奥川浩彦の「レースと写真とクルマの話」
第11回:ライコネン引退、日本グランプリの雄姿を振り返る
2021年10月8日 11:24
9月、キミ・ライコネンの引退が発表された。2021年10月8~10日に予定されていたF1日本グランプリが中止(別記事参照)となったため、日本のF1ファンはラストHONDAもラスト ライコネンも目にすることができなくなった。「今ごろ鈴鹿サーキットにいたはずなのに」と思うと悲しい。今回は日本のF1ファンに人気の高いライコネン選手をお届けしよう。
日本でのライコネン人気は高い。2019年の日本グランプリのチケットはチーム、ドライバーなど70種類のデザインから選べるスペシャルチケット(別記事参照)だった。チケット購入者の中でチームデザインの1位は当然レッドブル、2位フェラーリ。ドライバーデザインの1位はライコネン、2位はフェルスタッペン。歴代鈴鹿日本グランプリデザインの1位は1988年、2位は1993年とセナがワンツーで3位が2005年のライコネンだった。
2001年、ザウバーでのF1デビュー以降の所属チームは以下のとおりだ。
2001年:ザウバー
2002~2006年:マクラーレン
2007~2009年:フェラーリ
2010~2011年:WRCに参戦
2012~2013年:ロータス
2014~2018年:フェラーリ
2019~2021年:アルファロメオ
ライコネンの過去の日本グランプリで撮影した写真をピックアップしてみた。念のために撮影エリアについて説明しておこう。Car Watchの創刊が2008年夏、2009年からサーキット取材を始めたため2008年以前は筆者がプライベートで撮ったもの。2001、2003年の写真は見つからず、2002年の写真はフィルムで撮ったものをスキャンした。2009~2013年のF1日本グランプリは観客席、2014年以降は報道エリアで撮影している。
編集長から「奥川さんのライコネンの思い出は」と聞かれてチョット迷った。
おそらく多くの人がライコネンの記憶として思い浮かべるのは、2005年のF1日本グランプリだろう。マクラーレンのライコネンは17番グリッドからスタートし、最終ラップの1コーナーでルノー、フィジケラを抜きトップに立ち大逆転優勝したレースだ。16年前の出来事なので知らない人忘れている人に、F1公式映像に数多く残っているこのレースの映像から4本を紹介しよう。
映像の長さが短いものから。最初は残り2周のS字から最終ラップ1コーナーのオーバーテイクまでノンカットのバトルが見られる。2本目と3本目はスタートからゴールまでのハイライト映像で2本目はライコネンを中心に短め、3本目はレース全体の出来事をピックアップした長めの映像。4本目はオンボード映像を集めたもので、スタート直後の佐藤琢磨のコースアウトから始まりアロンソ、ウェーバー、バトン、フィジケラなどの車載映像が続き、最後はライコネンのフィニッシュシーンで終わる8分の映像だ。ライコネンの雄姿に加え、V10エンジンのサウンドとスプーンカーブまでギッシリ詰まった大観衆も注目だ。
YouTube FORMULA 1ダイジェスト映像
FORMULA 1公式YouTubeチャンネル ホーム | https://www.youtube.com/c/F1/featured |
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Raikkonen's Last-Gasp Suzuka Overtake | Japanese Grand Prix 2005(2分07秒) | https://www.youtube.com/watch?v=KACmMEgpvKI |
Your Favourite Japanese Grand Prix - 2005 Raikkonen's Suzuka Masterclass(3分12秒) | https://www.youtube.com/watch?v=hwcSaayPy7w |
2005 Japanese Grand Prix: Race Highlights(6分41秒) | https://www.youtube.com/watch?v=FGINdQGaVh0 |
Kimi's Charge, Alonso At 130R And More | Emirates Best Onboards | 2005 Japanese Grand Prix(8分16秒) | https://www.youtube.com/watch?v=f0C2_mkgQio |
少しアウトラインを説明しておこう。2000年から2004年まで5年連続ドライバーズチャンピオンを獲得したフェラーリ、ミハエル・シューマッハ時代が終焉を迎え、2005年はルノーのフェルナンド・アロンソが当時最年少でチャンピオンを獲得している。最終的にアロンソは19戦中7勝、ライコネンも7勝、残りはマクラーレン、モントーヤが3勝、ルノー、フィジケラとフェラーリ、シューマッハが1勝となっている。日本グランプリの前戦となるブラジルGPでアロンソのチャンピオンが確定、ライコネンはチャンピオン争いに敗れ鈴鹿にやってきた。
