シューマッハの引退で始まった日本GP

 10月はモータースポーツファンにとって忙しい月となった。毎週末のようにワールドチャンピオンシップが開催され、東京 お台場ではモータースポーツジャパンが開催された。

シューマッハは引退発表で「何をするにも100%でない状態でやるのは、自分のスタイルではない」と、率直な意見を語った

木曜日にシューマッハの引退発表
 日本GPは、木曜日にシューマッハの引退発表から始まった。メルセデスAMGチームは当初予定していた木曜日の公式会見日程を、当日の午後になって急きょ時間変更した。これを見て予定外の会見事項ができたのかと思った。そして、それはシューマッハーの今季限りの引退発表だった。

 「何をするにも100%でない状態でやるのは、自分のスタイルではない」。

 シューマッハの言葉はとても率直なものだと思った。実際、シンガポールGPでの追突クラッシュは、ベテランの元王者には極めて珍しいミスだった。これを見たとき、集中力が一瞬切れてしまったのではないかと思った。

 この発表を松田次生さん、ケイ・コッツォリーノさんとも一緒に聞いた。そして2人のドライバーとこのことについて話し合った後に思ったのは、「シンガポールの段階でもう引退への気持ちが固まっていて、それで集中力が途切れたのかな?」ということだった。

 シューマッハが2010年に復帰したとき、自分を若手時代からF1に行くまで育ててくれたメルセデス・ベンツとのジョイントで、よい恩返しのような部分があった。「この3年間でワールドチャンピオンを争えるマシンを作りあげるという目標を達成できなかったのは事実だ」と、自分の使命を果たせなかったことを悔いるコメントもあった。チームのマシン開発とドライバーのパフォーマンスは確かにかみ合っていなかった。それは、速さと巧さを備えたニコ・ロズベルクの結果を見ても明白だった。この3年間でもっとよいマシンができていたら、どんな戦いをしただろう? それは永遠の謎とロマンになってしまった。

 筆者の個人的な気持ちを言えば、2010年のF1復帰も、今季限りの引退も、シューマッハの決意を尊重し、讃えたい。何故ならそれはアスリートが自ら決めたことで、アスリートは自分自身のことをもっともよく分かっているからだ。半面、メディアによる「引退すべき」といった記事や論調は、どのドライバーに対しても「余計なお世話」だと思っている。それを言ったり書いたりしているものの大部分は、F1の操縦を体験したことがなく、ゲームやシミュレーターなどでは分からない、極めて高い重力(G)に耐えながら全身を使って正確無比なドライビングをしたことがない(できない)からだ。

 F1は11月にもまだレースが残っている。W03の戦闘力が少しでも増して、「世界のベストドライバーとまだ戦える」というシューマッハの言葉が実証されるような、よい戦いで現役を締めくくれることを期待したい。

 このシューマッハの引退によってできた来季の空席には、マクラーレンからルイス・ハミルトンが収まり、マクラーレンのハミルトンの空席にはザウバーからセルヒオ・ペレスが座るのは既報のとおり。ここではまだ語るべきことはあまりないが、レーシングカート少年時代からよい友人でライバルでもあった、ロズベルクとハミルトンのコンビはとても興味深い。

高度な技量とファイティングスピリットを見せた小林可夢偉選手

小林の活躍
 日本GPは、小林の活躍が目立った。それは日本人だからというだけでなく、純粋にレーシングドライバーとして高度な技量とファイティングスピリットを見せたからだ。このことは海外のメディアの高評価にも現れていた。実際、英国のBBCラジオとスカイTVは、スタート前から「カムイ・コバヤシ」を頻繁に口にしていた。そして、彼等はレース終盤に「カムイ・コバヤシ」を絶叫しながら連呼することになった。

