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【特別寄稿】オグたんが語る、F1 オーストリアGPでのホンダエンジンの躍進
これまでのホンダのF1チャレンジを振り返る
2019年7月3日 05:00
6月30日(現地時間)にオーストリア南部のレッドブルリンクで開催されたF1 第9戦オーストリアGPで、アストンマーティン・レッドブル・レーシングのマックス・フェルスタッペンが優勝。これはホンダにとって2015年のF1復帰以来初勝利となるもの。ホンダとしてのF1での優勝は、2006年ハンガリーGPでのジェンソン・バトンによるものから13年ぶりでもあった。
フェルスタッペンは2番手グリッドだったが、スタートに失敗。1周目の終了時点で7位にまで落ちていた。だが、そこから追い上げた。その追い上げの中では、今季の2強のメルセデスとフェラーリも追い抜いていた。レッドブルリンクは、1周のうちのスロットルの全開率が7割以上というパワーユニットの出力が問われるコース。ここで上位勢との真っ向勝負で勝てたのは、フェルスタッペンの強さももちろんだが、ホンダのパワーユニットの強さも見えた。追いつき、追い越せの大興奮なレースだったのと同時に、ホンダがついにここまで来たかという感慨深さもあった。
ホンダのF1挑戦を振り返る
ホンダは2008年にF1活動から撤退していたが、2013年に翌々年の2015年からF1に復帰すると発表した。その発表では、エンジンとハイブリッド装置を組み合わせたパワーユニットの供給先がマクラーレンになるとも発表された。
「マクラーレン・ホンダ」というコンビネーションは、1988年には16戦15勝の圧勝でF1を席巻し、以後1991年までF1の頂点を極めていた。2015年当時、「マクラーレン・ホンダ」の復活に過去の栄光を重ねて、過大な期待をする声が多かった。だが、ホンダの復帰はそう簡単ではないと筆者は見ていた。それは、2015年春の鈴鹿サーキット モータースポーツ感謝デーで歴代のホンダのF1マシンが展示したところでの説明と講演でも、理由を添えて述べていた。
1964年にホンダがF1に初参戦したとき、横置きV12エンジンという極めて独創的な技術のマシンを投入。そこに経験不足もあって、初年度はリタイア続きで、優勝できたのは翌年の最終戦になっていた。それでも、この経験は現代のレーシングカーの大部分が採用している、エンジンやギヤボックスを車体構造の一部にする手法を実現した。
1983年にターボエンジンでF1に戻ったときもやはりリタイア続きの大敗で、16戦15勝をするまで5年を要していた。だが、1986年~1988年のターボエンジンの最後の3シーズンは独自の技術で、現在のダウンサイジングターボの嚆矢と言えるような低燃費と大パワーを両立。他を圧倒していた。自然吸気エンジンのV10、V12でも独自の技術で大パワーと操縦性のよさを高次元で両立していた。
2006年の勝利も、2000年からのF1復帰(それまでは無限ホンダで参戦を継続して、技術アップデートはしていた)から時を経てというものだった。
毎回ホンダは、独自で独創的な技術開発をしようとし、結果としてあえて困難な道を選ぼうとする。だが、ホンダはF1から離れると組織を解体してしまいがちだった。そして、活動再開となると新たな組織をまた作り上げ、若手技術者を多用して育て上げようとする。そのため、頂点への道はさらに長くなり、最初は大敗から始まり、そこから世界に追いつき追い越せというのが常だった。そして、それがホンダの技術者たちの挑戦の姿であり、ある意味「伝統」なのか? とも感じてきた。
一方、マクラーレンも2013年~2014年にはジェンソン・バトンを擁し、最強のメルセデスのパワーユニットをもってしても未勝利に終わっていた。マシンの開発体制と方向性が不安定で、ダウンフォースを得るために空気抵抗が大きいものだった(この空気抵抗が大きいという問題は、昨年まで続いていた)。また、組織としてもマクラーレングループはスポーツカーも生産する巨大企業になったものの、F1チーム運営に必要な即応性がやや失われているようにも見えた。
果たして、マクラーレン・ホンダは惨憺たる初年度を迎えた。ホンダのパワーユニットは、マクラーレン側からの要求に従ったサイズゼロコンセプトとして小型化することで車体側の設計の自由度を増してあげるというものだった。だが、パワーユニットは信頼性と出力が不足。わるいことに、小型化した設計コンセプトは機器類の設計や配置の変更を難しくしてしまっていた。ホンダは独創的な発想で世界挑んだものの、完全に叩きのめされてしまったのだ。しかも、メルセデス、フェラーリ、ルノーはパワーユニット規定導入初年度から参戦しており、1年遅れて参加したホンダはその経験の差が極めて大きいことも思い知らされてしまった。
マクラーレンとの2015年~2017年の3シーズンは、ホンダにとってまさに大敗だった。マクラーレン側は自身の車体の問題点は言及せず、ホンダだけに敗北の責任転嫁をするような発言もしていた。だが、ホンダの技術者たちは苦戦のなかで実践的な技術としてさまざまなことを学び、パワーユニットの投入基数制限によるグリッドペナルティを受けてでも、次々と改良型を投入してきた。
