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「あの500mほど長く感じた500mはなかった」スローダウンした37号車と同じくガス欠の危機感を持っていた山本選手 薄氷の勝利、王者獲得だった

2020年11月28日~29日 開催

チャンピオン会見。左から山本尚貴選手、高橋国光総監督、牧野任祐選手、藤波清斗選手、J.P.デ・オリベイラ選手選手

 SUPER GTの最終戦が11月28日~11月29日の2日間に渡り、静岡県小山町の富士スピードウェイで開催された。新型コロナウイルスの感染拡大で開幕戦が7月の富士スピードウェイのレースに日程変更され、それから8戦を戦ってきた今シーズンのSUPER GTは、毎レース、毎レース混戦という非常に混沌としたシーズンとなった。特にGT500クラスは最終戦を迎える前の段階で、6台の車両に乗るドライバーに自力チャンピオンの可能性があるという状況になっており、最終戦を勝った車両のドライバーがチャンピオンになるという混戦の中で最終戦のレースが始まった。

 その最終戦のレース、GT300クラスはレース中盤から前を走るチャンピオン争いのライバルをオーバーテイクし、2位に上がったポイントリーダーの56号車 リアライズ 日産自動車大学校 GT-R(藤波清斗/J.P.デ・オリベイラ選手組、YH)が早々に確定した。

 それに対してGT500クラスはポールポジションからスタートしたポイントリーダーの37号車 KeePer TOM'S GR Supra(平川亮/山下健太組、BS)がピットインのタイミングを除きレースのほとんどを支配しており、終盤には2位を走る100号車 RAYBRIG NSX-GT(山本尚貴/牧野任祐組、BS)の追い上げを振り切ってそのまま優勝すると思われたが、最終ラップの最終コーナーを抜けてメインストレートに出たあとガス欠と見られる症状で突然のスローダウン。3秒差で2位を走っていた100号車 RAYBRIG NSX-GTがこれをオーバーテイクして最後の最後で大逆転優勝をし、同時にレース前の3点差をひっくり返して見事年間チャンピオンを獲得した(詳細はレースレポートを参照)。

 本記事ではそのレース後に行なわれた年間チャンピオン獲得者の会見の模様をお伝えしていきたい。

SUPER GT参戦11年目で2度目のチャンピオンを獲得した山本選手。「今日ほど会心のレースはなかった」

──両カテゴリー(GT300クラス/GT500クラス)それぞれのドライバー、総監督に今日のレースを振り返り、チャンピオンを獲得した気持ちを教えてほしい。

藤波清斗選手

藤波清斗選手:フル参戦2年目でシリーズチャンピオンが取れるなんて夢のようだ。これまではずっとスーパー耐久を走っていて、華やかなSUPER GTに憧れを抱いており、そうした数年前を思えば夢みたいだ。いろいろな人に支えられてここまで来たので、このチャンピオン獲得で恩を少し返せたという気持ちがある。

 開幕戦は今ひとつだったが、チームがクルマを煮詰めてくれて、横浜ゴムさんがいいタイヤを作ってくれた。前回のツインリンクもてぎのレースで勝ったことで有利になったが、その分プレッシャーも大きくなった。今回のレースでは予選がよくなかった(筆者注:7位)ものの、決勝のペースには自信があったが、まさか2位まで来ることができるとは思っていなかった。後半スティントを担当してくれたJPがすごい追い上げをみせてくれ、今年1年いろいろ勉強させてもらった。すごく強い選手で本当にお礼を言いたい。

J.P.デ・オリベイラ選手:皆さんに感謝申し上げる。この週末のアプローチはチャンピオン云々よりも、とにかく自分の仕事をしようということだった。ランキングやポジションなんて考えないでベストを尽くすだけを考えていた。ここ数戦でクルマは非常に調子がよく、今回もいいクルマであった。ただ今回は気温、路面温度などは低く、タイヤにとっては新しい状況でのチャレンジだった。レース中、最初は(チャンピオンを獲得できる順位になる3位を走る)6号車とは22秒差があって、それに追いついて追い越すというのはチャレンジだったけど、最終的には追い抜くことができた。チーム全員に感謝したい。

