インプレッション

オーテック30周年記念車「A30」(試作車)

 限定車、そして創業○○周年記念車というクルマは、どこかたまらなく魅力的なものが登場してくる。それはコレクターズアイテムとしての価値はもちろん、メーカーとしてもそのクルマに対する開発陣の思い入れが強く、ついつい力を入れて造ってしまうからではないだろうか。おそらく近々に、そんな1台が登場する。

 日産自動車のグループ企業としてその名を知られているオーテックジャパンは、1986年9月の設立から今年で30周年を迎える。スカイラインの生みの親として知られる故・櫻井真一郎氏が初代社長を務めた同社は、当初はスカイラインをベースとしたチューニングコンプリートカーを輩出。その一方で福祉車両や緊急車両といった特殊車両の生産も手掛けて着実に成長。また、ミニバンモデルでおなじみとなったライダーシリーズや、ニスモ仕様車の生産を担当していることも周知の事実である。近年では「リーフ エアロスタイル」や「シルフィ Sツーリング」といったオーテックの名前が出てこないモデルをも下支えしている。つまり、“ひと味違う日産車の陰にオーテックあり!”なのだ。

9月で30周年となるオーテックの歴史。なお、4月1日付けで4代目の社長を務めていた片桐隆夫氏が新社長に就任することになっている
日産車をベースに、内外装のカスタマイズやスポーティバージョン化、福祉車両製作などさまざまな“ひと味違うクルマ”を作り上げている
日常業務で培ってきた技術に加え、限定生産車両では特有のチャレンジを追加
メタリック調の水平グリルなどが特徴的なライダーシリーズ。写真は「セレナ ライダー Sエディション」
EVならではの力強く爽快な走りを内外装のデザインでも表現した「リーフ エアロスタイル」。走行性能でも伸びやかな加速感を演出するファインレスポンスVCM(Vehicle Control Module)を一部グレードで採用する
16インチの切削光輝アルミホイールやエアロパーツなどの装着でスポーティさを高めた「シルフィ Sツーリング」。東京オートサロン2016のカスタムカーコンテストではセダン部門の優秀賞を受賞している

 ただし、ひと味違うとはいえ、近年のコンプリートカーはカタログモデルになっていることもあり、正直に言ってしまえば創業直後に登場していたようなピリ辛グルマとは違っていることも事実。もちろん、それはそれでわるいことばかりではないが、もう少し突き抜けたクルマがほしいと感じていた。

 それはやれば出来ることを薄々感じていたからだろう。オーテックジャパンでは社内有志が集まり、業務時間外に“まかない車”なるものを製作。ラシーンをベースにFR化してしまった10周年記念車の「A10」、そしてスカイラインをベースにワイドフェンダー化や丸形テールランプを埋め込んだ25周年記念車の「A25」、さらにはK11マーチをベースにミドシップ化してしまった「MID-11」といった存在は、オーテックジャパンの技術力を示すには十分なものだった。ただ、これらの車両は販売されることなく1台のみの製作で終了し、ファンはそれを惜しみつつ「自分たちだけ楽しんでいてズルイ!」という視線を送っていたのだ。

10周年記念車の「A10」
25周年記念車の「A25」
開発中の30周年記念車との比較車両として用意されていた現行型マーチをベースとする「ボレロ R」。こちらは市販を想定しない習作として社内有志が手がけた一品製作車両
専用チューニングされた直列4気筒 1.5リッターエンジンのほか、ワイドトレッド化などによってマーチの走行性能を飛躍的に高めている
トランスミッションはHパターンの5速MT。ステアリングも赤いセンターマーク入りのコンビネーションレザータイプを装着する

 今回の「30周年記念車」を造るにあたりどうすべきか? オーテックジャパンは企画のスタートに先だって、公式Facebookページなどでアンケートを実施していた。個人的にも興味があり、その動向を拝見していたが、そこには「現行スカイラインをベースにしたスペシャルモデルを造ってほしい」という声、さらには「マーチをベースにしたチューニングモデル」を推す声などが挙がっていたと記憶している。オーテックジャパンの根強いファンは、同社がかつてどう発展してきたかをしっかりと記憶しているのだろう。キーワードはやはりスカイライン、そしてマーチだったのだ。

