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ホンダ、2015年からのF1復帰記者会見リポート

環境対応パワーユニットを供給し「マクラーレン・ホンダ」としてF1に参戦

記者会見場となったホンダの本社ビル前には第1期、第2期、第3期のF1マシンが展示された
2013年5月16日発表

 本田技研工業は5月16日、本社ビルにおいて記者会見を開催し、2008年末をもって撤退したF1世界選手権に、パワーユニットサプライヤーとして2015年から復帰することを明らかにした。1988年~1992年までエンジンを供給していたイギリスのコンストラクター「マクラーレン」とパートナーシップを結び、2014年より導入される環境に配慮した新規定対応のパワーユニットを供給していく。

 2015年に誕生する新チームはマクラーレン・ホンダとして、F1世界選手権に挑戦することになる。1992年以来のパートナーとなる両者だが、本田技研工業 代表取締役社長 伊東孝紳氏は「勝つためにやるという明確な意思をもって取り組んでいきたい」と述べ、4回目のF1挑戦となるホンダのF1参戦は勝利にこだわっていくという意思を表明した。

第1期、第2期、第3期という三回のF1参戦を果たしてきたホンダF1の歴史

 ホンダとF1の歴史は非常に古い。ホンダが初めてF1に参戦したのは1964年で、自社でシャシーを作成しての参戦となった。当初はイギリスのコンストラクターとパートナーシップを組んでエンジンだけを供給する予定だったのだが、土壇場でその話はご破算となり、自社でシャシーを製造して参戦することになった。

リッチー・ギンサーがドライブしたRA272

 初参戦翌年、メキシコGPにおいてホンダF1はリッチー・ギンサーのドライブするRA272が優勝を遂げ、初優勝を実現した。ついで、1967年に1964年のワールドチャンピオンであるジョン・サーティースが加入するとさらに実力をつけ同年のイタリアGPにおいてサーティースのドライブするRA300が劇的な2勝目を挙げている。だが、翌1968年にはテスト中にドライバーが命を落とすような事故が発生するという悲劇が起き、徐々に競争力が低下するなどしたため、シーズン終了時をもってF1参戦を休止するに至った。ホンダF1の歴史上、この時期を「第1期F1参戦」などと呼んでいる。

 そのホンダがF1に復帰したのは1983年のことで、この時はエンジンサプライヤーとしての参戦となった。1983年にはスピリットチーム、1983年~1987年にはウィリアムズF1チームにエンジンを供給し、1984年の本格参戦初年度にはダラスで行われたアメリカGPにおいてウィリアムズFW9・ホンダを駆るケケ・ロズベルグ(1982年のワールドチャンピオン、現在メルセデスF1のドライバーであるニコ・ロズベルグの父親)が復帰後の初優勝を飾った。その後、1986年~1987年にはウイリアムズF1チームがコンストラクターズチャンピオンを、1987年にはウィリアムズのネルソン・ピケがチャンピオンを獲得するなどの大成功を収めた。

アイルトン・セナがドライブした1988年のマクラーレンMP4/4・ホンダV6ターボ。年間16戦して脅威の15勝を記録した

 さらに1988年にエンジン供給先をウィリアムズからマクラーレンへと変更するとこの成功は続き、特に1988年には16戦15勝という圧倒的な戦績で、8勝をあげたアイルトン・セナが初のワールドチャンピオンになった。その後も、1989年はアラン・プロスト、1990年、1991年はアイルトン・セナがドライバーズチャンピオンを獲得したほか、1988年~1991年にはマクラーレンがコンストラクターズチャンピオンを獲得するなど、まさに大成功を収めた。しかし、1992年にはウィリアムズ・ルノーが圧倒的な戦績を納めると成績も徐々に低下し、1992年の末を持ってF1へのエンジン供給を休止した。この他にも、1987年~1988年にはロータスに、1991年にはティレルにエンジンを供給し、ロータス、ティレルには初の日本人フルタイムF1ドライバーの中嶋悟がドライブし、日本でF1人気が高まるきっかけの1つとなった。1983年から1992年までのエンジン供給によるF1参戦を「第2期F1参戦」と呼ぶ。

