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豊田章男会長、2009年以来のF1日本グランプリ登場に「モリゾウさ~ん」の声援で迎えられる

F1日本グランプリにサプライズ登場したトヨタ自動車株式会社 代表取締役 豊田章男会長(中央)と、平川亮選手(右)。豊田会長は、ピットビルからの「モリゾウさ~ん」の声援に応えるように手を振った

平川亮選手が2024年からマクラーレンF1のリザーブドライバーに

 トヨタ育成ドライバー出身であり、ル・マン24時間ウィナー、世界耐久選手権チャンピオンである平川亮選手のマクラーレンF1チームリザーブドライバー就任が発表された9月22日の翌日、F1日本グランプリの予選日に、平川亮選手とトヨタ自動車代表取締役会長 豊田章男氏が鈴鹿サーキットに現われた。

 鈴鹿サーキットでは、予選日の前日に平川亮選手のマクラーレンF1チームリザーブドライバー就任が、アナウンサーのピエール北川氏より伝えられると、コースのあちらこちらで祝福の拍手が起きていた。

 そして予選日の朝9時には、角田裕毅選手がアルファタウリのレギュラードライバーとして2024年シーズンを戦うことも発表され、鈴鹿サーキットは暖かい雰囲気に包まれていた。

 そこに、平川選手と豊田会長がサプライズ登場。鈴鹿のパドックは報道陣などがあふれかえる状況になった。

豊田章男会長の公用車である白いGRセンチュリーがF1日本グランプリに登場
降り立ったのは豊田章男会長(予想どおり)と、小林可夢偉選手(予想外)
平川亮選手も登場した(予想外)
鈴鹿のパドックへ向かう豊田章男会長と平川選手に加え、中嶋一貴TGR-E副会長も(予想外)
F1が描かれたパドックゲートをくぐる豊田章男会長。なぜか小林可夢偉選手(右)はカメラマン。この写真に元F1ドライバー2人と、ル・マンウィナー3人と、未来のF1ドライバーが写っている。あ、ニュルブルクリンク24時間ドライバーも

 その平川選手、豊田会長は鈴鹿サーキット到着後、マクラーレンのホスピタリティブースへ向かっていったが、その際に起きていたのがピットビルからの「モリゾウさ~ん」という多くの声援。

 よく知られているように、トヨタ自動車は2009年シーズンをもって2002年以降8年間にわたって参戦してきたF1から撤退。その決断をしたのが、2009年に社長に就任したばかりの豊田章男氏だった。

 もちろん、その決断の背景にはリーマンショックによる世界的な経済の悪化や、トヨタ自身が2009年3月期の決算で創業期以来の営業赤字に陥るなどの状況があった。豊田章男氏自身も、経営悪化の立て直しのため2009年に社長に就任した状況があったが、今ほどモリゾウ選手としてのモータースポーツラブな本質が知られていない中での社長就任後の大きな決断だったため、F1ファンからのいろいろな声もあった。

 その後のトヨタの業績、モータースポーツとのかかわり方を見れば、あのときの豊田社長の決断がどうだったのかは改めて書くまでもないだろう。中嶋一貴選手、小林可夢偉選手、平川亮選手という世界に通用するル・マンウィナー、WEC(世界耐久選手権)チャンピオンを生み出し、現在は勝田貴元選手がWRC(世界ラリー選手権)で世界と戦っている。2024年3月期のトヨタの業績も営業利益3兆円という大きなものが予想されている。

 その豊田社長が豊田会長となって、F1日本グランプリに帰ってきた。豊田章男氏がF1日本グランプリに訪れるのは2009年以来。鈴鹿を愛するレッドブルのセバスチャン・ベッテル選手が鈴鹿で初優勝し、トヨタのヤルノ・トゥルーリ選手が2位となった、あのF1日本グランプリ以来で14年ぶりになる。

 トヨタのF1復帰を聞かれると、いつもちょっと困ったように「オレはF1をやめた男だよ」と語り、はた目からもF1に関しては複雑な思いを抱えているように見える豊田会長が鈴鹿を訪れた。

 その鈴鹿は、豊田会長を「モリゾウさ~ん」の声援とともに迎え入れた。その横にはF1ドライバーとなる平川選手も歩いていたが、「モリゾウさ~ん」の声援が多く、平川選手が「(自分は)まだまだだな」と自分への声援の少なさを小声でつぶやいていたのは見ていて微笑ましい状況だった。

「モリゾウさ~ん」の声援に応える豊田会長、そして自分への声援の少なさを小声でつぶやく平川選手、そこに突っ込む小林可夢偉選手

 2009年以来のF1日本グランプリを訪れた豊田会長にとって、「モリゾウさ~ん」の声援や平川選手への大きな拍手は、何よりもうれしかったものに違いない。