2009~2010年ストーブリーグの動向(その1)ザウバー、ルノー、フェラーリ編

 トヨタ撤退後もさまざまな話題が渦巻くF1界。数回に渡って、各チームとドライバーの現状をお伝えする。

 小林可夢偉が来期、ザウバーから参戦することが、17日も正式発表された。小林は、最終戦のアブダビGPで中盤3番手を走行。最終的には6位に入賞した。

 2戦目のポイント獲得も見事だったが、終盤の走りそのものも圧巻だった。同じトヨタにのるトゥルーリが追いすがろうとしたが、これをゆるさない速さだった。ラスト5周は、次のレースでのエンジン使用の心配がないこともあり、上位勢は軒並みペースを上げたが、上位勢の中で、ラスト5周全ての周回を1分40秒台でまとめたのは、小林だけだった。

 GP2アジアシリーズでは、日本人初のF1直下クラスのチャンピオンに輝いたが、GP2では所属するDAMSチームが財政難に陥ったことから有能なスタッフを失い、苦戦と低迷を強いられた。そして、トヨタがF1から撤退し、行き先を失いかねない状況だった。今、思い出せばアブダビGPでの活躍は、小林にとって起死回生の大チャンスになった。

ザウバー入りが決まった小林可夢偉

[ザウバー]名伯楽の眼鏡に適った可夢偉
 この小林が所属するザウバーチームは、まだ小林の加入発表時点ではチーム名を「BMWザウバー」としていた。だが周知のとおり、BMWは7月29日に今季いっぱいでの撤退を表明。これを受けて、チーム創設者であるペーター・ザウバー氏らはBMWと協議しながら新オーナーを探し、9月15日にカドバックインベストメントグループというスイスの投資会社に決定した。

 しかし、この間に2010年の参戦枠の13チーム目の資格は、ロータスF1に移ってしまっていた。FIA(国際自動車連盟)は、14チーム参戦の可能性を全チームに打診したが、日本GPでのフランク・ウィリアムズ・ウィリアムズチーム代表を筆頭に、芳しい答えはえられなかった。ところが、11月4日にトヨタがF1撤退を発表したことで、13チーム目として昇格が可能になった。

 だが、今度はカドバックとの実際の譲渡が完了しなかった。結果、BMWはチーム創設者で元チームオーナーでもあったペーター・ザウバー氏にチームの株式を売り戻すことで、オーナーシップの譲渡を11月27日に完了した。こうして、12月3日にFIAはザウバーを正式に13チーム目として承認した。

 来年は「BMW」が抜けたザウバーチームに戻る。エンジンは、7月末のBMW撤退発表時に、「参戦が確保できればフェラーリエンジンが供給される」と、BMWモータースポーツ部長・BMWザウバーチーム代表のマリオ・タイセン博士が公表していた。これによって、ザウバーチームは、2005年以前と同様に「ザウバー・フェラーリ」となるはずだ。

 このフェラーリエンジンを搭載していた当時のザウバーチームは、エンジンとともに当時フェラーリの契約下の若手だったフェリペ・マッサを引き取り、育成した。ペーター・ザウバー代表とザウバーチームは、若手育成に定評と実績がある。メルセデス・ベンツのスポーツカーチーム時代にも、メルセデスの育成ドライバーだったミハエル・シューマッハー、ハインツハラルド・フレンツェン、カール・ヴェンドリンガーを育成。また、BMWザウバー時代には、2007にセバスチャン・ベッテルを金曜日のフリー走行で起用した。ロバート・クビサもこのチームでトップコンテンダーになった。ザウバー代表は若手の才能を見抜く力量があり、今回の小林の起用もザウバー代表の目に適ったということになる。

可夢偉のチームメイトには、フェラーリからフィジケラが送り込まれる可能性も

 だたし、小林の起用を手放しで喜べない点もある。ザウバーチームは、BMWの撤退によってチーム規模を縮小している。そのため、チームのパフォーマンスが今季より落ちる可能性がある。フェラーリエンジンを獲得すると、その供給費用軽減のために、かつてのマッサと同様に2011年あたりからフェラーリの契約下にある若手のジュール・ビアンキを送り込んでくる可能性もある(後述)。

 小林のチームメイトについてはまだ発表されていないが、ニック・ハイドフェルトの残留が有力とされている。しかしこれも、フェラーリエンジンとともに同チームのサードドライバーとなっているジャンカルロ・フィジケラが送り込まれる可能性もありうる。

 小林にとって決して楽な条件ではないが、マシンにある程度の戦闘力があれば善戦できるだろうし、これまでザウバーの下から巣立ったドライバーたちのように、さらに上のステップへ行くためのチャンスにもなるだろう。

早々とルノーへの移籍を決めたクビサだが……

[ルノー]2010年体制は発表、しかしその後は?
 一方、BMWザウバーのクビサは、日本GP直後の10月7日にルノーへの移籍を発表した。フェルナンド・アロンソが9月30日にフェラーリへの移籍を発表したことで、ルノーにできた空席にクビサが収まった形になった。しかし、ここへきてクビサ側は、ルノーチームに状況説明を求める事態になっている。

 ルノーは、トヨタがF1撤退を発表した同日に、パリで役員会を開催。ここで、ルノーF1チームの将来についても話し合われたのだが、「年末に発表する」として詳細は明かされなかった。その後、ルノーF1チームの売却譲渡の動きが明白になった。