 見事なバトルだった。小林は追いつめてくるバトンとの差を見ながらペースをコントロールしていた。タイヤをもたせながらも、バトンにそう簡単に追いつかれないようにしていた。しかも、バトンが51周目に自己ベストラップでさらに追い上げると、次の52周目で小林も自己ベストラップを応酬し、これが最終ラップで小林をわずかながらも優位にした。

 小林のピットストップ戦略はバトンを含む上位勢と同じで、小林は完全な真っ向勝負に挑んだ。ザウバーC31とマクラーレンMP4/27のマシンの性能で見れば後者のほうが有利。ジェンソン・バトンはワールドチャンピオンで昨年の日本GPの覇者、タイヤの使い方も絶妙だ。こうした不利な条件をはね返しての小林の3位はとても意義深いものだ。天候や路面状態の急変といった外的要因や、上位勢と異なるピットストップやタイヤ選択が功を奏したというものでもなかったからだ。

 「バトンが空気を読んだ」という声も聞かれたが、それは絶対にありえない。バトンは無線でチームから「3位を獲れ」と叱咤激励され続けてきたから、進んで4位に甘んじることはできない。チームはテレメトリーで常時マシンの状態を監視しているので、どこかで手を抜いた走りをすればばれてしまうからだ。2人が全力で最後まで戦ったからこそ、あれだけの名勝負になり、感動的な結果になった。

 レース終了後、放送席の後ろの通路には放送を終えた各国の解説者と実況アナウンサーが出てきた。そして、笑顔で「おめでとう」「よくやった」という賞賛の言葉を送ってくれた。それは、もちろん小林可夢偉のみごとな戦いぶりと3位に対するものだが、もう1つの意味が込められていたと筆者は感じている。

小林可夢偉選手は日本GPでジェンソン・バトンと好勝負を演じ、みごと3位に入賞した

日本のレースファンを讃えたセバスチャン・ベッテル選手

日本のファンの素晴らしさ
 「まず最初にみなさんに感謝したい。この週末、ここの雰囲気は信じられない程でした。ホテルを出ると皆さんから沢山の声援をもらい、メインストレートを通過するとそこは満員で、ほぼすべてのコーナーも人でいっぱいで、僕達の仕事をとても特別なものにしてくれました。皆さんに感謝します。どうもありがとう。残念ながら僕はこれだけしか日本語を知りません。来年はもう少し言葉を増やしてきましょう。本当に、本当にありがとう」。表彰式で、優勝したセバスチャン・ベッテルはこうコメントし、日本のレースファンを讃えた。

 F1関係者の日本に対する考えは昨年から大きく変わりはじめた。以前の日本に対する認識は「カネとエンジンの調達先」というネガティブなものが多かった。

 だが昨年、多くのファンが鈴鹿にきたことで、日本のファンは参戦メーカーによる動員ではなく純粋にF1を見にきていることを、多くのF1関係者は知った。震災にも津波にも負けず、大勢が集まった日本GPに感動すらしていた。

 そして今年も多くの熱心なファンが鈴鹿に集まった。「すごいな」「国籍に関係なく、これだけ多くのドライバーを平等に応援してくれるファンは、鈴鹿以外にない」など、ファンへの賞賛の声が放送席裏やパドックで聞かれた。

 ピレリモータースポーツ部長のポール・ヘンベリーも、こうした日本のファンを心から賞賛し、大切な仲間として思う1人だ。昨年、今年と場内FM放送のPit FMで、「ヘンベリーさんのインタビュー」を金曜日~日曜日に放送した。金曜日と土曜日は走行日程とタイヤチームの作業日程などとの問題から録音での放送とせざるを得なかったが、日曜日は2年連続で放送席からインタビューを生放送した。これは「ぜひ日本のファンの皆さんに直接語りかけたい」という、ヘンベリーのたっての希望によるものだった。

