“48年間のありがとう”、多摩テック閉園に向けてのカウントダウン
フィナーレイベント「Classic『モンキー』サンクスデー」開催

多摩テック初代所長の高橋国光氏とホンダ「モンキー」

2009年7月4日開催
2009年9月30日閉園



 東京都日野市にある「多摩テック」は、1961年(昭和36年)にオープンした郊外型の遊園地。ゴーカートや各種のコースターなど多数の乗り物を取りそろえ、乗り物に乗る楽しみを伝える施設として開園した。実際、来場者も「多摩テックは乗り物が一杯ある遊園地」と認識しており、園内にある天然温泉施設の「クア・ガーデン」に加え、近隣には「多摩動物公園」もあることから、レジャー施設の豊富な地域として知られていた。

 48年という長い歴史を誇る多摩テックの閉園日が9月30日に決まり(同時にクア・ガーデンも終了)、その日も近づいてきたことから7月4日~9月30日まで多摩テックでは、復刻版のアトラクションや、過去園内で使用された乗り物の展示など、グランドフィナーレイベントが開催される。そのオープニングを飾ったのが初日に行われた「Classic『モンキー』サンクスデー」だ。

 本田技研工業の原付オートバイ「モンキー」は、そのかわいい外見と、コンパクトなサイズでロングセラーとなっているモデル。このモンキーの原型となったモデルは、多摩テックなどの乗り物として作られたもので、遊園地とのゆかりも深いことからフィナーレイベントのオープニングを園内パレードで飾ることになった。

開会の挨拶を行う高橋国光氏(左)と長谷見昌弘氏(右)

 全国からモンキー乗りが集まったほか、ゲストとして多摩テックの初代所長を勤めた高橋国光氏や、多摩テックに併設されていたオートゲレンデをホームコースとしていた長谷見昌弘氏が招かれ挨拶を行った。現在、両氏ともSUPER GTで監督業を行っているが、4輪レーサーとしてはもちろん、かつては2輪レーサーとして活躍しており、日本のモータースポーツの黎明期を支えてきた。

 高橋氏は、多摩テックがなくなる寂しさを語るとともに、全国から駆けつけてきてくれたモンキーユーザーにお礼を述べ、今日1日を楽しんでいただきたいとし、長谷見氏は多摩テックは自分が腕を磨いた場所であり、ここを作ったホンダ創業者の故本田宗一郎氏に感謝を述べるとともに、自身のモンキーを持ち込んだことを明かした。

多摩テックを運営するモビリティランドのキャラクター「コチラ」の先導によってパレードはスタート高橋氏と長谷見氏がモンキーに乗ってコチラに続く高橋氏とモンキーの40周年記念車。高橋氏のヘルメットデザインはとても有名で、このデザインをベースにしたヘルメットを使うレーサーも存在したほど
長谷見氏とモンキーZ50A。この黄色いモンキーは長谷見氏自身のものだ多摩テックでかつて用いられていた乗り物「走る椅子」。運転席には多摩テックの園長が乗り、助手席には多摩テック園内にある天然温泉クア・ガーデンの女将さんが乗ってパレード多摩テックのゴーカート「フォーミュラX」に乗るのは謎のレーサー「X」
全国から集まったモンキー。これらのモンキーがコチラに続いて園内をパレードした

 園内パレードの後は、各ユーザーが持ち込んだモンキーの紹介が行われた。モンキーは1967年に国内用の市販モデルが登場して以来、40年以上の歴史を持つため、これまで数多くの改良が行われてきた。基本構成として、スーパーカブ系のエンジンを用いている部分は変わらないが、サスペンションの装備(初代モデルはサスペンションがなかった)、ロータリー式からリターン式へのトランスミッション変更などが行われてきた。また、モンキーはその手軽なサイズから、カスタム化するユーザーが多く、実際に会場ではホンダCB750風にしたモデルなどを見ることができた。

イベントステージ飾られていた初代モンキー Z100(1961年)。多摩テックなどの遊園地で用いられた乗り物で、フロントにもリアにもサスペンションはない。エンジンはOHV単気筒の49ccモンキー CZ100(1964年)。主に海外へ向けて販売された、モンキー初の販売モデル。エンジンはスーパーカブC100から、タンクとシートはスポーツカブC111から流用とのことモンキー Z50M(1967年)。こちらは初の国内市販モデル。エンジンがOHCに変更され、モンキーの特徴ともなっている折りたたみ式ハンドルが装備された
モンキー Z50A(1969年)。前後のタイヤが5インチから8インチに変更され、フロントにサスペンションを装備モンキー Z50Z(1970年)。リアフットブレーキを装備したほか、マフラーがダウンタイプからアップタイプに変更されている