 F1のプロモーターであるバーニー・エクレストンは、買収先の候補が4つあるとしていた。その1つがWRCでスバルチームを運営し、今季はアストンマーティンチームでル・マンシリーズにも参戦するプロドライブ。プロドライブは、以前BARホンダチームの運営に参画した経験があり、今年の春に行われた新規F1参戦チームにも応募していたが、落選していた。

 だが、ルノーは12月16日にルクセンブルクのジョニー・キャピタルと戦略的パートナーシップを締結したと発表。これによって、ルノーF1チームの株式の大部分がジェニー・キャピタル側に渡るが、ルノーもパートナーとしてチーム運営にあたるとされた。また、2010年は「ルノーF1チーム」として戦い、レッドブルへのエンジン供給も行うとしていた。

 だが、2011年以降については言及されなかった。ジェニー・キャピタルも、新技術やモータースポーツ分野を得意としていると紹介されているが、投資会社がどこまで、どのようにチームの運営をするのかわかりにくい。そこで、2010年以降の契約を結んだクビサ側は、チーム対して中期的な見通しについて詳細な説明を求めている。説明次第では、クビサ側はルノーとの契約を無効にする可能性もありうる。

 一方、ルノーF1チームは「クラッシュゲート」などと言われる2008年シンガポールGPでの故意に事故を起こしてレース展開を操作した問題で、チーム代表のフラビオ・ブリアトーレとエンジニアリング部門最高責任者のパット・シモンズが辞任し、モータースポーツ界から追放されたのを受けて、12月1日に首脳人事を変更した。

 チーム代表にはテクニカルディレクターでスキャンダル後はチームの代表とCTO技術部門最高責任者も兼務したボブ・ベルが就任。テクニカルディレクターには、副テクニカルディレクターだったジェームス・アリソンが昇格した。パット・シモンズはチームのレース戦略で重要な役割を果たしていたが、この役割はチーム・マネージャーだったスティーヴ・ニールセンがスポーティング・ディレクターに就任することで埋められた。一方、ヴィークルテクノロジーディレクターとして車両運動力学とエレクトロニクスを担当していたテッド・スパスキーはチームを離脱した。

今季はアロンソ(左)とマッサがコンビを組むフェラーリ

[フェラーリ]アロンソ、ビアンキとともに次世代へ?
 アロンソを受け入れるフェラーリは、キミ・ライコネンが離脱。離脱した時点で「マクラーレン以外との交渉は時間のムダ」と公言していたライコネンだが、マクラーレンは、残留が決まっていたルイス・ハミルトンのチームメイトに、ジェンソン・バトンを選んだ。行き場を失ったライコネンは、来季はWRCにレッドブル・シトロエンチームから参戦する。

 フェラーリに話を戻すと、ハンガリーGPの予選中に重傷を負ったマッサが、急速に回復している。

 チームは、テスト制限規制にひっかからないように、フェラーリのマシンを所有する個人オーナーのレース活動を支援するコルセ・クリエンティ部門から旧型F1マシンを出して、復帰のためのテストを行った。12月15日、16日にもフェラーりが所有するイタリアのムジェロサーキットでマッサの単独練習走行が行われ(マシンは、コルセ・クリエンティの2007年型F2007)、マッサは「すぐに速さを取り戻せたし、事故の前とドライビングスタイルに変化はない」とし「来シーズンが楽しみだ」とコメントして、復帰がほぼ確実な事をアピールしていた。

 これに先立つ11月30日、FIAから発表された2010年のエントリーリストでも、フェラーリはNo.7マッサ、No.8アロンソと記載されていた。もし、マッサに不安があるなら、サードドライバーのフィジケラを登用することになる。先に書いた通り、フィジケラはザウバーに行く可能性もあるが、フェラーリはサードドライバーとして必要なときにはフィジケラのフェラーリ復帰が優先されるという条件で、フィジケラの“レンタル移籍”を希望している。このレンタル移籍案は、今年マッサの代役としてヨーロッパGPとベルギーGPにルカ・バドエルを起用したところ、1999年以来のレース復帰に実戦感覚が鈍りすぎていたという現実に直面したため。

ジュール・ビアンキ

 一方、フェラーリは次の時代に向けて長期的な動き始めているように思える。1996年にベネトン(現ルノー)からチャンピオン経験者のミハエル・シューマッハーを獲得して一時代を築いたように、今回もルノーからアロンソを獲得した。また、2002年からマッサと契約して、エンジンとともにザウバーに送り込んで時間をかけて育てたように、12月2日にジュール・ビアンキと長期契約した。

 ビアンキはイタリア系フランス人で、祖父のマウロはマカオGPのウィナー、大伯父(祖父の兄)ルシアンは1960年代前半にロータスなどからF1に参戦し、ル・マン24時間レースではベルギーのチームがエントリーしたフェラーリで活躍したというレース一族。隔世遺伝のようにジュール・ビアンキも、今年のユーロF3のチャンピオンになっていた。ビアンキは来季GP2に参戦することが決定しているが、成績次第では2~3年のうちに、フェラーリか、フェラーリがエンジンを供給するチームからF1に出てくるだろう。

 ちなみに、かつてのマッサの獲得と育成も、今回のビアンキも、同じマネージャーが担当している。それは、昨年までフェラーリの役員で、今年の11月にはFIA会長に就任したジャン・トッドの息子のニコラ・トッド。ビアンキがユーロF3でもGP2でも所属するフランスの有力チームARTグランプリの共同オーナーでもある。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2009年 12月 21日