牧野任祐選手:チャンピオンが獲得できてよかった。ホンダやチームとしっかり準備してきたことがこの結果につながった。そして、個人的な話になるが、僕自身がレースを辞めようかと考えている時に、現在所属しているメーカーは違うが、安田選手にカートチームで拾ってもらってレースを続けることができた。安田選手がいなかったらこの場にはいなかったので感謝している。

 自分たちが選んだタイヤはウォームアップ(筆者注:タイヤを温めること)をしっかりやる必要があるが、その代わりにスティントの後半はいいと思っていた。37号車はかなり離れていて15秒差ぐらいあったと思うが、そこから後半スティントで尚貴さんが走るのを見守るしかなかった。そして最後は想像していなかった結末だったので、どういう感情か自分でもよく分からなかった。スポンサーのレイブリックは今回がラストレースだったので、そこで結果的にチャンピオンを取れたのはよかった。

山本尚貴選手

山本尚貴選手:僕はSUPER GTに参戦して11年目になるが、今日のレースほど自分が思い描いていた絵がきっちり描けたレースはなく、まさに理想通りの展開のレースができた。ただ、今回のレースは最後あのまま行っていれば37号車が逃げ切ってチャンピオンを獲っているレースだった。スピードだけであれば、37号車が一番速く、チャンピオンにふさわしいレースをしていた。しかし自分たちも、タイヤをセーブし、燃費をセーブし、ペースアップするタイミングなどをピットと綿密に相談しながら頑張っていたので、その頑張りが最後報われたのかなと思う。しかし、37号車の精神状態を思えば、かなり残酷な結果になってしまったと思う、彼らのことを考えるとあまり喜びすぎるのも心苦しい。

 ただ、それはそれとして、チェッカーを受けるまでがレースなので、チームと共に1年間戦ってきたことが報われた。高橋総監督に再びお立ち台の一番高いところに立ってもらうことができた。非常にドライバー冥利に尽きるし感謝したい。

 そして牧野選手からもあったが、26年チームを、そして日本のモータースポーツを支えてくれてきたレイブリックさんがブランド終了をするということに、大きな反響があったし、それだけSUPER GTのチームを応援しているスポンサーが日本や世界に与える影響は大きいんだということを改めて感じた。

 そんな大事な一戦をチャンピオンを賭けて戦うということでプレッシャーもあったのだが、僕が2010年に初めてSUPER GTに参加したときから、いいときもわるいときも見守ってくれたスポンサーさんの1つがブランド終了になるということで、なんとか結果で恩返ししたいという強い気持ちを持って富士に乗り込んだので、レイブリックの看板を背負って走るドライバーの1人として1つの恩返しができた。

 また、来年も新しいチャレンジになるが、最後花道を飾りたいと意気込んでこのレースに臨んだので、その花道は飾れたのかなと思って嬉しく思っている。レイブリックさんありがとうございました。

高橋国光総監督(100号車 RAYBRIG NSX-GT)

高橋国光総監督(RAYBRIG NSX-GT):レースに関してはドライバーたちの言ったとおり、何しろ大変なレースだった。300のみなさんと、500との各車種の違い、その中でドライバーが力一杯ステアリングを握って、間違いなく走らないといけない。今日のレースは2人とも内容は素晴らしい走りをしたのではないか。付き合いは山本選手とは大分長くご一緒している。牧野選手はこれまで付き合いはなかったけれど、前のレースも感心したけれど、今回の走りが無線での内容では最高なドライバーだな、と思っていた。山本選手は、やはり間違いのない、過去の今までも世界中での経験者で、とっても素晴らしいドライビングをしていた。落ち着いて走ることを、自分のクルマ、他のクルマを見ながら、完璧な走りだった。総監督として、素晴らしい選手が集まってくれており、感謝している。

 それと同時に、今年は大変な世の中になったなという思いがある。自分の体も80になっているので、ここにいるのも大変で、この歳まで皆さま方に協力していただき感謝している。一緒にクルマを作り上げているホンダ、それと同時にサーキットまで来てくれるファンや観客の皆さま方、GTA、メディアなどの皆さまに感謝している。運がいい男だなぁと自分自身で思う。というのも、今日はこういう席をいただいて感謝の気持ちを伝えることが嬉しい。レースなので負けることもあるけれど、メカニックにも、メディアにも、そのときに感謝の気持ちを伝えてもなかなか通じない。感動するレースを見させてくれたということで、ありがとうと伝えたい。今日は優勝もできて、チャンピオンになれたことに感謝する。