当時の予選方式は前戦の決勝の下位ドライバーから順番に1人ずつアタックをする方法だった。この予選方式の魅力と欠点は天候に左右されること。セッションの途中で雨が降り出すと上位のドライバーがグリッド後方からスタートすることになる。日本グランプリ土曜の予選、セッション中盤で雨足が強くなった。
ウェットコンディションの予選、20人中13番目にアタックしたラルフ・シューマッハがトップタイムを出した直後に雨が強くなりだした。バトン、バリチェロ、フィジケラはラルフのタイムを上回ることができず、17番目にアタックしたミハエルはラルフから6.6秒差の14位、続くアロンソは8.6秒差の16位、ライコネンは16秒差の17位、最後にアタックしたモントーヤはアタックを諦めピットに戻りノータイムとなった。
逆バンク立ち上がりの観客席で筆者が撮ったこのセッションの写真を見ていただこう。徐々に路面コンディションがわるくなっていったことが分かる。
前戦ブラジルGPまでのドライバーズポイントが5位のフィジケラは3番グリッドとなったが、ポイント1位~4位のドライバーが後方からスタートする、いわゆるリバースグリッド状態がオーバーテイクショーを生むこととなった。大逆転のドラマは予選で降った雨による演出だが、トップ交代劇が最終ラップに起こったことは奇跡かもしれない。
ちなみに70年を超えたF1の歴史でもっとも後方グリッドから優勝したのは、1983年西アメリカGPでマクラーレンのジョン・ワトソンが22番グリッドから優勝を飾っている。
2007年、チャンピオン獲得
筆者は2005年の日本グランプリより2007年、ライコネンがチャンピオンを獲得した最終戦ブラジルGPが思い出深い。ライコネンの通算の優勝回数は21回。チャンピオン獲得は2007年の1回。2007年のチャンピオン争いはF1史に残る接戦だった。
2007年、チャンピオン争いはライコネン、アロンソ、ハミルトンの3人のドライバーが最終戦ブラジルGPまで競い合った。この年ライコネンはミハエル・シューマッハが(一旦)引退して空いたフェラーリのシートを獲得。2年連続チャンピオンのアロンソはルノーからマクラーレンに移籍。マクラーレンのもう1つのシートは新人ハミルトンとなった。
新人ハミルトンは開幕から優勝2回を含め9戦連続表彰台を獲得し前半戦をリード。筆者の周りでは「いきなり新人がチャンピオン?」と、アンチ・ハミルトンというと語弊があるが、ライコネンとアロンソを応援するムードがあったと思う。もちろん、その後の戦績を見ればハミルトンがF1史を塗り替える“特別な新人”だったことは疑う余地がない。
17戦中の第15戦、雨の富士スピードウェイで行われた日本グランプリでシーズン4勝目を挙げたハミルトンがドライバーズポイントで2位のアロンソに12点差、3位のライコネンに17点差を付けた。当時のポイントシステムは1位から8位まで順に10,8,6,5,4,3,2,1。残り2戦、ハミルトンが確実にポイントを取りに行けばチャンピオン獲得は間違いないと思われた。ライコネンがチャンピオンを取れる可能性は極めて少なかった。
参戦1年目でチャンピオン獲得に大手をかけた中国GP。ハミルトンはピットロードでコースアウトしリタイヤ。まさかの珍事でシーズン2回目のノーポイント。アロンソ4点差、ライコネン7点差となり最終戦ブラジルGPへ。ライコネンの逆転チャンピオンの条件は優勝し、アロンソ2位以下、ハミルトン5位以下。ハミルトンは1周目にコースアウト、さらに電気系トラブルで18位へ後退。そこから怒濤の追い上げを見せるが、ライコネンが優勝、2位フェラーリ マッサ、3位アロンソ、7位ハミルトンとなり、最終ポイントはライコネン110、ハミルトン109、アロンソ109。3人のドライバーが1点差でチャンピオンが決定したのは71年のF1の歴史でこの年だけだ。フェラーリ移籍1年目のライコネンが奇跡的な逆転で自身最初で最後のチャンピオンを獲得した。筆者はライコネンのレースでもっとも印象的なのは、この2007年の最終戦ブラジルGPだ。
YouTube FORMULA 1ダイジェスト映像
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Raikkonen Wins Three-Way Title Battle in Sao Paulo | 2007 Brazilian Grand Prix | https://youtu.be/dCmT9A7mCwM |
毎年ライコネンの写真が1番多かった
もう1つライコネンで思い浮かぶのは「今年もライコネンの写真が1番多い」という個人的な出来事だ。筆者はF1日本グランプリ3日間で1万枚ほどシャッターを切る。使える写真は3000枚くらい。そこからフォトギャラリー用に100枚くらいを選択し、20人のドライバーごとの枚数を“正”の字で数えると、2018年までのフェラーリ時代は毎年ライコネンが1番多かった。
基本的に上位チームを優先して撮影していて、今年ならマゼピンとフェルスタッペンが走ってきたら間違いなくフェルスタッペンを撮る、ということだ。ライコネンを特別意識して撮った記憶はないが、なぜか毎年ライコネンの写真が多かった。実際のフォトギャラリーは優勝ドライバーを1番多くしているので、ライコネンの写真はごっそり選択から外してきた。その面では、今回お蔵入りしていた写真の一部を掲載できるのはよろこばしい。