日下部保雄の悠悠閑閑

東京スカイツリーと大相撲5月場所

634mの東京スカイツリー。見上げると本当に大きい。着いたときは雲で見えなかったスカイツリー、帰り際には全貌が見えました。東京タワーとは違った重量感がすごいです

 家内が「お相撲見に行こうよ」と突然言ったのはいつのころだったか。「そうだね~」と聞き流していたら旅行社から郵便物が来ていた。

 大相撲はスカイツリー見学と抱き合わせツアーだったことを知ったが、実は東京スカイツリーには一度も上ったことはない。ついでに言えば東京ディズニーランドや大阪のUSJにも行ったことがなく、知り合いには奇人扱いされる。いつでも行けると思っていると行かないものだ。

 ツアーバスはどんより曇った新宿から出発してスカイツリーに。土曜日朝の都内は空いており、すぐスカイツリーに到着。低く垂れこめた雲にスクっと立つスカイツリーだが、展望台は全く見えない。しかし展望がきかなければ「すみだ水族館」や「プラネタリウム」もいいな、と気楽に構え超高速エレベーターで約50秒、地上350mの展望デッキに到着。窓の外はきっと真っ白だろうと思っていたが、何と雲の切れ間から東京が見えるではないか。展望デッキは逆台形のような格好をしており、視点が水平方向ではない。あたかも都会を見下ろすように視界が広がっている。そして見る間に雲が引いていき展望が広がる。雲の上には富士山も顔を出し感激した。富士山を見ると気持ちが高揚するのは自分だけではないだろう。

雲の上から富士山が顔を見せてくれました。テンション上がります

 さらに100m上にある展望回廊へのエレベーターに乗る。展望回廊というぐらいで巻き貝のように徐々に高くなっていく。まだ雲があって全て見渡すことはできなかったが、真っ白の世界を覚悟していたのだから望外のプレゼントだ。東京を上空から俯瞰できる面白さに時の経過を忘れる。

450mの展望回廊から真下を見る。大丈夫と言われても気持ちのいいもんじゃありません。もっとも、あまりにも高すぎて恐怖感はなかったかも

 首都高6号線の脇に建つアサヒビールのユニークなビル。いつも常磐道方面から帰って来て、アサヒビールの筋斗雲を横に見ると「あ~帰ってきたな、家までもう少し……」とホッとする。その後方にはちょうど10年前からスカイツリーがそびえ立っていた。

墨田川を挟んで手前のビルの谷間からアサヒビールの筋斗雲が、そして川向こうには緑に包まれた浅草寺がありました

 今日は眼下にアサヒビールを見るが、そのアサヒビールがある墨田川岸の向こうには浅草寺が広がっていた。白状すると位置関係を全く理解していなかった。こんな近かったのか! 雪をかぶった富士山は心なしか冷淡に見えた。これから向かう東京国技館も指呼の間。いろいろと勉強になります。

 ゆっくりと東京を上から見学した後は東京国技館に向かう。関取の出待ちならぬ入り待ちを初めて経験。JPN TAXIから自分の3倍はあろうかという関取が降りてきてスタスタと国技館に消えていった。拍手や声援が掛かる。自然と拍手が出るのもこの道を突き進む力士への気持ちがそうさせるのだろう。

東京国技館、贔屓の力士の幟が気持ちを盛り立てる

 実のところ相撲にそれほど興味を持っていたわけではなく、家内に背中を押されてついてきたぐらい。5月場所の7日目、2時半ごろから6時まで正味3時間半の取り組みだ。熱中するほど興味があったわけではないので、どうしたもんかと思っていたが、力士が土俵に上がってから実際に軍配がかえるまでの所作を見ているだけで飽きないし、力士と力士のぶつかり合う音はテレビとは違う迫力がある。

中入り後の土俵入り。華やかでした

 570cm四方の土俵は遠くにあるようで意外と近く、観客と力士との距離は心理的にも壁が低い。取り取り組み中、技が入ると観客席から一斉にどよめきが沸き上がり、そのリズムが同調しているのも実際にリアルで見る大相撲ならではの醍醐味だ。

力の入った熱戦が続き、まったく目を離すことができません。そして土俵ではちょうどいい間合いで相撲が進みます

 相撲は1500年以上の歴史があるというから伝統も格式もある。同時に力士のちょっとした仕草に画面からは伝わらない親しみがあった。観客と土俵がすごく近いのだ。全取り組みが終わり、弓取式まで堪能してあっという間の3時間半だった。

土俵際の攻防。この後足が出てしましました。行事行き足に集中してます

 ところで、ツアーで参加した自分達は向こう正面のマス席に2人で観戦することができたが、随分前に来たときは4人で1マスだったと思う。今回はコロナの影響か2人使用となっていたので足が伸ばせて助かった。見ていると外国からのお客さんも多く、大きな体で窮屈そうだった。座卓的なものはあるんだろうかとは余計な心配でした。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。