 高橋氏に話を聞いたところ、「乗り物遊園地として多摩テックはオープンし、乗り物に対する夢と希望を乗せて今までやってきたと思っています。自分も、世界GPで日の丸を揚げた後(高橋氏は多摩テックの開園と同じ年に、オートバイの世界GPで日本人として初優勝)初代所長に就任させていただいた。多摩テックは同時に作っていた生駒テック(奈良県生駒市にあった遊園地)の次にオープンする予定だったのですが、工事が順調に進み生駒テックより先にオープンしたのを鮮明に覚えています。その多摩テックがなくなってしまうのは非常に残念ですが、多摩テックがあったからこそ、(モータリゼーションの発達した)今日があるのではないかと考えています。自分もオープン当時に多摩テックでモンキーで遊んだ覚えがあり、多摩テックはなくなってしまうものの、モンキーのような楽しい乗り物はこれからも多くの人に愛されていってほしいと思います」と、懐かしそうに当時のことを語ってくれた。

長谷見氏の所有するモンキー。とても程度のよいZ50Aハンドル基部のアップ。黒いダイヤルを回して取り付け部をゆるめるとハンドルを折りたためる。ホンダのウイングマークが懐かしい
ハンドル基部を別角度から。左右のハンドルは別々に折りたためる構造になっている自動遠心クラッチを持つ3速ロータリー式トランスミッション。前に1回踏み込むごとに、N(ニュートラル)→1速→2速→3速と変速でき、さらに踏み込むとNに戻る。3速で走行しているときに信号で停止することになっても、すぐにNに戻せるのがメリット。スーパーカブと同じものが用いられていた
高橋氏が乗った、モンキーの40周年特別仕様。タイプ的にはZ50J-Iとなる。Z50Mをイメージさせるチェックのシートなどが装備されているハンドル基部。トップブリッジの部分などやや異なるが基本構造に変更はない
40周年記念の特別仕様車のため、サイド部にスペシャルエンブレムが付いているこの時代のモンキーは、一般的なオートバイと同じく、湿式多板クラッチとリターン式のトランスミッションを持つ。ギアは4速になり、1速→N→2速→3速→4速と変速していく
ホンダの名車「CB750」をモチーフにカスタマイズしたモンキー。K0型を意識して作られており、ボディーカラーのほか特徴のある4本出しマフラーも再現。4本のマフラーはダミーではなく、実際に排気も出るスピードメーター(左)も220km/h仕様。ハンドル基部から変更されているのが分かる
これもモンキー。モンキーはホイールベースが短いため、スイングアームを変更して安定性を増す改造をほどこす人もいるこのモンキー CZ100は、ユーザーが持ち込んだ車両。またがっているのは、ユーザーの車両を紹介している司会者のお姉さんで「モンキーはかわいい」とも
イベント参加者のヘルメットにサインをする高橋氏。このヘルメットのデザインも高橋国光レプリカになっていた。高橋氏のサインの横には長谷見氏のサインも

 多摩テックでは、このClassic『モンキー』サンクスデーを皮切りに、多くのイベントが予定されており、7月11日からはプール営業とともに“水びたし”をテーマとしたイベントを、7月26日には鈴鹿8耐のパブリックビューイングが開催される。また、多摩テックの歴史を振り返るパネル展示も行われているので、ぜひ閉園前に一度訪れてみてほしい。

グランドフィーナーレを開催中の多摩テック。閉園まで3カ月を切った園内に入ると特設テントがお出迎え。多摩テックでかつて使われていた乗り物などが展示されているほか、多摩テックの思い出の写真を募る「思い出コンシェルジェ」コーナーが設けられている多摩テックの思い出の写真を持っていくとその場でスキャンしてくれ、子供には写真のピンズをプレゼント。なお、写真については、オンラインでも応募を受け付けており、多摩テックのWebサイト内にある「思い出アルバム」に掲載される。受け付けは8月31日まで
多摩テックの歴史がパネル展示されている「メモリアルストリート」メモリアルストリートに掲示されているパネル。多摩テックの歴史がつづられているパレードにも参加した走る椅子
こちらは復刻版のゴーカート。シンプルな作りの乗り物だ乗り物遊園地と言われただけあって、多摩テック内には多数の乗り物系アトラクションが用意されている園内には「懐かし横町」というテントが設けられ、その中にはホンダ「T360」も展示されていた。ホンダ初の量産市販4輪車であり、DOHCエンジンをミッドシップに搭載する
現在多摩地区には多数の天然温泉があるが、クア・ガーデンは「福福の湯」とともに多摩地区の温泉ブームの先駆けとなった。初期に開発されただけあって泉質はとてもよく、多摩テックに行った際は立ち寄っておきたい施設

 

(編集部:谷川 潔)
2009年 7月 8日