尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第27話】甘じょっぱかった、カツ丼

ホンダF1のホスピタリティハウスを運営していたイギリス人のデイブ・フリーマン氏。ホンダF1との関係がとても長い1人

 メディアセンターで最後の一戦に向けて、準備を進めていた日曜日の午後、ホンダで広報を務めていた鈴木悠介さんから「最後にホンダのホスピタリティハウスでランチでもいかがですか?」というメッセージが来た。

 ホンダのホスピタリティハウスでは、いつも決勝レース後にカツカレーが振る舞われ、そのお裾分けを日本人メディアもいただいていた。しかし、今回は決勝レース前の食事のお誘い。もちろん、喜んでいただくことにした。

 もちろん、それはおいしい日本食が食べられるからなのだが、2021年のアブダビGPでホンダのホスピタリティハウスにお邪魔する理由はそれだけではなかった。

 ホンダF1のホスピタリティハウスを運営しているのは、イギリス人のデイブ・フリーマン氏。ホンダのホスピタリティハウスでは、レッドブルやアルファタウリで仕事するホンダのメンバーが食事の時間になると帰ってきて、一日3食ここで食事している。その食事をまかなっているのが、フリーマン氏が経営するケータリングスタッフだ。

朝食を準備するフリーマン氏(左)と日本人スタッフ(右)
お弁当箱のフタにはホンダのロゴが入っている

 フリーマン氏とホンダとの付き合いは長い。フリーマン氏は次のように述懐する。

「私が初めてホンダと仕事をスタートしたのは、ホンダがF1復帰を目指してテストしていた1999年。テスト・ドライバーだったヨス・フェルスタッペン選手が、まだ2歳だった息子のマックス君を連れてきて、コクピットに座らせていたよ」

 しかし、当時プロジェクトのリーダーを務めていたハーベイ・ポスルスウェイト氏がテスト中に心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったため、ホンダはワークス参戦を取り止め、BARと組んでエンジンサプライヤーとして第3期F1活動を行なうことになった。

 ただし、ホンダはエンジンサプライヤーとして自前のモーターホームを準備するため、フリーマン氏の会社と正式に契約。ホンダがF1に復帰した2000年から、フリーマンもF1のケータリング会社としてF1に参戦した。

 ホンダのモーターホームを始めるにあたってフリーマン氏は、かつてホンダの工場があったスウインドン近くにあるスタントンハウスホテルにシェフとして働き、日本食のトレーニングを積むなど、日本人スタッフに食事を提供するための努力を重ねた。2000年~2008年までのホンダの第3期F1活動時代には、ホンダは自分たちのスタッフたちだけでなく、メディアへも食事を提供していた。本格的な日本食が食べられるということで、日本人だけでなく海外メディアが行列するほど、ホンダのモーターホームは賑わった。ホンダの日本食は、メディアだけでなく、ライバルチームのドライバーたちからも人気があり、2000年代にはミハエル・シューマッハ選手がマネージャーに頼んでお寿司を出前していたほどだった。

 フリーマン氏は2008年限りでホンダがF1を撤退すると、2010年はホンダF1を引き継いだブラウンGPのケータリングを任され、チームとともにドライバーズチャンピオンを祝った。ブラウンGPがメルセデスに買収された後は、ロータス、フォース・インディアのケータリングを担当していた。

 そして、ホンダが2015年からF1に復帰すると発表し、ホンダからケータリングの運営をお願いされると二つ返事で了承。2015年からホンダのモーターホームに帰ってきたというほど、ホンダへの忠誠心は強い。

「ホンダから『F1に復帰するから手伝ってほしい』と誘われたとき、私に迷いはなかった。ホンダのスタッフは本当に一生懸命で、彼らのサポートをすることはとてもやりがいがあるからね。私たちだって、ホンダが勝てばうれしいし、負ければ悔しい。ケータリングスタッフもホンダと一緒に戦っているんだよ」とフリーマン氏は語る。

ホンダ・ドライバー全員のサインが入ったホンダF1活動第3期時代のユニホームを着ていたフリーマン氏
佐藤琢磨選手のサイン
アロンソ選手のサイン
アルボン選手とフェルスタッペン選手のサイン

 フリーマン氏は私と同じ1964年生まれ。2021年は57歳となっていた。この世界で長年の経験があり、腕を買われてきたフリーマン氏には別のチームまたは企業でケータリングを続ける道もあった。だが、フリーマン氏もまた2021年限りでF1に別れを告げる決断を下した。

「私がF1に参加できたのは、ホンダのおかげ。だから、ホンダとともにF1を去ることにした。ホンダには本当に感謝している。いいF1生活だった」そう言ったフリーマン氏は、自身最終戦となった2021年のアブダビGPに特別なユニホームを持参していた。それはホンダ・ドライバー全員のサインが入ったホンダF1活動第3期時代のユニホームだった。

 そのフリーマン氏が経営するホスピタリティハウスでの最後の食事を、私はマネージングディレクターだった山本雅史さんとテーブルをご一緒させていただいた。差し出されたメニューを見て、私たちが頼んだのは、カツ丼だった。もちろん、カツ丼を食べたい気持ちもあったが、最終戦に「勝つ」という意味を込めてのオーダーだった。

 このカツ丼が最後になるのかと思って食べたカツ丼の味は、寂しい気持ちもあいまって、少しだけ甘じょっぱく感じたのだった。

フリーマン氏が経営するホスピタリティハウスでの最後の食事となっカツ丼
2021年当時マネージングディレクターだった山本雅史さんと一緒にカツ丼を食べた
尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。