尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第30話】涙の理由

2021年のF1最終戦後、当時のF1テクニカルディレクターであった田辺豊治氏が、同じく当時副テクニカルディレクターの本橋正充副氏と抱き合い、涙を流していた

 2021年のF1最終戦アブダビGPの決勝レースが終了した後、私はいつもようにドライバーたちの声を拾いに、ミックスゾーンへ向かった。

 そこにやってきたアルファタウリの角田裕毅選手の顔は、自然と笑みがこぼれていた。それは、角田選手がこの日のレースでメルセデスのバルテリ・ボッタス選手を2度もオーバーテイクして、表彰台まであと一歩となる4位でチェッカーフラッグを受けたことだけが理由ではなかった。

 ここまで角田のレース人生を支えてきたホンダが、マックス・フェルスタッペン選手とともにドライバーズチャンピオンを獲得したことも大きく関係していた。

「マックスを大いに祝福したいです。今シーズンはとても激しい争いで、今日の結果はチャンピオンにふさわしい結果だと思います。彼がホンダに素晴らしい結果をもたらしてくれたことにも感謝したい。彼のおかげでホンダのF1最後の年を最高の形で祝うことができました」

 角田選手のコメントをもらった後、私の足は自然と、表彰式を終えてホンダのスタッフが帰ってくるであろうレッドブルのホスピタリティハウスへと向かっていた。すでにそこにはホンダの山本雅史マネージングディレクターをはじめ、ホンダの首脳陣が集まっていた。そして、ホンダが用意していたチャンピオンTシャツを重ね着していた。

2021年の最終戦では表彰台まであと一歩となる4位でチェッカーフラッグを受けたアルファタウリの角田裕毅選手

 しばらくすると、「じゃ、アルファタウリのガレージ前へ行くぞ」という山本さんの掛け声とともにホンダのスタッフが移動を始めた。レース前に、熱田護カメラマンから「レース後にホンダの最後の集合写真を撮らせてください」とお願いされていたからだった。

 山本さんの後を追って、ピットレーンを走っていくと、アルファタウリのガレージ前でホンダのスタッフたちが歓喜していた。その中には、マクラーレン時代にフェルナンド・アロンソ選手のパワーユニット・エンジニアを務めていた森秀臣エンジニアの姿もあった。

アルファタウリのガレージ前で歓喜していたホンダのスタッフたち

 2014年にホンダがF1復帰へ向けて、初めて実走テストを行なったのがアブダビだったことは以前にも触れたと思う。そのテストは、トラブルに次ぐトラブルの連続で、ホンダのエンジニアはホテルに帰ることができず、サーキットで不眠不休で作業を続け、最終日はフラフラで立ってられない状態だったという、あの伝説のテストだ。

 森エンジニアはその後、イギリスのミルトン・キーンズにあったホンダのファクトリーに勤務していたが、最終戦ではピエール・ガスリーの担当エンジニアとして参加していた。その森エンジニアと抱き合っていたのがレッドブルで当時セルジオ・ペレス選手を担当していた湊谷圭祐パワーユニット・エンジニアだった。

マクラーレン時代にフェルナンド・アロンソ選手のパワーユニット・エンジニアを務めていた森秀臣エンジニア(奥)と、当時セルジオ・ペレス選手を担当していた湊谷圭祐パワーユニット・エンジニア(手前)

 このようにアルファタウリのガレージ前では、レッドブル、アルファタウリという配属に関係なく、ホンダのスタッフたちが喜びを分かち合っていた。それはマックス・フェルスタッペン選手がチャンピオンを獲得したからというより、「ホンダとして、やり切った」という充実感があったからではないだろうか。

 その証拠に、このときレッドブルのガレージ前はまだひっそりしていた。というのも、チェッカーフラッグ直後にメルセデスがレース再開方法を巡って、レース審議委員会に抗議を出しており、フェルスタッペン選手のチャンピオンは確定していなかったからだ。

 そんな中、ホンダはアルファタウリのガレージ前で、スタッフ全員での集合写真を撮影していた。しかも、みな笑顔だった。それはメルセデスの抗議がたとえ認められて、決勝レース結果が覆ったとしても、最終戦を全力で戦ったことに変わりなかった変わりなかったからだったと思う。そのことを確信したのは、この直後に目撃した、ある涙だった。撮影を終え、取材を始めようとした時、目の前で田辺豊治F1テクニカルディレクターが本橋正充副テクニカルディレクターと抱き合い、涙を流していた。それまで4年間、田辺さんを取材してきたが、あれほど感情をむき出しにしていた田辺さんを見るのは初めてだった。

アルファタウリのガレージ前で、ホンダスタッフ全員で集合写真を撮影した

 田辺さんと本橋さんの関係は、ホンダの第3期F1活動時代から続くもので、当時ジェンソン・バトン選手の担当エンジニアだった田辺さんの下で一緒に仕事したのが本橋さんだった。

 アメリカのインディで仕事していた田辺さんが2018年からテクニカルディレクターとしてF1に復帰したとき、Sakura(当時はHRD)で仕事していた本橋さんを現場の副テクニカルディレクターに抜擢したのも田辺さんだ。

 本橋さんは田辺さんが影ながら苦労していたことを間近で見てきた人間だった。

「田辺さんは第2期のころチャンピオンを経験していますが、今は立場が違うし、背負っているものの大きさが違います。しかも、F1プロジェクトに入ってきた2018年以前はアメリカでインディをやっていたので、2015年以前からF1プロジェクトで仕事していた私たちに追いつこうと一生懸命パワーユニットのことを学んでいました。その姿を見ていたので、本当にお疲れ様でしたと言いたいです」

 その後、レース審議委員会がメルセデスの講義を却下してフェルスタッペン選手のチャンピオンが確定。これを受けて、レッドブルとレッドブルで仕事するホンダのスタッフがホームストレート上で集合写真を撮影。ひと通りの取材を終えてメディアセンターへ帰ると、時計の針は22時をまわっていた。

2021年シーズンのF1チャンピオンを獲得したマックス・フェルスタッペン選手とホンダの山本雅史マネージングディレクター

 そこから深夜過ぎまで原稿執筆作業を行ない、ホテルへ帰ったのは朝方だった。熱田カメラマンが運転するレンタカーに乗ってホテルへ帰る途中、「あんなこともあった」「いや、こんなこともあった」と、1年を振り返る話で盛り上がった。

 考えてみれば、コロナの中で取材を1年間続けるなんて経験は、もしかするとこれが最初で最後となるかもしれない。さらに、その1年でホンダが30年ぶりのチャンピオンを獲得し、フェルスタッペン選手が史上最強と言われたメルセデスのルイス・ハミルトン選手との激闘の末に初の王者となった。こんな1年、30年以上、F1を取材してきて、初めてのことだった。

 ホテルへ到着すると、熱田カメラマンが右手を差し出してきた。

 感謝しなければならないのは、こちらのほうだった。差し出された右手を握りしめ、私たちの旅はここで幕を閉じた。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。