尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話
【第29話】映し出された日の丸
2023年12月15日 00:00
フォーメーションラップを終え、20台のF1マシンが2021年シーズンのF1アブダビGPの舞台であるヤス・マリーナ・サーキットのグリッドにすべてついた。
2021年12月12日、午後5時2分。ブラックアウトとともに切られたスタートで、ポールポジションのマックス・フェルスタッペン選手は、1コーナーまでに2番手からスタートしたルイス・ハミルトン選手(メルセデス)に先行を許した。
その瞬間、ピットガレージの中でモニターを見つめていたクリスチャン・ホーナー代表は、静かに目を閉じた。スタート直後のピットウォールは事故が発生した場合に危険なため、FIA(国際自動車連盟)と連絡を取るスタッフ以外はガレージにとどまることが義務付けられているためだ。
その直後、オープニングラップでフェルスタッペン選手はハミルトン選手とバトルを演じるも、オーバーテイクするまでにはいたらず、スタートで失ったポジションを取り戻すことはかなわなかった。
ブラジルGPから速さを取り戻したメルセデスのペースはこのアブダビGPでも変わらず、ラップを重ねるごとにハミルトン選手とフェルスタッペン選手の差は開いていった。おそらく、スタートでフェルスタッペン選手が出遅れていなくとも、フェルスタッペン選手は早々にハミルトン選手にオーバーテイクされていただろう。それほど、2021年終盤のメルセデスは速かった。
ただし、レースは速い者が必ずしも勝つとは限らない。それは、レースは最も速いドライバーが2人だけで戦っているわけではないからだ。遅いマシンが周回遅れとなって現れたり、第三者のトラブルによってセーフティカーが導入されることで有利不利が発生する。そうした運を味方につけなければ勝てないこともある。
2021年の最終戦アブダビGPは、まさにそんな展開のレースだった。タイヤ交換を終えてハミルトン選手との差が9秒に広がってしまったフェルスタッペン選手をサポートしたのが、チームメートのセルジオ・ペレス選手だった。タイヤ交換を延ばしてトップを走行していたペレス選手は、タイヤ交換を行なって接近してきたハミルトン選手を押さえ込み、その後ろにいたフェルスタッペン選手との差を約2秒まで縮める役割を果たした。
そのペレス選手の走りは、フェルスタッペン選手をして「チェコ(※ペレス選手の愛称)はレジェンド」と称するほど、最高のアシストだった。
それでも、レースはフェルスタッペン選手が依然としてハミルトン選手の後塵を拝する展開が続いた。私はこの時点でハミルトン選手が勝利することを疑わなかった。
それはレース終盤にニコラス・ラティフィ選手(ウイリアムズ)がクラッシュしてセーフティカーが導入されても変わることはなかった。なぜなら、事故車の回収に時間を要して、レースが再開されない可能性が高かったからだ。
メディアセンターにいたジャーナリストの多くが、「このままセーフティカー先導でレースが終わるだろう」と、あちこちで会話していた。
ところが残り2周で状況が一変する。レースディレクターがハミルトン選手とフェルスタッペン選手の間にいた周回遅れを前に出した直後に、セーフティカーのピットインを命じ、ファイナルラップにレースを再開させるという通常の手順とは異なる驚きの判断を行なった。
この判断により、ハミルトン選手より軟らかいタイヤに交換していたフェルスタッペン選手は再スタートで一気に加速し、ファイナルラップでハミルトン選手をオーバーテイク。そのままトップでチェッカーフラッグを受け、2021年のドライバーズチャンピオンに輝いた。
私の右隣の一角には、イギリス人メディアが陣取っていたが、レースディレクターの判断にさまざまな議論を交わしていた。私もその時点で完全には納得していなかったが、その判断も含めて、それがレースだという認識でいた。2021年を振り返るとき、アブダビGPのこの判断が注目されることが多いが、フェルスタッペン選手とハミルトン選手(あるいはメルセデス)を巡る裁定は、このアブダビGPだけでなく、イギリスGPやハンガリーGPでも行なわれており、そのすべてがレッドブルに有利に働いていたわけではなかった。
そもそも2021年シーズンのフェルスタッペン選手は、ハミルトン選手の303周に対し、652周もレースをリードしていたことを忘れてはならない。アブダビGPの幸運だけで、タイトルを手にしたわけではなく、7度もチャンピオンに輝いていた絶対王者のハミルトン選手をコース上で圧倒し、新チャンピオンの座につくにふさわしい走りを披露していた。
ウイニングランを終えたフェルスタッペン選手は、ホームストレート上にマシンを止めてコクピットを降りると、左後輪タイヤの前でひざまずき、初戴冠にむせび泣いた。
その後、レッドブルのスタッフが待つピットウォール付近まで走ると、待っていた父親のヨス・フェルスタッペンと抱き合い、メカニックたちに肩車されて喜びを爆発させた。
ここで撮影を許可されたカメラマンは数名しかおらず、その中に熱田さんがいた。単行本「歓喜」の表紙に使用されたフェルスタッペン選手のガッツポーズはこのとき撮影されたもので、唯一無二の作品だ。
その後、フェルスタッペンはパルクフェルメに入って、ホーナーやヘルムート・マルコら、チーム首脳陣と喜びを分かち合った。そのマルコの横に陣取っていたのが、山本雅史マネージングディレクターだった。近づいて来たフェルスタッペンの肩をたたいて祝福した山本さんは、そっとポケットからあるものを取り出し、フェルスタッペンの前で広げた。それは、レース前に私が山本さんに手わたした日の丸だった。
このパルクフェルメには表彰台を獲得したチームの専属カメラマンとF1の専属カメラマンしか入れない。レッドブルの専属カメラマンが撮影しているかどうか不安だったが、しばらくしてレッドブルのメディアサイトを確認したら、しっかりとアップロードされていた。
山本さんもギリギリまで日の丸を渡すかどうか迷ったという。確かにフェルスタッペン選手はオランダ人であり、レッドブルはオーストリアのチーム。それでも、写真を見る限り、フェルスタッペン選手は喜んで日の丸を山本さんと一緒に広げているように見える。この写真から、いかに山本さんがレッドブルから信頼され、フェルスタッペン選手がホンダを愛しているかが伝わってくる。
山本さんがいなければ、この写真を見ることはできなかっただろう。私にとって、さまざまな思いが詰まった忘れることのない一葉の写真となった。