 「世界中のサーキットを巡る中で、私たちがお客さんの写真を撮るというのは、この鈴鹿だけだよ」と、ヘンベリーは熱心に応援する日本のファンの姿を讃えていた。

 鈴鹿でのF1日本GPが始まってから四半世紀。F1はやっと「日本」への見方を変え、正統な評価をするようになってきた。その要因は、もちろん小林やこれまでのドライバー、チーム(メーカー)、スポンサーの活躍もあるが、やはり日本のファンの皆さんの熱心さによって勝ち取ったものだと思う。

 「日本GPは、再来年以降どうなるでしょう?」という質問を、鈴鹿で何名かから受けた。明確なことはまだ分からないけれど、この日本のファンをF1は無視できないだろう。もしも日本からF1開催がなくなったとしたら、F1はもっとも大切な支持者を失うことになる。

ほぼ四半世紀ぶりに富士スピードウェイで開催となった「WEC富士耐久6時間」

日本の凄さをみせつけたWEC
 日本GPの翌週末は、富士スピードウェイでWEC富士耐久6時間が開催された。WEC(世界耐久選手権)は今年復活し、富士でのWEC開催はほぼ四半世紀ぶりとなる。奇しくも、かつてのWECの第1回開催も1982年の「WEC富士耐久6時間」と、同じ名称だった。

 F1開催直後にもかかわらず、熱心なファンが多数集まってくれていた。金曜日には夕方からゲートオープン待ちの行列ができ、しかもそれは日本らしい整然としたものだった。土曜日はコース内にキャンプするお客さんも多く、決勝日の朝は7時前からスタンドやコーナーで走行を待つ人たちもいた。

 しかも地元トヨタへの応援だけでなく、アウディのピット正面のスタンドにはブノワ・トレルイエへの応援横断幕が、日本で走っていたときと同様に張られていた。また、AFコルセ・フェラーリのピット正面には、ジャンカルロ・フィジケラへの「われらのヒーロー」というイタリア語の横断幕もF1のときのように張られていた。

 日本のファンの熱心さ、温かさには、海外のチーム関係者がとても驚いていた。WEC富士耐久6時間は、こうした熱心なファンの期待を裏切らない展開となった。アウディとトヨタの近未来ハイブリッドレーサーはともに特徴的で、魅力的だった。

 アウディR18 e-トロン・クワトロは、ディーゼルターボにフライホイール式のハイブリッドを前輪で回生、パワー放出している。そのターボは可変式のとても高効率なもので、排気のエネルギーがターボの効果にかなり使われている。それは、とても小さな排気音で実感できた。あまりに排気音が小さいので、ターボの中のインペラ(羽根車)が回転して起きる「キーン」というかすかな音まで聞こえてくるほどだった。アウディのマシンはコーナリングも独特で、優れた安定性と小回りを見せる。おそらくデフなども巧い制御をしているようで、長時間走る際のドライバーへの負担軽減を図った設計のように見えた。

 一方、トヨタのTS030は3.4リッターの自然吸気ガソリンV8エンジンに、キャパシタによるハイブリッドを後輪で回生/放出を行うという、アウディとはまったく好対照のものだ。それはガソリンの自然吸気、ディーゼルターボという、日欧の乗用車のパワーユニットへの考え方の違いをも示しているようだ。TS030のコーナーでの挙動はより自然な純然たるレーシングカーで、ある意味では元F1チームのTMGらしいマシン造りとも伺えた。

トヨタTS030アウディR18 e-トロン・クワトロ

 キャパシタのハイブリッド利用は、まだ量産乗用車ではあまり見られないものだが、TS030のハイブリッド技術はトヨタとレクサスのハイブリッド技術と直結しているので、これが成功すればより効率がよく、走りが楽しいハイブリッド車の実現に直結しそうだ。このことは、またの機会に展開したい。

 さて、レースはエンジンの違いから、トヨタがアウディより1回分ピットストップが多くなることが予想できた。そのため、トヨタは終始ハイペースで逃げてリードを奪おうとした。だが、アウディはブノワ・トレルイエが追い詰める。最後は周回遅れとの接触でペナルティを受けたが、それまではトヨタの戦略に大きな暗雲を漂わせた。

