尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第28話】フェルナンド・アロンソ選手の思い

2021年のF1最終戦。マネージングディレクターである山本雅史さんのもとに、過去にホンダのドライバーを務めた経験のあるフェルナンド・アロンソ選手が訪れ激励していた

 いよいよ、2021年の最後のF1レースが始まる。西日に照らし出された最終戦のスターティンググリッドは、さまざまな別れの舞台となってきた。

 2021年はキミ・ライコネン選手がF1からの引退を表明していた。ライコネン選手は2007年のチャンピオンであると同時に、当時はF1史上最多となる349戦に出場した鉄人でもあり、F1界のレジェンドでもあった。

 スターティンググリッドでライコネン選手の姿を見るのは、これが最後となる。通常なら、2018年にフェルナンド・アロンソ選手や2016年のジェンソン・バトンのグリッドへ行ったように、ライコネン選手のグリッドへ行くべきだろう。しかし、私はライコネン選手のグリッドへ行くことはなかった。なぜなら、ホンダF1の最後の戦いを見届けたかったからだ。

 思い返せば2009年も同じように、最終戦のグリッドで私はトヨタF1を追い続けていた。あのときは、3日後に撤退発表を行なうことを知りつつ、それを言葉にできないという重い雰囲気が漂っていた。

1980年代にホンダと仕事したアラン・プロスト氏も山本さんを訪れていた

 だが、2021年のホンダの場合は、まったく違っていた。すでに撤退することを公表していただけでなく、最後の一戦にタイトルがかかっていたからだ。多くのドライバーや関係者が山本雅史マネージングディレクターのもとを訪れていた。その中でも忘れられないのがアロンソ選手の訪問だった。

 ホンダがアロンソ選手とレースをしていたのは、2015年~2017年までの3年間。しかし、この3年はアロンソ選手にとって、厳しい3年間だった。ホンダのパワーユニットの性能はライバルたちから大きく水をあけられていた。その性能は、アロンソ選手がレース中に無線で、当時のF1直下のカテゴリーを意味する「GP2のエンジンかよ!!」と叫んだほどだった。

 性能だけではない。信頼性にも問題があり、アロンソ選手がいた3年間、ホンダのパワーユニットは壊れまくった。

 だから私は、「ホンダが自分のキャリアを台なしにした憎き存在だ!」という思いをアロンソ選手が心の中に抱いているのではないかと勝手に思い込んでいた。そんなアロンソ選手が山本さんのところにやってきて握手したのだから、驚くのは当然だった。

 しかし、よく考えれば、アロンソ選手というドライバーは、勝利に人一倍こだわるドライバーで、勝つためなら問題を常に指摘してきたドライバーだった。ホンダの前にはフェラーリを、その前のマクラーレンでも自分のほうが正しいと思うときは、チームを批判してきた人物だった。ホンダへのさまざまな苦言もその一環に過ぎず、実際には感情的な対立はなかった。

 単行本「歓喜」の巻末には、第4期と呼ばれるホンダのF1活動でホンダのパワーユニットでレースした全ドライバーのコメントが掲載されている。最初は2021年にドライブしていた4人のドライバーだけにしようかと思って取材をスタートさせた。なぜなら、アロンソ選手からはコメントをもらえないと思っていたからだ。

 ところが、2021年のオーストリアGPのときに、パドックで立ち話していたときに尋ねてみたら、快く答えてくれた。そのコメントの中で忘れられないのが、次の一節だ。

「僕たちが過ごした3年間はとても厳しい期間だったけれど、その3年間があったからこそ、ホンダはその後、大きく改善した」

 本当にそのとおりだと思う。パワーユニットやエンジンというのは、エンジニアが実際にF1に乗って走らせることができないので、レスポンスなどのドライバビリティはドライバーの反応がとても重要になる。もし、アロンソ選手があの時期に厳しく指摘していなければ、ホンダの復活はもう少し遅れていたかもしれない。そういう意味では、ホンダはアロンソ選手に鍛えられて2021年にチャンピオンシップを争うまでに成長できたとも言える。

 そのことをアロンソ選手も認識していたに違いない。山本さんと握手した後、こう言ったという。

「チャンピオンを取れ!!」

 それは、自分が鍛えたホンダにチャンピオンになってもらいたいという思いがあったからだろう。

 後日、アロンソ選手のマネージャーを務めるアルベルト・フェルナンデス氏がこう語っていることでも分かる。

「ホンダとの関係において、フェルナンドが問題だと思ったことはない。確かに過去に厳しい発言をしたことは覚えているが、それはなにもホンダへだけ向けられたものではなく、技術的に問題があれば、彼はホンダ以外にもこれまでずっと指摘してきた。彼はホンダという組織やホンダのスタッフをいまでもリスペクトしている。そのことは、2021年の最終戦アブダビGPで、フェルナンドがホンダのスタッフの元を訪れて『チャンピオンシップを勝ち取れ』と激励していることからも分かると思う」

 ホンダも同様で、山本さんも「フェルナンド選手のことはいまでもリスペクトしている」と語っている。

ピエール・ガスリー選手のグリッドに足を運ぶ山本さん

 アロンソ選手からの激励を受けた山本さんはその後、ホンダ・ドライバー4人のグリッドをひとつずつ回った。その山本さんが最後に訪れたグリッドが、ポールポジションのマックス・フェルスタッペン選手だった。そのグリッドは、ほかのどれよりも緊張感が高まっていた。

ポールポジションのマックス・フェルスタッペン選手のグリッドにも足を運んでいた山本さん

 フォーメーションラップのスタートまで、もうすぐ10分を切ろうとし、メカニック以外のチーム関係者が退去しようとしていたとき、コクピットに収まっていたフェルスタッペン選手に近づいていったのが、ヘルムート・マルコ(モータースポーツアドバイザー)氏だった。右手を差し出し握手を交わしたマルコ氏とフェルスタッペン選手を見届け、私はメディアセンターへ帰った。

最終レースのスタート前に握手を交わしてたモータースポーツアドバイザーのヘルムート・マルコ氏とフェルスタッペン選手

 メディアセンターへ到着すると、ホンダにとって最後のフォーメーションラップがゆっくりとスタートしようとしていた。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。