マクラーレンのあと、2018年からホンダはトロロッソにパワーユニットを供給した。このチームはレッドブルの若手選手を育成するBチーム的な存在で、中堅チームとの再挑戦はホンダにとって打ってつけだったのだろう。トロロッソはホンダとともに前進するという協力的な姿勢でもあった。経験も備えはじめたホンダはパワーユニットの改良も進み、開幕前のテストをトラブルフリーで走り切るなど、それまでの信頼性の課題をかなりクリアしていた。また、出力も徐々に上がってきていた。
トロロッソとのパートナーシップのさなか、本家レッドブルチームも2019年からホンダを選ぶと発表した。レッドブルチームは車体作りが上手く、チャンピオン経験もあるトップチーム。これで敗北すればまた「ホンダがわるい」ということになりかねない。ホンダにとっては躍進へのチャンスであると同時に、ダメなら弁解の余地がない選択。とても勇気ある決断だと思えた。
今季、開幕からメルセデス勢が連勝し、それをフェラーリが追うという展開だった。そして、レッドブル・ホンダはこのトップ2チームの後を追うことが多かった。
だが、ホンダにとってトロロッソとレッドブルの2チーム4台に供給することで、より開発と改良が進んでいる。そして、6月に入って改良型のパワーユニットを投入。これが今回のオーストリアGPで功を奏した。おかげで、フェルスタッペンはメルセデスやフェラーリを追い抜いて優勝。1つのステップを刻むことになった。
強かったホンダの体制を思い起こさせる今季
2013年のホンダのF1復帰を振り返ると、そのプロジェクトのトップと体制も変わってきた。復帰発表から参戦初年度のF1プロジェクト総責任者は新井康久氏が担当した。新井氏は、ホンダ内で失われていたF1参戦体制をゼロから再構築した。先述のように、マクラーレン・ホンダという昔の栄光の名による過大な期待とそれとは裏腹な現実のギャップの大きさに、新井氏は批判の矢面に立たされてしまった。だが、新井氏なくして現在のホンダのF1組織はなかったと言ってもよいだろう。
2016年から新井氏の後を継いだ長谷川祐介氏はF1経験もある技術者で、パワーユニットの課題に挑み、より上を目指せる状況を切り開いていった。長谷川氏の体制での進歩と設計コンセプトレベルからの見直しがなければ、2018年の信頼性向上をはじめ、今のホンダのF1にはつながらなかったはず。
2018年からは田辺豊治氏がF1のテクニカルディレクターに就任。田辺氏は先達たちが切り開いてきた道を受け継ぎながら、自身のF1やインディカーのモータースポーツでの豊富な経験も活かすことで、今回のオーストリアGPでの優勝に結実している。
今春からは、山本雅史モータースポーツ部長がF1マネージングディレクターに就任。F1活動全般をより深く細かく統括するようになった。おかげで、ホンダのF1は山本氏と技術部門を統括する田辺氏とのツートップ体制となった。ホンダが強かった1980年~1990年代も、技術部門には研究所から来た監督がいて、チームなどとの契約や折衝、広報対応などには本社のモータースポーツ部(当時はモーターレクリエーション推進室)から専従の責任者を配置していた。
今年のホンダの体制は、強かったホンダの体制を思い起こさせる。もちろん、過去と現在は違う時代であり、また過大な期待をするのは禁物であることも分かっている。ただ、ツートップとしてそれぞれの専門性で役割分担することは、これまでよりも効率のよい組織にできるはずで、成功に向けてより前進しやすくもなるはず。その最初の成果が、今回の優勝になっているのかもしれない。
そして、日本と英国のホンダF1には優れた技術スタッフたちがいる。なかには、F1で最強を誇った時代を経験した人たちもいる。市販車開発で成功を収めた人もいる。フォーミュラSAEなどで世界的に注目された学生エンジニアたちも就職している。
でも、ホンダはオーストリアGPの優勝を手放しでは喜んでいないだろう。なぜなら、今回のオーストリアGPは暑さのなかで行なわれ、メルセデスなどはオーバーヒート気味となり、本来の力を出せていなかったからだ。それでも、今回の優勝はホンダの開発の方向性が正しいものになり、トップ勢と戦える方向にきたことを示せた。これで今後の開発へもさらに力が入ることだろう。
ホンダがより強くなって、再び技術で世界の頂点を究めてチャンピオンを獲得するにはもう少し時間がかかるだろう。先述のように、ホンダが時間をかけるのは常だ。それは安易に他の模倣はせず、独自開発という困難な道を選んできたからだ。
ツインリンクもてぎにあるホンダ・コレクションホールの展示室内の壁には、創業者の本田宗一郎や藤沢武夫らの言葉と理念がいろいろと記されている。そのなかには、レースで世界に技術力を問い、そこで磨いた技術でよりよい製品を作り、人々の暮らしをよりよくするというものもある。
今回のF1で得られた技術や知見も、最終的にはより高性能・高効率で楽しい走りで燃費が極めてよいハイブリッド車や、より小型軽量で高性能な電池やモーターを持つEV(電気自動車)やFCV(燃料電池車)にもつながるだろうし、近未来の私たちの暮らしとモビリティをより豊かで楽しいものにしてくれるだろう。
今回F1で優勝したホンダは、まだ技術チャレンジの道半ばなのだろう。