 そこで行き着いたのが、マーチをベースとした今回の「A30」(プロトタイプ)である。ユーザーの意見にきちんと耳を傾けつつ、現実的に市販を視野に入れるにはどうしたらいいのかを考えた回答がそこにある。やはり今回ばかりは「売らない記念車」じゃない。もしもここでスカイラインのスペシャルモデルを出していたのなら、市販化を疑っていただろう。

これまでの記念車などは公開するたびにファンから好評を得てきたが、一方で「みんな(オーテックスタッフ)ばかり楽しんでいてズルイ」との声も聞こえていたという。そこで今回の30周年では、ソーシャルメディアを活用してファンと双方向の意見交換を行なって開発を続けているという

 写真を見れば一目瞭然だが、A30はベースモデルから90mmものワイドトレッド化を視野に入れている。全幅は現行フェアレディZと同等の1800mmというのだから驚きだ。現在はテスト段階であるため、オーバーフェンダーをネジ止めしたいかにも改造車チックなルックスだが、市販化にあたってはブリスターフェンダー化を狙っているに違いない。拝見させて頂いたデザインスケッチには、丸みを帯びたワイドフェンダーが備わっていたのだから……。

A30(プロトタイプ)のリアビュー
外観デザインについては今後の公開予定となっているが、今回のプロトタイプ車両にもルーフエンドスポイラーなどのエアロパーツが装着されていた
タイヤサイズはベース車両から2インチアップの205/45 R16。ブレーキもフロントは大径化され、リアはドラムからディスクに変更されている。アルミホイールも鍛造切削加工の専用品が装着される予定で、会場には展示用のデザインモックが用意されていた
ホワイトステッチのレザーステアリングを標準装備。トランスミッションに5速MTが採用され、運転席の足下も3ペダルとなっている

 もちろん、そこで終わらずシャシーは煮詰めに煮詰めている。スタビライザー径のワンサイズ拡大やショックアブソーバー径の20%アップ、さらにはタイヤのアライメントでネガティブキャンバーをつける方向でセットしているというのだ。市販車にあってそんな話が出てくるあたりがかなりマニアック。

 リアのフロアパネルはフラット化しつつ、そこにメンバーを追加してしまったというのも興味深い。FFモデルのマーチにはスペアタイヤを載せるためのくぼみがあるのだが、そこをフラットにして歪みを出さないようにしたのだろう。さらにはメンバーステーやトンネルステー、そしてテールクロスバーも装着しているという。ここまでやっておきながら、けれどもタイヤはミシュランの「パイロット スポーツ3」を選択するとのアナウンスがあり、どうやらサーキット指向のクルマではないようだ。目指すはワインディングでの軽快な走りと、クルーズ時のしなやかな乗り心地。実に欲張りな造りであることが伝わってくる。

車両後方のフロアパネルを入れ替えてフラット化。スペアタイヤ用のスペースはなくなるが、メンバー追加などと合わせて剛性を高めている
足まわりも強化しており、アライメントにはネガティブキャンバーがつけられている
最高出力の発生を7200rpmとした直列4気筒DOHC 1.6リッター「HR16DE」

 エンジンは「ノート ニスモS」が採用する直列4気筒DOHC 1.6リッターの「HR16DE」を搭載。小さなボディに1.6リッターエンジンをブチ込んでしまうだけでも破天荒なスペックではあるが、オーテックジャパンが手掛けることなので、当然それだけでは終わらない。ベースエンジンよりも1000rpmレブリミットを引き上げるためにあらゆる策をとっている。

 それはカムプロフィールやバルブスプリングの変更、さらにはポート研磨といった一般的なチューニング手法だけに終わらない。鉄の2倍以上の比重を持つタングステンをクランクシャフトに埋め込み、最小の質量増加でバランス率をアップ。コンロッドとコンロッドボルトを変更して20%の強度アップと5%の軽量化の実現したほか、プーリーからクランクシャフト、そしてクラッチカバーまでをASSY化した状態でのバランス取りも行なわれているという。結果として気筒間の重量バラつきは標準エンジンの5分の1以下とのことだから、かなり期待できそうだ。