 トヨタは中嶋一貴にドライバー交代した際に、アウディに対して40秒のマージンを稼いでくれと中嶋に告げたという。ここから中嶋の素晴らしい走りが続いた。

 「速いタイムを安定して出せる」。中嶋はシルバーストーン6時間のときにもこうした高い評価をチーム内外から得ていた。富士での中嶋の走りはその真骨頂だった。中嶋を追うのはアンドレ・ロッテラー。フォーミュラ・ニッポンではチームメートでありライバルである。

 トヨタは予定を変更して最後のドライバー交代をせず、中嶋にすべてを託した。トヨタチームには経験豊富で開発能力が高いアレックス・ヴルツと、GP2のあと耐久に転向して経験を重ねつつあるニコラ・ラピエールがいる。だが、今回の中嶋はこの2人を完全に超越していた。

 中嶋は3時間におよぶ連続走行にもかかわらず、ロッテラーの追撃を振り切った。6時間のレースで終始トヨタとアウディは同一周回で争い、ゴール時点での1位と2位の差もわずか11秒という大接戦だった。「僕はもともとタイヤの使い方が上手いんですよ」と、中嶋は以前から自信をもって言っていた。終盤のタイヤをもたせながらアウディ勢との差を保った走りは、その言葉通りだった。

 中嶋、トレルイエ、ロッテラー。奇しくも、フォーミュラ・ニッポンやSUPER GT経験者による高度なバトルだった。表彰台には、ル・マン最多の8勝を誇るトム・クリステンセンも上がったが、このクリステンセンも全日本F3のチャンピオン。日本のレース界の実力の高さが改めて実証されたレースでもあった。

トヨタ TS030が地元で優勝

 特に中嶋、ロッテラー、トレルイエはGTクラスの周回遅れが絡んだときのラップタイムが、他のドライバーとは一線画するほど速かった。つまり、クラス違いの車両を抜くのがとても巧かったのだが、これはSUPER GTでは日常のことだ。チームの期待とメーカーの威信という重圧の中で最大限の走りをミスせずに出しきることもまた、日本のレースで常に経験したことだった。

 富士からスポット参戦した佐藤琢磨は、直前にエンジンがHPD(ホンダ)に変更されたマシンながら好走していた。が、ギヤボックストラブルとなってしまった。

 日本人として唯一WECにLMP2クラスでフル参戦している井原慶子は、自分の担当スティントを走り切った。これまでマシントラブルで走れないままリタイヤも多かっただけに、「楽しんで走れました」という表情は、達成感に満ちていた。井原は、レース前日に子供達をピットに招待し、レーシングカーの魅力を伝えることも行っていた。このLMP2クラスでは、中野信二が乗るオレカ・ニッサンが優勝。耐久で活躍する中野が表彰台の中央に立った。

 GTE Proクラスは、フェラーリ対ポルシェの対決だった。GTEクラスはプライベートチームがエントリーの条件だが、AFコルセチームのフェラーリも、フェルバーマイヤーレーシングのポルシェも、ワークス支援の匂いが強く感じられる体制だった。特に富士でのフェルバーマイヤー・ポルシェはフェラーリの連勝阻止に向けて初日から激しい闘志を伺わせ、その目標を達成していた。

 アマチュアドライバーを中心とするGTE Amクラスには、ポルシェカップやGTにも参戦する小林堅ニが参戦。直前に急きょ参戦が決まったにもかかわらずとてもよい走りをして、ル・マン24時間参戦への道をより縮めたようだ。

 秋のよい天気のもとで行われたWEC富士耐久6時間は、6時間が短く感じるほどの熱戦とさまざまな形と音のマシンの競演に、ヒストリックレーシングスポーツカーのパレードもあり、レースファン、クルマファンにとってとても楽しい週末となった。来年はLMP2クラスにマツダのディーゼル・ターボエンジンも参戦し、WEC富士はもっと盛り上がりそうだ。

