【第13回】竹寺で春の精進料理を食すですの、の巻 |
グルメ隊初の精進料理!ゆきぴゅーのお腹は満たされるか!? |
「ゆきぴゅーさんは精進料理って食べたことありますか?」
「たしか中学の修学旅行で食べましたわ」
「あらそうですか。で、どうでした?」
「昔のことで味なんか覚えてませんわよ。それよりエイミー。わたくし普段からお肉が食べたいお肉が食べたいって言ってるのに、よりによってなんで精進料理なんですの?」
「まぁまぁ、そう言わずに。今日行く竹寺の精進料理はかなりの評判らしいですよ」
「本当ですの?お腹いっぱいになるんですの?」
「一番高い6000円のコースを予約してますので期待していましょうよ」
そんなゆきぴゅーとエイミーが乗った車は、練馬ICから関越道を経て一路、圏央道へ。めざす竹寺は、狭山日高ICを下り飯能市内を経由してずんずんと山道を行きます。駐車場に降り立つと、うっそうとした新緑の中で聞こえてくるのは鳥のさえずりだけ。天上界に来てしまったような、そんな気さえする人里離れた場所なんですの。
今回ご紹介する竹寺の正式名称は「医王山薬寿院八王寺」。本尊にインド祇園精舎の守護神、牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、天王さまの呼び名で親しまれているお寺です。一番の特徴は、明治維新でお寺と神社を分ける「神仏分離令」にもれたために、お寺とお宮が同居する神仏習合の形として今に至っていること。このようなお寺は東日本ではここだけで、歴史的にも価値のあるお寺なんだとか。
時間になったので案内されたお部屋で待っていると、御年93歳のご住職が登場。ひとしきりお寺の歴史的なお話などを聞いたあと、いよいよお料理が運ばれてきます。
「わぁ~!竹の器が素敵ですわね」
「短歌みたいなのが添えられていますよ」
と、ここであらためてご住職のお言葉が入ります。
「ご覧の通り、竹寺の精進料理は3つの調和から成り立っています」
その3つというのは、まず食べ物、それから季節の草花(これを住職はアクセサリーと呼びますの)、そこに添えられる万葉の歌。
「さて。こちらのアクセサリー、これは何だかわかりますか?」
「はぁ……エイミーわかる?」
「何でしょうねぇ……」
植物に関してはまったく無知なゆきぴゅーとエイミー。恥ずかしいやらなさけないやら……。
「これはハナイカダといって、葉っぱの上に花が咲くめずらしい植物です。そして添えてある歌は、“春の野にすみれ摘みにと来しわれそ、野を懐かしみ一夜寝にける”。山部赤人(やまのべのあかひと)の、まさに今の時期を歌った歌なんですね」
「へぇ~!」
……と、こんな調子で竹寺では1品1品、住職のためになるお話を聞きながら精進料理を味わうんですの。
ちなみにゆきぴゅーのメモによると、その日は、フジ、ハナイカダ、ニリンソウ、ヤエツバキ、フタリシズカなどの“アクセサリー”が添えられていました。お料理も、ふきのとうの佃煮やずいきの白和え、竹の子の山椒味噌和え、葉っぱのてんぷら、〆は五目ご飯に、竹そば。デザートにカリンの砂糖煮などなどその数ざっと20品目。「普段食べないけど栄養のあるもの」が厳選されているという竹寺の精進料理は、毎年春と秋の期間限定で味わうことができます。
「目で食べて心で味わうのが料理の真髄」
ご住職のおっしゃったこの言葉を心に刻んで山を下りたゆきぴゅーとエイミー。
「どうでしたゆきぴゅーさん。お腹いっぱいになりましたか?」
「季節の草花と万葉の歌が心を満たしてくれたって感じがして大満足でしたわ。でもこう葉っぱばかり食べたあとはやっぱりお肉が食べたくなりますわね」
「え~っ?!まだ食べるんですか!?」
「だってお肉は別腹っていうじゃないですの」
■行ったところ
竹寺(http://www.takedera.com)
埼玉県飯能市大字南704
TEL:042-977-0108
アクセス:圏央道 狭山日高ICより約55分
精進料理は完全予約制。春の3月中旬~6月下旬、秋の9月中旬~12月中旬に開催。お料理は品数によって3000円、4000円、5000円、6000円のコースが選べます。ちなみに秋のメニューは、柿、栗、ぎんなん等が中心とのこと。次は秋の精進料理も挑戦してみたいと思っていますの。
より大きな地図で【第13回】竹寺で春の精進料理を食すですの、の巻を表示
■■このクルマでドライブしました!■■ ゴルフ TSI トレンドライン登場早々に人気沸騰の6代目ゴルフのベーシックモデル。話題の新開発1.2リッターTSIエンジンは、その排気量からは想像できない豊かなトルクを低回転から提供してくれて、街中でも高速でも運転はラクラク。それでいて燃費は優秀なんだから、人気が出ないわけがない?! |
■プロフィール
ゆきぴゅー(ゆきぴゅーおふぃしゃるほーむぺえじ)
イラストレーターとライターを足して2で割った“イラストライター”。長野でフツーのOLをしていたが何の因果か鬼畜デジカメライターの弟子(奴隷)となり2000年に上京。日々の過酷でセクハラな毎日を絵日記で綴っているうちに絵の道に目覚め、ついに2005年独立。以降あちこちでタダでごはんを食べながらポンチ絵画家としてのお気楽な人生を歩んでいる。
エイミー
女性カメラマン。カメラマンとして名を馳せるべくボスニアに戦場カメラマンとして渡るも、行った早々流れ弾に当たってしまいあえなく帰国。車にまったく興味がないゆきぴゅーとは正反対に機械モノが大好き。食べるのも大好き。封印したはずの赤いバンダナは、ネット上で復活希望の声があるとかないとか(でももうしません!)
2010年 5月 12日