2002年型BAR004・ホンダ。カーナンバー12はオリビエ・パニスがドライブした車両

 そのホンダがF1に再度復帰したのが2000年、BAR(British American Racing)にエンジン供給をするという形での復帰となった。その前年には、自社によるシャシー開発プログラムも行われ、実際の実走テストまで行われ、シャシーコンストラクターとして復帰も検討されていたが、その開発プログラムのリーダーだった、ハーベイ・ポスルズウェイト氏が急死するなどもあって中止され、エンジンサプライヤーとしての復帰となった。その後、佐藤琢磨選手の2004年アメリカGPでの3位表彰台などの表彰台獲得はなんどか見せたものの未勝利に終わり、2005年の末にBARチームを買収し、2006年からはフルコンストラクターとして参戦することになった。その2006年のハンガリーGPでは、現在マクラーレンをドライブしているジェンソン・バトン選手が優勝するなどの活躍を見せたが、その後は低迷し、2008年末にリーマンショックが発生し世界的な大不況が発生するとそれを理由に撤退を発表した。

 なお、2008年のホンダは、その年の成績を捨てて翌2009年のシャシーを栃木研究所で開発しており、そのシャシーを翌年ホンダからチームを譲り受けたブラウンGP(現メルセデスGP)がブラウン001としてメルセデスエンジンを搭載して使用し、ジェンソン・バトン選手がドライバーチャンピオンに、ブラウンGPがコンストラクターズチャンピオンを獲得したというのは皮肉な話としてよく知られている。この2008年までの活動を「第3期F1参戦」と呼んでいる。

マクラーレンに対してパワーユニットを供給し、2015年より参戦

 そして今回ホンダは、「第4期F1参戦」呼ばれることになるであろうF1参戦を発表した。伊東孝紳社長は「今回F1世界選手権に参戦することを決定した。2015年からマクラーレンとのジョイントプロジェクトの元、パワーユニットサプライヤーとして参戦する」と高らかに宣言した。

本田技研工業株式会社 代表取締役社長執行役員 伊東孝紳氏
マクラーレン・グループ CEOのマーティン・ウィットマーシュ氏
握手をする伊東氏とウィットマーシュ氏

 単なる“エンジンサプライヤー”ではなく“パワーユニットサプライヤー”と伊東氏が表現したことには意味がある。というのも、2014年からF1のエンジン規定は大きく変更され、V6の1.6リッターターボチャージャーにダウンサイジングされるだけでなく、現在のKERSを発展させ、ターボからの排気なども含めてさまざまなレベルでエネルギー回生を行う回生装置とセットで、パワーユニットとして利用されることになるからだ。つまり、現在ホンダを含む日本のメーカーが市販ハイブリッド車に採用しているのと同様なシステムがF1のパワーユニットとして採用されることになるからだ。

 伊東社長は「前回の第3期F1活動にかかわった400人を超えるエンジニアは、その後市販車の開発に回り環境技術の開発などに大きな力を発揮した。今回F1のパワーユニットの規定が変わり、エネルギー回生システムやダウンサイジングターボチャージャーエンジンが導入されたことにより、F1の規定とホンダの方向性はマッチしていると思う」と述べ、エンジン規定の変更がホンダのF1復帰に対して後押しになっていると説明した。

 ホンダのパートナーになったのは、第2期ホンダF1で、通算44勝を挙げ、4度のドライバーチャンピオン、4度のコンストラクターズチャンピオンという輝かしい戦績を挙げたマクラーレンとなる。今回の記者会見には、マクラーレングループ CEOのマーティン・ウィットマーシュ氏が登壇し、同氏は「過去にマクラーレンとホンダのパートナーシップは大成功を収めており、大変名誉であるが、プレッシャーもある。ホンダはエンジン技術に非常に長けており、両者の良いところを生かすことで、強い意思を持って成功を収めていきたい」と述べ、ホンダとのパートナーシップに大いに期待していると述べた。

 なお、質疑応答では、ウィットマーシュ氏に対して、2015年にホンダがF1に参戦するまでの、新規定下での“空白の1年”となる2014年のパワーユニットに関するパートナーをどうするのかという質問が出たが、ウィットマーシュ氏は「我々は現在のパートナーを尊重しており、2014年まで現在のパートナーとプロとしての仕事をすることになる」と述べ、現在のエンジンサプライヤーであるメルセデスとの契約を続行することを明らかにした。ホンダとマクラーレンの噂が出て以降、メルセデス側からはホンダへの情報の流出を警戒する発言が相次いでおり、一部ではメルセデス側から違約金を払っても契約を破棄するのではないかというウワサもあったが、CEOであるウィットマーシュ氏の今回の発言により、そうした噂にも終止符が打たれることになりそうだ。