──56号車のお2人に。近藤真彦監督にメッセージを。

オリベイラ選手:お礼の言葉しかない。今年の初めころ、レースをするかしないかという状況に追い込まれていた。このSUPER GTに残るか、もうレースには出ないかという状況だ。それだけ去年は失望のシーズンで、これだと続けられないかもしれないという時に、近藤監督が友情から最後の最後の段階で僕を呼んでくれた。本当に感謝の言葉しかない。

藤波選手:前半戦からアドバイスをいただいたり、中盤戦はから近藤監督からお褒めの言葉やモチベーションを上げる言葉をもらっていちゃ。絶対TVで見ていると思うし、よい報告で終われたので、すごくほっとしている。

同じく燃料残量に不安があった山本選手。スローダウンした37号車を抜いてからの500mはレース人生で最も長く感じた500mに

──100号車の2人に質問。2人ともスティントの前半はスープラにおいて行かれているけれども、後半スティントは速かった。これはタイヤの選択などを狙った結果なのか?

牧野選手:その通りだ。自分自身はウォームアップは苦労するかなと思っていた。だが1つポジションを落としただけで済んで、後ろから攻められていたのでそれは防げた。スティントの後半は分があると思っていた。セットアップを含め、強いクルマに仕上げることができた。

山本選手:まわりのブリヂストン勢は序盤は柔らかめだと見受けられたので、暖まってから後半、相手がタレてくるのは見えていた。タイヤの問題もあるけれど、燃費、短い周回数が少なく入ったので、他の陣営も燃費に対して厳しいと思っていた。自分のスティントの前半では36号車をとにかく前に出さないようにした。36号車のペースがよかったので、燃料をセーブしきれなかった。そこがなければ、37号車をもっと速くキャッチアップできた、そしてもうスパートしていいよと言われてから、スパートを開始した。燃費に関してはコース上で止まってしまうかも、ないしはウイニングランで止まってしまうかも(実際100号車はウインニングランの途中でストップした)ぐらいだった。燃費は厳しかったが、レース中、必要な段階まではセーブしてそこからスパートできた。その意味では理想のレースがれきたと思う。

──56号車の2人に。前にいる65号車が2位で、6号車が3位で、4位のままではチャンピオンを取れないという状況があったと思うが、その時の気持ちなどに関して教えてほしい。

藤波選手:もちろんピット側ではポイントを計算していたので、このままだと厳しいと感じていた。JPならやってくれると思っていた。僕らは(タイヤを)4本交換して不安はなかったけれど、差は大きかったので周回的に抜けるかは途中まで分からなかったが、無交換で行った65号車はタイヤの落ちが大きかった。最後は不安なく安心して見ることができていた。

J.P.デ・オリベイラ選手

オリベイラ選手:ピットアウトしたときに、エンジニアがライバルとの差やターゲットラップライムを言ってくれていた、最初はターゲットに達していなくて、20秒を超える差があったが、タイヤに関しては差があったので、自分のレースをすることができた。

──30周目の1コーナーで、14号車と36号車と一緒に入っていくとき、100号車はちょっと引いて見ていて、結果14号車と36号車が接触することで、漁夫の利を得て順位を上げたのか。

山本選手:自分のキャラクター的には引かないので引いたわけではない(笑)。スープラ勢のストレートスピードは「素晴らしい」のひと言で、追いつくどころか離されてしまっていた。36号車が僕らと14号車の後ろにいて、今年のSUPER GTでは前に2台いると、後ろのクルマがスピードアップする。やられるかもしれないと思っていたら、ストレートの途中から2台、実質1台だが前に行ってしまっていた(苦笑)。牧野選手とも無線で話して、最初のスティントでこうやったらぶつけないという方法を無線で聞いていたし、14号車と36号車はストレートでちょっと様子がおかしいぐらいバチバチやっていたので、あのまま2台とも飛んでくれたらラッキーだなとは思っていたら、予定通りいってしまった(笑)。あそこで36号車の前に出られたのは大きかった、そうでないと燃費走行ができないと思うので理想的だった。

──ジェンソン・バトン選手とチャンピオンを獲った時と、今の自分はどう違っているか?

