらに、状況を考えて、渡すこともできるし、渡さないと判断することもできる人物だった。

2021年シーズンのアメリカGPでは表彰台に上がっていた山本さん (C)Getty Images / Red Bull Content Pool.

 日曜日の昼、ホンダの集合写真を撮影した後、私は山本さんに正直に相談した。すると山本は私の気持ちを理解し、日の丸を受け取ってくれた。ただし、こう語った。

「ベストは尽くすけれど、その場の状況によっては、どうなるのか分からないので、その点だけ了承してください」

 私は「もちろんです」と言って、日の丸を山本さんに預けた。

 それから、約5時間後にスタートが切られたアブダビGP決勝レース。山本さんは日の丸をポケットに忍ばせ、レッドブルのガレージに向かった。

 勝つか負けるか……、しかし、フェルスタッペン選手とハミルトン選手による世紀の一戦は、想像を超えた展開となり、日の丸を渡したことさえ忘れるようなドラマが待っていた……。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。