 契約期間やエンジンの提供が無償なのか有償なのかも含めて具体的な内容については発表がなかったが、伊東社長は質疑応答の中で「できるだけ長期間やっていきたい」と述べ、長期的な取り組みであることを示唆した。

F1から量産車へというだけでなく、量産車からF1へという技術の応用

記者会見では本田技術研究所 取締役 専務執行役員 四輪レース担当 新井康久氏も加わって質疑応答が行われた

 記者会見では、ホンダの伊東孝紳社長、マクラーレン・グループ CEOのマーティン・ウィットマーシュ氏のほか、質疑応答ではホンダの技術開発を行う本田技術研究所 取締役 専務執行役員 四輪レース担当 新井康久氏が登壇し、報道陣からの質問に答えた。

伊東氏:F1世界選手権に、マクラーレンとのジョイントパートナーシップにより、パワーユニットサプライヤーとして2015年より参戦する。マクラーレンチームに対して、ダウンサイジングターボチャージドエンジンとエネルギー回生ユニットを供給し、マクラーレン・ホンダとして活動していく。

 ホンダは1964年にF1に初参戦し、F1に参戦することで技術を磨き、人材を育ててきた。特に前回の参戦(第3期F1参戦)では、満足な結果を残せず、ファンの期待に応えられなかったことは、我々も残念だと感じていた。前回の参戦時に活躍した技術者は400を超えているが、そうした技術者がその後環境技術の開発などに回ってもらい、それがその後のホンダの飛躍を支えた面がある。そうした時に、F1でダウサイジングターボチャージドエンジンやエネルギー回生システムが導入されることになり、そうした技術をレースで磨くことで市販車にフィードバックできる環境が整っただけでなく、すでにホンダが持っている市販車の技術をレースに持ち込むことが可能になり、F1の方向とホンダの方向性がマッチするようになった。

 そうした中でホンダの若手の技術者の中からもF1に参戦したいという声がでるようになってきている。また、自動車のビジネスという非常に厳しい競争に勝ち残るために卓越した技術を進化させていく必要がある。そのために、若い技術者が技術を磨く場が必要で、F1はそれに適している。実際、創業以来ホンダはそうして競争にトライして、それにより成長したという面があり、そうした姿勢がファンの皆様に共感して頂いていた側面があった。ホンダのコーポレートスローガンは"Power Of Dreams"だが、それは人々と共に夢を求め、夢を実現していくという強い意思が込められている。この意思の元に、ホンダはかつての盟友でF1オンチームであるマクラーレンと共にF1にチャレンジしていきたい。世界一を目指し、ホンダの技術力を結晶して、一日も早く勝利を収めていきたい。

 最後に、今回の参戦にあたり、多大な尽力をしてくださった、FIA会長のジャン・トッド氏、フォーミュラ-ワングループCEOのバーニー・エクレストン氏に熱いお礼を申し上げたい。今年はホンダにとって四輪車販売50周年にあたり、その記念の年に新しいチャレンジを発表できたことを嬉しく思う。

ウィットマーシュ氏:歴史に残るマクラーレンとホンダのパートナーシップの新たな章を開けることができて嬉しく思っている。マクラーレンとホンダの組み合わせは80~90年代に大活躍をし、F1GPを44勝し、多数のワールドチャンピオンを獲得した。特に1988年のMP4/4では、16戦15勝という歴史的な記録を持っている。マクラーレンとホンダにとって新たな挑戦は、こうした過去の輝かしい戦績を背負ってのモノとなるため、決して楽な戦いではない。しかし、マクラーレンにも、ホンダにも同じレーシングスピリットがあり、勝利を目指すという共通の目標がある。両者の技術力を結晶することで、実現は十分可能だ。決して簡単な挑戦ではないと考えているが、両社ともに強い意思をもって、F1で勝っていきたいと考えている。

