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ヤマハ製スーパーカー「OX99-11」も走った! 「ヤマハ歴史車両デモ走行・見学会」レポート
歴史的なヤマハの2輪車30モデル、4輪車3モデルを全車紹介
2016年11月17日 11:50
- 2016年11月5日 開催
ヤマハ発動機は11月5日、静岡県袋井市にあるヤマハ袋井テストコースで「ヤマハ歴史車両デモ走行・見学会」を開催した。
このイベントは、ヤマハの企業ミュージアムである「ヤマハコミュニケーションプラザ」が収蔵するヤマハ製2輪車と、ヤマハが開発に携わった4輪車の計64台展示に加えて、テストコースを使ったデモ走行を披露するというもの。本稿では展示車両とデモ走行を行なった全車の写真を掲載する。
今回同様のイベントは8年前の2008年に開催されたことがあり、そのときも約1500名が訪れ好評だった。しばらく開催されずにきたが、2015年に7年ぶりの開催が決定したものの、雨天により中止となっていた。それだけに、今回は関係者やファンが「今年こそ!」という思いで当日を迎えた。そんな強い願いのおかげか、今年は朝から快晴。11月に入ったというのに半袖でも過ごせるほどの暖かい日になった。
会場になったヤマハ袋井テストコースは、コースの性格上、多数の来場者が訪れることを想定した作りではない。そのため、クルマで来る人は近隣にあるヤマハグローバルセンター駐車場にクルマを停め、そこから無料シャトルバスで会場入りするという段取り。駐車スペースをあまり取らないバイクは直接会場入りして、テストコース脇に用意された特設駐輪場に停めるというアクセス方式が設定されていたので、来場者はスムーズに会場入りできるはずだった。
ところが、ゲートオープンの1時間前にはヤマハ側が想定した以上にたくさんのバイクがテストコース周辺に集まったため、ゲートオープンを30分ほど早めてこれに対応。その後も続々とバイクが到着し、あっという間にコースサイドの駐輪スペースが埋まったため、当初予定していなかった場所も臨時で駐輪スペースになるほどだった。
さらにクルマの駐車場になっていたグローバルパーツセンターも入場待ちのクルマで渋滞が発生。シャトルバスも渋滞に巻き込まれて予定時間どおりの運行ができないほどの事態となった。会場入りしてくるシャトルバスの車内は都内の通勤バス並みの満員状態で、このイベントに対するファンの期待度の高さが感じられた。
ヤマハ側でも8年前より多くの来場者が訪れることは想定していたと言うが、予想を遙かに上まわる人数が同じ時間に集中して来たため、このような状態になったようだ。それだけ「イベントを見たい」と思った人が多かったと言うことで、この点はうれしいことだが、混雑にストレスを感じた人が少なからずいることも事実。これについて、イベント終了後にヤマハのコミュニケーションプラザページで「感謝とお詫び」という文章が掲載されている。
そんなハプニングもあった「ヤマハ歴史車両デモ走行・見学会」だが、スケジュールはオンタイムで開始された。開始から1時間30分は展示車の見学時間となっていて展示スペースは賑わっていたが、なかでも1955年製の2輪車「YA-1」には常に人だかりができていた。
このバイクはヤマハの製品第1号であり、当時のバイクは黒一色で重厚なデザインばかりだったところに、栗茶色のスリムな車体デザインでデビュー。「赤トンボ」の愛称で人気になったとのこと。エンジンは空冷2ストローク単気筒で排気量は123cc。最高出力は5.6PS/5000rpm。最大トルクは0.96kgm/3300rpm。大卒初任給が平均1万円だった時代に13万8000円という価格設定になっていたが、それでも3年間で約1万1000台が販売された名車である。
今回のイベントでは計30台の2輪車が展示されているので、このほかの展示車は最後にまとめて写真でご紹介する。
また、会場に持ち込まれた4輪の展示車は3車種5台。まずはトヨタ自動車と共同開発を行ない、ヤマハの磐田工場で生産された「トヨタ 2000GT」。DOHC直列6気筒エンジン、ダブルウイッシュボーンサスペンション、4輪ディスクブレーキ、マグネシウムホイールなどに加え、ボディの一部にはFRPを用いるなど、当時の先端技術が総動員されたクルマだった。発売当時の価格は238万円で、職人のハンドメイドで生産していたことから月産台数はわずか8台のみ。1970年10月までに約340台が生産された。展示&デモ走行車は1967年式の車両。