高回転化に対応する専用設計のバルブスプリング。ベースモデルが3気筒なのに対してA30は4気筒エンジンとなり、右側のA30用バルブスプリングも1セット分増えている
高回転域でもトルクが落ち込まないよう、カムシャフトのリフト量と作動角も専用設計としている
各種専用アイテムを開発し、オーテックの職人によって手組みされる
ポート研磨の加工前(左)と加工後(右)は、展示に加えて触り比べることもできた。指先が吸い付くような加工後は、いかにも効率がよさそうだと感じさせる
SCM440(クロームモリブデン鋼)を総削り出しで仕上げたコンロッド(左)。強度を20%高め、5%分軽量化している
クランクシャフトのカウンターウェイトにタングステンを埋め込んで気筒間のバランスを調整するレース用エンジンの手法を導入
計測治具を使ってバルブタイミングも最適化
最初に公開されたイメージイラストでも紹介されていたセンター出しのマフラー。パイプ径を54φとして排気効率を高め、フラット化したリアフロアの空間を利用して大容量化したサイレンサーで車外騒音の基準も満たす
最高出力の発生回転数向上に合わせ、メーターパネルも専用品に変更される予定。試乗では7300rpm付近まででのシフトチェンジが指定されていた
大小さまざまな改良や専用品の開発で走行性能を突き詰めている

これはまさにオールラウンダー!

 走らせてみれば、あらゆる部分がとにかく滑らか。まるで4連スロットルを備えたチューニングカーのような官能的な吸気音を轟かせながら、それでいてガサツに回ることなく、サラリと7500rpmまで跳ね上がっていくレブカウンターにはとにかく驚き。また、高回転ばかりにとらわれていると実用域のトルクが損なわれるのが常だが、そこでもきちんとトルクを備えている。さすがはメーカーコンプリートマシンという仕上がり。対して、真ん中のトルクを太らせすぎると伸び感が物足りないということもあるが、前述のようにそこも満足に吹け上がってくれるのだ。タイムや実用性ばかりに気を取られたつまらないエンジンじゃない。ドライバーと直結していると感じさせる一体感と、音と吹け上がりで魅了する官能性が備わっているからこそ、心惹かれていくのだろう。すっかり虜にさせられてしまった自分がいた。

 シャシーもまた「これがマーチ?嘘でしょ?」と問いたくなるしなやかさ。荒れた路面もシッカリといなしてくれる懐の深さがある。それでいて、ワインディング区間ではキビキビとした旋回性能をみせてくれることも確認できた。これはまさにオールラウンダー。いつでもどこでも満足できそうな仕上がりがそこにある。

試乗は日産自動車 追浜工場のテストコース「GRANDRIVE(グランドライブ)」の周回路を数周するだけの短いあいだだったが、すっかり虜にさせられてしまった
比較用のボレロ Rはワイドトレッド化したタイヤを美しいオーバーフェンダーが包み込み、見た目の迫力も満点。A30もこのようなデザインになるのだろうか

 ただし、積極的にスポーティな走りを楽しもうとしたときに物足りなさがあることも事実。それはLSDを備えていないからだ。タイトターンでは持ち前のトルクでフロントタイヤが悲鳴を上げて、スロットルを開けようとすると狙ったラインからそれてしまう傾向が見られた。現在はテスト段階だから敢えてリクエストするが、市販化するときにはLSDの装着は必須。そこまでやってはじめて、いつでもどこでも楽しめるコンプリートマシンに仕上がるのではないだろうか。なんといってもA30は、ワイドフェンダーにハイパワーエンジンを備えているのだから、そこまで望むユーザーは多いと思うのだが……。

 いずれにせよ、その答えは間もなく出るに違いない。市販化されたときにどう仕上がって来るのかを楽しみにしていたいと思う。

橋本洋平

学生時代は機械工学を専攻する一方、サーキットにおいてフォーミュラカーでドライビングテクニックの修業に励む。その後は自動車雑誌の編集部に就職し、2003年にフリーランスとして独立。走りのクルマからエコカー、そしてチューニングカーやタイヤまでを幅広くインプレッションしている。レースは速さを争うものからエコラン大会まで好成績を収める。また、ドライビングレッスンのインストラクターなども行っている。現在の愛車は18年落ちの日産R32スカイラインGT-R Vスペックとトヨタ86 Racing。AJAJ・日本自動車ジャーナリスト協会会員。

Photo:安田 剛