さらに鈴鹿ではWTCCも開催
 WECの翌週には鈴鹿でWTCC(世界ツーリングカー選手権)も開催された。日本のスーパー耐久と併催され、より身近なクルマに近いマシンによる戦いが楽しめる週末になった。レース仕様とは言え、マシンはコーナーでわずかだがロールし、ブレーキングではピッチングもおきる。しかも激しい接近戦も魅力だ。

 今年のWTCC鈴鹿は、去りゆくシボレーワークスの鈴鹿でラストレースであり、やってくるホンダワークスの鈴鹿初お披露目という、象徴的なシーンも見どころだった。そしてWTCCとWECがよいことは、パドックパスが安価でチームや関係者がファンを歓迎する姿勢でいっぱいなところだ。

 その一方で、WTCCと併催されたスーパー耐久のレース1では、OSAMU選手がクラッシュで亡くなってしまった。いつもご家族とともにレースを楽しまれている姿勢はほほえましく、しかも速く、最高のジェントルマン・ドライバーだった。とてもいたましく、残念だ。ご冥福をお祈りします。

鈴鹿でのラストレースとなったシボレーワークスチームホンダがシビックWTCCを擁してWTCCに初参戦

クルマの魅力を広め、次世代へ
 鈴鹿のWTCCの週末には、ホテルエリアの中庭でヒストリックカーとスーパーカーの展示も行われていた。

 ホンダ・S800、トヨタ・スポーツ800、トヨタ2000GT、シボレー・コルベット・デイトナ、フェラーリ・エンツォ、ランボルギーニ・カウンタック、ディアブロなどが展示だけでなく、1台1台エンジンをかけてそのサウンドも楽しませてくれた上、希望者にはコクピットへの体験乗車も行っていた。

 このヒストリックカーとスーパーカーの展示を担当したのは、フィオレンティーナ470クラブの皆さん。このクラブは、F1日本GPでのヒストリックカーによるドライバーズパレードを筆頭に、鈴鹿サーキットでのヒストリックカーやスーパーカーのイベントにボランティアとして協力している。

 次の世代に本物を見せたい、よいものを伝えていきたいという福井会長ご夫妻とクラブメンバーの皆さんの熱意は本当に素晴らしい。レース走行の合間の時間のイベントなので、ホテルエリアまで足を延ばした人は少なめだったが、見に来た人たち、特に子供たちは大喜びだった。イベント後、会場を後にするフェラーリ・エンツォを笑顔で走って追いかける小さな男の子の姿もあった。新たなクルマファンがまた1人生まれた瞬間のようだった。

 余談として記すと、今年のF1日本GPでは、さらに全国から多くのオーナーがボランティアとしてクルマを整備して運んできてくれたことで、あのドライバーズパレードが実現した。彼等にとって、あのパレードは晴れの舞台だった。それを思うと、今年のFOM製作のドライバーズパレードの映像編集は、各車とそれに乗ったF1ドライバーを均等に映さず、失礼なものだったと思う。改めて、車両の取りまとめと連絡という手間のかかる作業を引き受けたフィオレンティーナ470クラブの皆さんと、実際にクルマを準備して走らせてくれたオーナーの皆さんの情熱とご厚意に心からお礼を申しあげたい。

 みなさん、ありがとうございました。

鈴鹿でのヒストリックカー&スーパーカー展示の1ショット。左からホンダS800、トヨタスポーツ800(レース仕様)、トヨタ2000GT(前期型)、トヨタ2000GT(後期型)こちらはスーパーカーのエリア。カウンタック、ディアブロ、フェラーリF360、コルベット・デイトナなどが展示されていた

