【インプレッション・リポート】
トヨタ自動車「86(ハチロク)量産仕様」

Text by 岡本幸一郎



 筆者は1968年生まれだが、クルマに興味を持ち始めたときも、免許を取得して自ら運転するようになったときも、スポーツカーというのはクルマの中で花形の存在だった。国産メーカー各社もスポーティモデルに力を入れ、デザインやパフォーマンスを競っていた。

 そして、筆者が自動車メディアの世界に身を投じた1990年代初頭、バブル景気は終焉を迎えたものの、クルマ業界にはまだ勢いが残っていた。当時、スーパースポーツはさておき、海外勢ではメルセデスやBMW、アウディらドイツ御三家あたりも今ほどスポーティモデルに力を入れていなかったし、ポルシェも低迷していた。もともとスポーツカーファンだった筆者は、日本には面白そうなクルマが一杯あってよかった、と思っていたものだ。

 ところが、よもやこんな時代が来るなんて思いもしなかったほど、いつの間にか状況は激変した。欧州勢はよい意味で、日本勢はわるい意味で……。ドイツ御三家をはじめ、さらにはラテン系メーカーも含め、今やスポーティモデル攻勢が凄い。対する日本勢は、本当に寂しい状態になってしまった。

 しかし、だからこそ、トヨタ自動車とスバル(富士重工業)によるFRスポーツカー「86(ハチロク)」「BRZ」が企画され、現実のものとなり、そして今、スポーツカーファンの期待を一身に背負って、晴れて世に送り出されたわけだ。

 86は、以前の記事でもリポートしたが、2011年秋に富士スピードウェイのショートコースでプロトタイプに試乗する機会があり、だいたいの感触を掴むことはできていた。そして、姉妹車であり、あるいは、実は最大のライバルであろうスバルBRZの量産仕様にも、一足早くドライブすることができた。

 迎えたトヨタ86の量産仕様の初めての試乗会。会場は定番である神奈川県の大磯プリンスホテル。西湘バイパス、箱根ターンパイク、その他の周辺一般道と、短時間でいろいろなシチュエーションを試すことのできるステージ。さらには広い駐車場の一角にジムカーナコースも設定されていた。

 実は、プロトタイプに試乗したときの第一印象は、素直に楽しいクルマだと感じた半面、洗練度はあまり高くないように思っていた。ところが量産仕様は、「変えた」とは正式にアナウンスされていないが、乗ると明らかに変わっていて、洗練されていたことを先にお伝えしておこう。

 ズラリと並べられた試乗車から、希望モデルを選び乗り込む。かつてFD3S型のRX-7などスポーツカーを乗り継いだ筆者にとっては、なつかしい感覚の低いシートに収まると、それだけで気分が高まる。視界も良好で、フレームレスのインナーミラーも好感触だ。

上級グレードに設定されているフレームレスのインナーミラーは、お気に入りのアイテムだ

 決して高級スポーツカーというわけではないので、インテリアの質感はそれなり。装備は「GT」と「G」の間には大きな差があり、「G」ではデジタル速度計付きのメーターやレッド内装の設定がないし、BRZであれば標準グレードの「R」でもオプションで選べるシルバー加飾の設定も、86にはない。シルバー加飾の有無で雰囲気はかなり違って、なしだとちょっと残念なぐらい安っぽくなる。

 また、BRZにはないレッド内装やホワイトタコメーターの設定が86にはある。黒基調のBRZの硬派な雰囲気もわるくないし、40台半ばの筆者にとっては、たとえレッド内装が選べても、最終的には無難に黒系を選ぶかもしれない。とはいえ、こうした仕様も「選べる」ことに意義があると思う。

 余談だが、デジタルメーターがあれば問題ないという見解かもしれないが、100km/h走行時に、260km/hまで刻まれたアナログスピードメーターの指針が、時計でいう8時ぐらいを指すというのはいかがなものかと、少々気になった……。

BRZには設定のないレッドのインテリアカラー
メーターパネル。スピードメーターは260km/hスケールのため、普段使いでは針の振れ幅は小さい。デジタルメーターで確認することになるだろうGT以上では、タコメーターがホワイトパネルに。BRZにはこの設定はなく、全体的に86のほうが華やかな感じ

 走りに関しては、すでに何度かお伝えしているとおり、BRZに対してサスペンションのセッティングが差別化されている。具体的には、スプリングとダンパーが違い、大ざっぱにいうと、86はBRZに比べフロントが柔らかく、リアが硬い。これにより両車の走りのキャラクターは少なからず違ったものとなっている。

 やはりBRZと比べてどうかというのが気になるところだと思うので、引き合いに出すと、乗り心地について、BRZではやや突き上げの強さを感じたのに対し、86はリアに多少コツコツ感こそあるものの、フロントは入力を上手くいなして受け流すので、不快感は小さめ。スプリングレートとしては、BRZよりフロントは10%ほどソフトだというだが、感覚としてはもっと違うように感じられる。

 さらに、BRZと86では前後のロールバランスがかなり異なるので、ハンドリング特性も異なっている。86は、よく動くように設定されたフロントを、ドライバーが積極的に動かすことで、回頭性やリアのトラクションの具合をより自在にコントロールしていける。

 回頭性については、BRZが微小舵域からリニアに応答し、操舵に対する反応が一定しているのに対して、86は少々ダルで、荷重のかかり具合の大小によってノーズの入り方が変わってくる。また、タイヤの絶対的なグリップがそれほど高くないこともあってか、VSCの介入も早め。