山本選手:ジェンソンと年齢だけで言うと、年上だし、F1の経験もあるけれど、SUPER GTは初年度に経験がなかったのにチャンピオンを取れた。牧野選手は歳下で、500の経験は自分の方が長い。個人的な想いとしては2018年の最終戦、彼がチェッカーを受けてチャンピオンを取れた。どこかドライバーとしては自分で取りきったというのはちょっと薄くて、その意味では違うと言える。もちろん、その反対に牧野選手がどう思うかという話もあるが……。それをおいておくとして、2018年とは違った喜びがあった。どちらの優勝も嬉しい。今年は自分で勝ち取ったという想いが強い。今年ここまで1回も勝てなかったけれど、苦しいレースも一緒に頑張ってきたから、彼には感謝している。

──チャンピオンになった今、チャンピオン獲得に向けてターニングポイントになったレースを教えてほしい。

オリベイラ選手:前のレースのツインリンクもてぎ。そこで勝ってポイントリーダーとなってこのレースに来たことで可能性が出てきた。

藤波選手:ツインリンクもてぎのレースもそうだけど、第5戦の富士で優勝できたのががターニングポイントだった。チームの雰囲気的にも、さらに引き締まった。

牧野選手:第6戦の鈴鹿だったと思う。自分のスティントの最後で(37号車とピットレーンで接触があって、実際には37号車が100号車に追突した)ああいう形になってしまったのでチームに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。もっと大きなギャップがあればあんなことにはならなかっただろうし、本当にいろいろなことを考えた。そこからは本当に勝つしかないと気持ちを切り替えて、みんなで同じ方向を向いて進めてきた。

山本選手:同じだ。

──山本選手に。最後は劇的な展開だったと思うけれど、こうなることを想定していたか?

山本選手:そこまでの力はないので想定したりはしていない(笑)。ファイナルラップでパッシングする距離感ではなかったので、セクター2に入ってからは正直止まれと思いながら走っていたのは本音だ(笑)。今日のすべての運を使ったのかなと思ったので、帰り道は気をつけようと思う(笑)。37号車も燃費がきついとはいえ13秒~14秒近い差があり、そこから1周1秒以上詰めていかないといけない、2位に甘んじるのは性格的には許せなかったのだけど、プッシュするだけプッシュしてコース上に止まることを覚悟していた。2位で終わるぐらいならリタイアするほうがいいと腹をくくっていた。ただ、ペースを上げるタイミングもチームと綿密にやりとりをしていて、素晴らしい結果が出せた。

──最後、最終コーナーを立ちあがったときに37号車の動きなどは山本選手からはどのように見えていたのか?

山本尚貴選手

山本選手:随分余裕を見せてウイニングランしているなと思っていた(笑)。何なんだと思いながら最終コーナーを立ちあがったのだが、瞬間的にこれはガス欠だと思って……。ただ、相手がガス欠になって前に出られた、やったと思っても、本当にコンマ何秒しかその気持ちを味わえなくて、今度自分の身に降りかかってくるかもしれないと、たかだが500mぐらいだったと思うのだが、急に不安になってしまって、今度は喜びから500mも持つかという一気に不安が押し寄せて来て、あの500mほど長く感じた500mはなかった。最終コーナーから7~800mはいろんなことが感情的に起こった。

──メーターなりで厳しいというのは出ていたのか?

山本選手:乗用車と違ってメーターにグラフが出たりということではないので、自分たちの残量が本当にどれくらいなのかというのは、一応は出てはいるのだが、本当に吸えるだけの燃料が残っているかは分からない。ただ、アラームは出てなかったので大丈夫だと思っていた。チェッカーを過ぎて1~2コーナーを過ぎたあたりでアラームが出て、結構ギリギリだったんだなと思いながらウイニングランをしていたら、最後は帰ってくることができなくなってしまったので、次は丸々1周ウイニングランできるように、牧野選手とチャンピオンを決めたいなと思っている。