モータースポーツジャパン2012に参加したドライバー

秋晴れとモータースポーツ日和
 WTCCと同じ週末には、東京 お台場で「モータースポーツジャパン2012」が開催され、多くの皆さんに、気軽にモータースポーツの魅力の一端を体感していただけたようだ。サーキットでお客さんを待つだけでなく、こうしたイベントで積極的により多くの人にこのスポーツに接してもらえる活動は有意義だ。

 ただ、日程を何とかできれば、WTCCとスーパー耐久に行くかお台場に行くかというお客さんに踏み絵をさせるような状況は避けられたかもしれない。しかし、そのためにはFIAの世界選手権戦の日程決定プロセスを変えなければならない。

 国内の競技カレンダーは前年の夏にはほぼ決めなければならない。ところが、FIAの世界選手権戦は前年の秋か、12月に決定・発表される。これで日程が強引に重ねられてしまうと、国内選手権戦とモータースポーツジャパンのようなイベントはどうしようもなくなってしまう。

 FIAはモータースポーツの振興を口にするが、本気でそれを考えているなら、国内戦やイベントが世界選手権戦と重ならず、お客さんの取り合いにならないようにすべきだ。

 さらには、F1、WEC、WTCCを3週連続日本で開催するというカレンダーも、その開催国の実情や、ファンの皆さんのことを無視している。FIAは改善すべきことが多い。


11月3日に富士スピードウェイで「Japan Lotus Day」が開催される

11月は実りの秋
 じつはWTCCとモータースポーツジャパンと同じ週末には、大礒ロングビーチでランチアクラブ・ジャパンのミーティングがあり、往年の名ラリードライバーであるサンドロ・ムナーリがランチア・ストラトスでデモ走行を行った。

 このほかにもヒストリックイベントが多く、まさに実りの秋だ。11月に入っても、3日には富士スピードウェイで「Japan Lotus Day」が開催される。これはヒストリックロータスから現代のロータスが一堂に集まるイベントで、さらに今年は49、72C、72E、78、79B、88B、97T、101など、ロータスF1が多数集まる。そして、英国のClassic Team Lotusの代表で、ロータスの創業者コリン・チャップマンの長男であるクライブ・チャップマン氏と元チーム・ロータスメンバーもやってくる。F1とロータスファンには必見だ。詳しくは公式サイトを参照していただきたい。

 F1はインドGPを含めて残り4戦、1年間の努力がいつ誰の元に結実するのだろう? WECは10月最終週に上海でトヨタvsアウディの今季最終バトルが繰り広げられる。

 国内レースは、SUPER GTが10月最終週にツインリンクもてぎで、フォーミュラ・ニッポンが11月4日に鈴鹿で、それぞれ最終戦を迎える。SUPER GTはGT300クラスのチャンピオン争いが残っており、フォーミュラ・ニッポンも熾烈なチャンピオン争いがかかっている。

 さらに11月18日には富士スピードウェイでJAFスプリントカップがあり、SUPER GTとフォーミュラ・ニッポンのレースが同日開催される。同じ週末にはマカオGPも開催され、メインレースのF3には全日本F3からチャンピオンの平川亮、同ランキング2位の中山雄一、同3位の山内英輝が世界に挑む。

 ちょっと変わったところでは、11月10日にツインリンクもてぎでEne-1GP MOTEGIが開催される。1人乗りの電動レーサーのKV40クラスによるスーパースピードウェイでのタイムアタックと耐久走行に加えて、コンバートEVのEVパフォーマンスチャンレンジが、スーパースピードウェイのオーバルとロードコースを利用して行われる。

 11月最終週の26日には、富士スピードウェイでトヨタGAZOOレーシングフェスティバルもあり、トヨタ系のレース車両とドライバーによる楽しいイベントになるだろう。

 11月もイベントがいっぱいで、年間の王座を賭けた戦いも多い。朝晩は冷えるようになるけれど、日中は晴れればレースやイベントを見るのにはよい時期となる。ライブでモータースポーツを観てみませんか? 空気の振動を体感してみませんか?

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2012年 10月 26日