 端的に違いを書くと、ニュートラル~弱アンダーステアのBRZに対し、86がオーバーステア傾向(といっても、フロントはある程度ロールを許容し、ロールオーバーしていくとプッシュアンダーステアが出やすい)で、正確性の高いBRZに対し、86は柔軟性が高いという印象だ。これぞ両社のハンドリングに対する考え方が反映される部分であり、86とBRZがわざわざ作り分けられた理由そのものといえる。

 ついでながら、こうして文字にすると、まるで86の完成度が低いかのように見えるかもしれないが、そうではない。操る自由度が高いのだ。ドライバーがコントロールする余地があり、そこをコントロールする楽しさがある、とご理解いただきたい。それはまさにFR車をドライブする醍醐味であり、実際、86をドライブして、素直に「楽しい!」と感じた。また、よく動くフロントは外乱の影響を受けにくく、路面の荒れたコーナーで、ラインがあまりぶれないところもよい。

 一方で、以下の大半はBRZも含めての話だが、気づいた点がいくつかある。まず、フロントが柔らかいものの、動き出しは渋く、しなやかさが足りないため、ピッチングは起こりやすい。さらに、リアサスのジオメトリー設定のせいか、高Gでのコーナリングで深くストロークしたときには巻き込むような動きが見受けられ、大きくストロークするたびにラインがずれていく感覚がある。

 ステアリングフィールも、ダルというのとは別の意味で、中立からの切り始めに微妙に無反応の領域があり、それがリニアリティを損ねている。舵角のごく小さい高速の切り返しなどで、それが感じられる。また、低重心の恩恵は感じられるものの、53:47の前後重量配分を「理想的」とカタログ等でも表現しているが、やはり前軸よりも前にエンジンを積むせいか、ヨー慣性モーメントの存在を感じる。そのあたり、フロントミッドシップの先達スポーツカーにはかなわない。

 出たてのクルマゆえ煮詰めきれていないのかもしれないし、このパッケージでの宿命なのかもしれないが、いずれにしても、そのあたりが今後、改善されていくことに期待したい。

17インチ仕様。スポークデザインも美しい

 17インチ仕様と16インチ仕様では、タイヤの銘柄の違いもあるが、マッチングは17インチのほうがよかったように感じられた。ただし、16インチはタイヤのサイドウォールの厚みがそのまま出て、全体がマイルドになるぶん、前述の中立付近のアソビも逆に気にならなくなるし、乗り心地もよくなる。16インチの味も、これはこれでわるくないのだが、このクルマにとっては、先に挙げた点が改善され、あらゆる面で17インチがベストとなり、このクルマ場合は本来の姿かと思う。

 「TOYOTA」と 「SUBARU」の両方のロゴと、「D-4S BOXER」と刻まれた新開発ボクサーエンジンのフィーリングは、筆者としては、これで十分。リッター100PSとはいえ自然吸気なので、モアパワーを望む声もあって当然だろうが、むしろ、個人的にはあまり期待していなかったところ、意外やパワフルで瞬発力のあるエンジンに仕上がっていたと思う。

 あくまで欲をいえばだが、吹け上がり方にもう少し気持ちよさが欲しいところ。また、吸気音を強調したサウンドも、音質的にはもう一歩という印象ではある。

86/BRZの心臓部、水平対向4気筒 2.0リッターエンジン。スペックは全グレード共通の、最高出力147kW(200PS)/7000rpm、最大トルク205Nm(20.9kgm)/6600rpm
ボア×ストロークは、86×86mmのスクエア。直噴システムは、トヨタのD-4Sを用いるマフラーは左右2本だし。マフラーカッターはグレードによって異なる

 6速MTはシフトフィールもまずまず。惜しむらくは、やはりBRZでも感じたのだが、軽すぎるクラッチペダルがいただけない。運転しやすさに配慮したのだろうが、こうも軽いと、半クラッチ時の力加減などがむしろ難しくなるのに、と思ってしまう。

 一方で、6速ATは期待を超える仕上がりだった。とてもダイレクト感があり、スポーツ走行にも応えてくれるもので、試乗会場に特設されたジムカーナコースを走っても、これはイイと感じさせるだけのものがあった。

 ただし、ギア比の設定が全体で3通りあり、ATの変速比はMTよりも全体的にハイギアードで、また、MTの「GT」よりもノーマルの「G」では最終減速比が約1割も低くなっている。これにより加速感は少なからず異なる。結局、加速感の気持ちよさを求めると、やはり「GT」のMTがベストになることには違いない。

6速AT。マニュアルモード付きで、ダイレクト感もある6速MT。スポーツカーはやっぱりMTという人もいるだろうクラッチペダルはとても軽く、長距離運転時の疲労も少ないだろう。ただし、筆者の好みとは異なる部分でもあり、もう少し重くてもよかったと思う

 実は筆者は、かつてAE86トレノを愛車としていたこともあるし、ほかにも、セリカXX、180SX、ユーノス・ロードスター、ソアラ、スープラ、RX-7など、国産スポーツカーを乗り継いできた。しかし、事情により最後に所有したRX-7を手放して5年たらずで、今はセダンのみ。そんな筆者にとっても、ひさびさに激しく所有欲に火をつけられた1台であった。

 また、「スポーツカーカルチャー」構想としてトヨタが展開予定の各種プロジェクトの動向も楽しみにしている。一部では冷ややかな反応もあるようだが、何もやらないよりははるかによい。上手くいかないこともあるだろうが、けっしてほったらかしにされることなく、臨機応変で、よりよいものにアップデートされていくことを望みたい。そして、これによって少しずつでも、文字通りスポーツカーが「文化」として、日本に根付いていくよう願いたい。



インプレッション・リポート バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/impression/

2012年 6月 1日