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ZF Sachsの歴史が学べるSachs Museumを訪れてみた

セバスチャン・ベッテル選手の青年時代のやんちゃ車(?)の展示も

ZFとSachsの両方のロゴが飾られているSachs Museumの外壁

 ドイツのティアワン部品メーカー「ZF」(ゼットエフ、正式名称はZF Friedrichshafen AG、以下ZFで統一)は、ZFの電動車(EV/PHEV/HVなどの総称)向け製品を扱うE-モビリティ事業部の本部が置かれているドイツ・シュバインフルトのオフィスで記者説明会を開催した。

 その会場となったのは、ZFが買収した旧Sachs(ザックス)のミュージアム「Sachs Museum」。シュバインフルトは元々Sachsの本拠地で本社機能などがあったため、SachsがZFに吸収された後も重要拠点として位置付けられている。現在はZFの電動車向けのソリューションを提供するE-モビリティ事業部の本部として、開発・生産の拠点となっており、Sachs Museumではシュバインフルトで創業したSachsの歴史について学ぶことができる。

1895年に創業したSachs。ZFに買収されて2011年に完全統合されるまでの歴史

創業時からZF Sachsになるまでのロゴがミュージアムの外壁に描かれている

 Sachsは1895年に、アーネスト・ザックスとそのパートナーによりシュバインフルトでFichtel&Sachsという社名で創業された。シュバインフルトは、ドイツ経済の中心地であるフランクフルトからクルマで約1時間30分、電車で約2時間という位置にある地方都市で、現在はZFだけでなく他の部品ベンダーも工場などを構えており、ドイツの自動車産業にとって欠くことのできない工業都市となっている。

創業者の1人であるアーネスト・ザックス(1867-1932)

 そうしたシュバインフルトで創業したSachsは、当初はベアリングのメーカーとしてスタートした。Sachsが最初に有名になったのは自転車向けのベアリングで、高性能で人気を集めたという。説明員によれば、この時のSachsの自転車用ベアリングは今でも人気を集めており、そのオリジナルのベアリングはeBayなどのインターネットオークションで高値をつけたりしているとのことだ。

1894年に製造された自転車用のボールベアリング
1903年に製造された最初のレーサーリングボールベアリング

 その後会社は順調に成長を遂げるものの、1929年には創業者のアーネスト・ザックスがベアリング部門をスウェーデンのSKFに売却(このため、シュバインフルトには今でもSKFの事業所がある)し、内燃機関の製造に集中するなどの方針転換を行なった。その後、アーネスト・ザックスは1932年に死去。会社はその子息が継ぐことになるが、ドイツはナチス政権の統制経済の時代へと突入。Sachsもそういった国有企業の1つとなり、民間企業としての歴史は一時中断することになる。

エンジンを製造する会社に業態転換

 1945年に第2次世界大戦が終わってナチス政権が崩壊すると、Sachsも民間会社として再生。再びザックス・ファミリーが所有する企業としての歴史を再開するが、1987年にザックス・ファミリーはすべての株式を外部の企業へと売却し、ザックス・ファミリーのビジネスは終了する。その後、携帯電話キャリアのD2を子会社に持っていたことからドイツでの免許を欲していたイギリス Vodafoneに買収されるなどの紆余曲折を経ながら、最終的に2001年にZF Friedrichshafen AGに買収され、その関連会社であるZF Sachsとして再スタート。そして2011年にZF SachsはZF本体に吸収され、現在はZFの一部として運営されている。

ミュージアムの全景
創業時はベアリングメーカーだったこともあり自転車の展示も多い
展示されているフォルクスワーゲン「ビートル」は、Saxomat方式のセミオートマチッククラッチが採用されている

もう少しでSachsが自動車メーカーになるところだった歴史的遺産や、ベッテル選手のやんちゃの痕跡が残るレーシングカーも展示

セバスチャン・ベッテル選手のFormula BMW時代の愛機

 Sachs Museumには、そうしたZF Sachsの歴史的な資産が多数展示されている。例えば、内燃機関では、当時ドイツでヒットした2輪車に採用されたという100ccのエンジンが展示されていた。

日本で言えば軽自動車に相当するようなこちらの車両。軽量、コンパクト、低価格で提供できるクルマとして設計されたが、計画は日の目を見なかった

 また、ミュージアムの奥には黄色い完成車が展示されている。これは1970年代初頭のオイルショックの時に、軽量で燃費がよく低価格なクルマが必要になったということで、SachsがOEMメーカーに提供しているコンポーネントを流用して当時のSachsのエンジニアが設計した完成車だという。かなり意欲的な価格で出せそうだということで期待されたのだが、最終的には販売されずに終わったとのこと。

 その理由はシンプルで、部品メーカーが完成車をリリースした場合には、自動車メーカーと直接競合することになる。日本で言えば、デンソーが自分で自動車を発売し、トヨタと競合してしまうようなものだろう。さすがにそれは自動車メーカーとの関係を壊しかねないということで、最終的に計画は破棄されたそうだ。しかし、エンジニアは試作した自動車を壊さず保存しておき、それが現在でもSachs Museumにひっそり展示されているのだ。

シューマッハ時代のフェラーリにクラッチやダンパーなどを供給

 また、Sachs MuseumにはZF Sachsとしてサポートしていたモータースポーツ関連の展示物も用意されている。7度のF1王者に輝いたミハエル・シューマッハ氏がフェラーリで活躍していたころにはサスペンションやクラッチをチームに提供しており、現在もそのパーツがSachs Museumに展示されている。また、その横には、現在のフェラーリ F1のエースドライバーであるセバスチャン・ベッテル選手が、ジュニアフォーミュラ時代に使っていた車両が展示されている。

ベッテル選手がFormula BMW時代にのっていた車両
サイドポンツーンにZF Sachsのロゴ
コクピット
リアセクション

 ベッテル選手は2004年にドイツ Formula BMW(今のレースで言えばFIA F4に該当するカテゴリー)のチャンピオンになって、翌2005年から欧州F3にステップアップ。2007年には負傷したロバート・クビサ選手の代役としてザウバー・BMWチームからF1 アメリカGPでデビューを果たし、その後はトロロッソに移籍。豪雨となった2008年のイタリアGPで初優勝を飾ったが、このレースは今でも伝説のレースと言っていいだろう。その後のベッテル選手の活躍は言及する必要もないことだろうが、2011年~2013年のF1世界選手権4連覇を成し遂げ、今もルイス・ハミルトン選手と並んでF1のトップオブトップのドライバーと言ってよい選手だ。

ニーズサイドに15個のスマイルマーク
コクピットの前に3個のスマイルマーク。貼る場所がなくなって横に貼るようになったということだろう

 Sachs Museumに展示されているのはベッテル選手が2004年にFormula BMWで20戦18勝でタイトルを獲得したときの車両。サイドにはZF Sachsのステッカーが貼られており、当時スポンサーの1社だったことを物語っている。

 特徴的なのは、ベッテル選手が勝つたびに貼っていたというスマイルマークが、その年の優勝回数である18個貼ってあるところ。自分のドライブするレーシングカーに女性の名前をつけるなどユニークな言動でも知られているベッテル選手が、若いころにもそういうキャラクターだったことがうかがえる展示で、微笑みを禁じ得なかった。

フォルクスワーゲンのパリダカ車両も展示されていた