●質疑応答
──伊東社長の発言で、F1の技術が量産車にフィードバックされるだけでなく、量産車からF1にフィードバックされる技術があるという話だが、どの位の割合であるのか?また、こうした挑戦が日本の工業界を元気にすると思うか?
伊東氏:割合というのは正直お答えのしようがない。ただ、我々も量産車のハイブリッド技術は幅広くやっており、もうじき様々なタイプの車がでてくる。そうした車は燃費効果も高く、走りの面白さなども備えており、それらをレースに役立てていくというのは高い関心を持っている。特に14年規定で導入される。ダウンサイジングターボチャージドエンジン、そしてターボからのエネルギー回生というのは量産車にも適用できる技術だと考えている。F1でも効率という軸がでてきたので、チャレンジする価値があると考えた。こうしたレースに積極的にかかわっていくことで、我々も楽しみたいし、その成果を量産車に波及させたいと考えている。このように日本が得意な分野で、日本全体を元気にしていければと思っている。

ウィットマーシュ氏:昔のよい記憶がありますので、我々のホンダに対する期待は非常に高い。現在F1は大きく変わりつつ有り、効率を追求する方向になりつつあり、それが新しいチャレンジになる。ホンダのターボチャージャーに関する技術や、ハイブリッドの技術力は高いモノがあると理解しているので、このパートナーシップは成功すると思う。私が現在の職(CEO)について以来最もワクワクするような活動だ。

──技術的に難易度は高いのでしょうか?
新井氏:少ない燃料で走るというコンセプトそのものは、今の環境車と同じ。しかし、効率を一番高い所に持って行きつつ、パフォーマンスを出すという意味では難易度は高い。

──(伊東社長に)以前お話しを聞いたときに最近は若いエンジニアがサラリーマン的になっていて、F1をやりたくてホンダに入った人も減っているという話をされていたが、それは変わっているのか?
伊東氏:F1をやっているからホンダに入社したという人は確かに以前に比べて減っているかもしれない。しかし、それに甘んじちゃいけない。面白い会社、なんかワクワクする会社、日本全体をそうしていかないといけないと私は考えている。そういう姿を見て一緒に参加したいという若い諸君が増えることを切に望んでいます。

──参戦にあたり、コストをどれくらい見込んでいるのか、また何を期待して参戦するのか、勝算はあるのか?
伊東氏:費用に関しては、別に隠したいという訳ではないですが、言えるようなモノでもないので……ご容赦願いたい。何を期待して参戦したのかと言えば、やはり勝つこと。レースは勝つことに意味がある。勝たなければいけない、今回はそれを強く意識しながら活動を続けないといけない。今回ここに至る経緯は、そんなにすんなり決まった訳でもない。私が勉強中といったのは、本当にその通りの意味でした。経緯に関しては、すんなりとんとんとんときまった訳ではない。まさに勉強している最中だった。タイミング的にも、内容的に素晴らしい内容だと考えて、非常に私は喜んでいます。

──第3期F1の活動では、エンジン供給に関しても、車体に関しても迷走の連続だったと思いますが、そのあたりの総括はどうだったのか?今回の活動とはどう違うのか?また、これだけ大きな案件なので、取締役会でも諮られたと思いますが、反対する役員の方などはいらっしゃらなかったのですか?
伊東氏:取締役会も全員一致で承認してもらっている。会社として第3期F1をどうするかにはコメントを申し上げにくいが、私個人としてはF1をエンジンだけでなく、チーム運営も含めてやるのは大変なことだという認識がある。ホンダの得意分野はエンジンだが、F1に勝つにはエンジンだけでなく、シャシーも、ドライバーも、メカニックも、チームのマネージメントもすべてが最高のモノがそろっていないと勝てない。第3期の車体も含めたチャレンジというのは、チャレンジとして最高のモノでしたがチーム運営などを含めて学ばないといけない部分が少なくなった。そこで、今回はマクラーレンとホンダという最良の組み合わせが実現したので、このパートナーシップで長く続けていきたいという気持ちだ。

──ホンダからのエンジン供給は2015年からということで、2014年に関しては現在のメルセデスとの契約を続けることに問題はないのか?
ウィットマーシュ氏:F1はスポーツ面でも、コマーシャル面でも、技術面でも最高にチャレンジングです。その中で、来年に関しては現在のパートナーとの関係を続けていきます。これは現在のパートナーも理解してくれています。我々としては、2014年はプロとして今まで通り活動し、その後ホンダとのパートナーシップを楽しみにしている。

【お詫びと訂正】第2期F1の個所で、1988年が1998年となっていた部分がありました。お詫びして訂正します。

(笠原一輝)