次はレクサス(トヨタ自動車)「LFA」。日本が世界に誇るスーパースポーツカーで、エンジンはヤマハ製のV型10気筒40バルブ、排気量は4.8リッターである。エンジンは専門のエンジニアが手作業で組み上げていて、エンジンルームのカバーにはエンジニアの署名が入っている。シャシーはCFRP(炭素繊維強化プラスチック)製を採用。エンジンだけでなく車体も熟練した職人の手によって組まれていて、500台のみが限定生産された。展示&デモ走行車は2010年式。
そして4輪車の目玉は、ヤマハが市販を目指して製作したスーパーカーである「OX99-11(オーエックスナインナインイレブン)」だ。シャシーはCFRPモノコックを採用し、サスペンション形式などを含めて“フォーミュラカーそのもの”という構造。そこにFRPや金属などを使う複合素材のボディを被せている。エンジンも当時F1用に作っていた3.5リッターのV型12気筒エンジンを、セッティングから補機類まで含めて公道向けに作り直して搭載した。
市販車として設計されているので、ヘッドライトはもちろん、ウインカーやサイドミラーといった公道を走るために必要な装備も完備。室内に目を移せばエアコンのスイッチもある。乗車定員は2名だが、ドライバーがキャビンのセンターに乗り、もう1人はドライバーズシートの左後方に設けてあるオフセットされたシートに座るというスタイル。今回展示されているのはプロトタイプ車両だが、発売寸前までいったクルマだけに価格が決まっていて、なんと1億円オーバーというものだった。
ちなみに、今回のイベントでは3台のOX99-11が登場したが、よく見るとホイールとブレーキキャリパーの仕様が異なっていた。展示車のとなりに立っていたヤマハのスタッフに尋ねてみると、丸みを帯びたグレーの5本スポークホイールが当初のデザインとのこと。このホイールを装着したクルマだけがブレーキキャリパーに「YAMAHA」のロゴが入っていたので、この車両が市販モデルに一番近い仕様なのかもしれない。
デモ走行の実施方法は、2輪市販車はテストコースのストレートを2往復、2輪レーサーと4輪車はアウト&インラップを入れてテストコースを4周する(ショートカット区間利用の短縮バージョン。ストレートは2回通過)というメニューを用意。各車のスタート前には場内アナウンスでそれぞれの車両について説明が行なわれていた。
2輪市販車を走らせるライダーはヤマハのスタッフが担当し、2輪レーサーについては2名のゲストライダーが起用された。1人は本橋明奏さん。本橋さんは1962年からヤマハの契約ライダーとして国内外で活躍。世界GPでも1966年の日本GP 125ccクラスで3位、1967年のマン島TTレースで125ccクラス3位、同年の日本GP 250クラスで2位を獲得。1977年に引退するまで、ファクトリーマシンの開発なども行なっていた。
2人目は河崎裕之さん。1968年~1976年、1983年~1988年にヤマハに在籍し、1970年に全日本選手権 251cc以上クラスのチャンピオンを獲得。さらに世界GPでも500ccクラスにおいて1979年のオーストラリアGPで5位、1981年に3位、1987年の日本GPでは7位を獲得。その後、「YZR500」の開発ライダーも務めた人物だ。
4輪車のドライバーは、トヨタ 2000GTの走行を担当したのはヤマハ パフォーマンスダンパー開発で評価ドライバーを務め、トヨタ 2000GTの管理責任者でもある原田豊二さん。レクサス LFAは、LFAのエンジンである「1LR」開発時にエンジンの評価を担当していた名倉雅和さん。
そして黒いOX99-11は、元国際A級ライダーで1996年の全日本GP250チャンピオン、1987年 全日本GP500のランキング3位となり、現在はヤマハ パフォーマンスダンパーの開発評価ドライバーである片山信二さん。緑色のOX99-11はヤマハ パフォーマンスダンパー開発評価ドライバーの三浦伸一郎さん、赤いOX99-11は、OX99-11に搭載されているエンジンのベースになったF1用V12エンジンであるOX99の設計者の1人で、現在OX99-11の管理責任者である飯倉雅彦さんが務めた。
このように、それぞれの車種のドライバーにふさわしい人選がされていたので、気難しいところもありそうな各マシンをスムーズに走らせていた。では、ここからは各車の写真を掲載していく。