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【ル・マン24時間 2017】決勝前日開催、ポルシェはル・マン24時間レースでの“歴史と伝統”をプレスカンファレンスでプレゼン
ル・マンレジェンドのデレック・ベル氏、ジャッキー・イクス氏登場
2017年6月17日 17:53
- 2017年6月17日~18日(現地時間) 決勝開催
世界三大レースの1つであるル・マン24時間レースは、6月17日15時(現地時間、日本時間6月17日22時)に、決勝レースのスタートを迎える。そうした中、昨年の勝者であるドイツの自動車メーカーであるポルシェは、決勝前日の6月16日に記者会見を行ない、ポルシェのル・マン24時間レースへの取り組みについて説明した。
ポルシェはル・マン24時間レースで、LMP1、GTE-Proにワークス参戦するほか、GTE-Amへ参戦するプライベートチームのサポートを行なっている。4つあるうちの3つのカテゴリーに参戦している唯一のメーカーであり、昨年、一昨年とポルシェ919 Hybridが2連勝を飾っている。また、それ以前も含めれば合計で18回の総合優勝を果たしているという、ル・マンの王者と言ってよい存在だ。
そのポルシェの記者会見には、1975年、81年、82年、86年、87年と5度のル・マン24時間レース優勝者で、1985年/86年のWEC(世界耐久選手権)/WSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)のチャンピオンのデレック・ベル氏、1969年、75年、76年、77年、81年、82年と6度のル・マン24時間優勝者、82年/83年のWEC(世界耐久選手権)チャンピオンのジャッキー・イクス氏がゲストとして招かれており、ベル氏は現役当時の裏話を語るなど、まさにル・マン24時間レースでのポルシェの”歴史と伝統”をプレゼンテーションする会見となった。
6度のル・マン24時間ウィナーとレジェンドドライバーであるジャッキー・イクス氏がゲストに
今回の記者会見は司会を、ドイツのスポーツコメンテータであるミハエル・アントワープス氏と、昨年までポルシェのWECドライバーを務めていたマーク・ウェバー氏の2人が務める形で行われた。マーク・ウェバー氏に関しては説明する必要もないと思うが、2013年までレッドブルF1チームからF1を走り、優勝9回を記録。その後ポルシェのWECプログラムへと移動し、2015年にはWECチャンピオンとなっている。
昨シーズン限りで現役を引退し、現在はポルシェのブランドアンバサダーを務めており、世界中で行なわれるポルシェのイベントなどに登壇してポルシェのブランドイメージを向上させる役割を果たしている。
ウェバー氏は「ニコ(筆者注:ニコ・ロズベルグ氏、昨年のF1チャンピオンだが、引退して現在はメルセデスのブランドアンバサダーを務めている)も昨シーズン限りで引退してそうだと思うけど、後悔はしてないしクルマに乗らないことに段々慣れてきた。ポルシェチームのみんなと一緒にいれないのが寂しいぐらいだ」と述べ、現在の自分の気持ちを説明した。
その後、アントワープス氏とウェバー氏は、来賓を紹介した。ル・マン24時間レースの主催者であるACO(Automobile Club de l'Ouest、フランス西部自動車クラブ)の会長、WECのプロモーターなどの業界の重鎮に並んで紹介されたのは、1969年、75年、76年、77年、81年、82年と6度のル・マン24時間優勝者である、ジャッキー・イクス氏だ。イクス氏は、1980年代にポルシェ 956C/962Cで黄金時代を築き、82年と83年のWEC(世界耐久選手権)のチャンピオンを獲得。1982年のル・マン24時間レースでポルシェ956で6度目にして、最後のル・マン24時間優勝を果たしている。
まさにポルシェのレーシング活動においてもレジェンドといって差し支えないイクス氏だが、記者会見終了後には多くの関係者から握手やセルフィー(スマートフォンのインカメラを利用して自分や友人を撮影すること)を求められていたのが印象的だった。
ル・マンなどで苦労して開発してきたPDKがその後市販車に採用された、ともう1人のレジェンド ベル氏
その後、ステージにゲストとして呼ばれたのは、そのイクス氏と何度もコンビを組んでル・マン24時間レースを戦ったこともあるデレック・ベル氏だ。イクス氏の最後のル・マン優勝となる1982年のポルシェ956Cでの優勝は、ベル氏とのコンビで得られたものだ。ベル氏自身も、1975年、81年、82年、86年、87年と5度ル・マン24時間レースを制しており、ル・マンレジェンドの1人だ。
ベル氏は「45年間に渡ってポルシェとともに過ごしてきた。ジャッキーと一緒に戦った1970年代~80年代は本当にすごかった時代だった。82年にグループCで、ジャッキーとともにポルシェ956Cのプロジェクトで走ると聞かされたときには、初めてポルシェがモノコックシャシーで、グランドエフェクトのクルマを作ると聞いてそれはスゲーと思ったんだけど、エンジンはと聞いたら水平対向だって言われて、マジか!って言ったら、ようこそポルシェへって言われたよ(笑)」とジョークを交えながら、1980年代のポルシェ956C/962Cの時代を振り返った。
そして、1986年のル・マン挑戦について触れ、「1986年のクルマは本当に大変だった、PDKを搭載していたのだけど、数時間も走るとすぐ壊れてしまう代物だった。ル・マンではそれを使わない決定をしたんだけど、WSPCの富士戦ではそれを使うことになって、それを使ってチャンピオンを獲ったんだ。元々はラリーカー向けとして開発されたPDKをレース用に使うとか狂気の沙汰だったけど、そこで我慢して開発したこともあって、今じゃポルシェの市販車に使われているのは嬉しいね(笑)」と聴衆を笑わせながら、レースでの技術的なチャレンジが市販車へとつながっていることをアピールした。
ポルシェ LMP1担当 副社長 フランツ・エンジンガー氏は「去年のレースではとても大きなドラマがあったことは皆の記憶に新しいと思う。予選ではトヨタが非常に速かったが、レースは別物。我々のドライバーもリラックスして臨めている。我々の目標はル・マン24時間レースのハットトリック(3連勝)だ」と述べ、予選の結果はあまり気にしておらず、決勝で巻き返して3連勝を目指すと述べた。
俳優パトリック・デンプシー氏も賞賛するポルシェのカスタマーレーシングは今後も拡大
また、もう1人のゲストとして呼ばれたのは、米国の著名な俳優であるパトリック・デンプシー氏。デンプシー氏は、77号車 ポルシェ911RSR(クリスチャン・リード/マテオ・カイロリ/マービン・ディンスト組)を走らせるデンプシー・プロトン・レーシングの共同チームオーナーで、以前は自身もハンドルを握っていたというジェントルマンドライバーの代表と言ってよい存在だ。
デンプシー氏は「ポルシェと一緒に仕事をすることは本当に特別な体験。プレッシャーはあるけど、ミスしたらそこから学んで進化していけば良い。こんな体験は他では出来ないよ」と述べ、ル・マンに調整することの楽しさなどについて説明した。
その後、ポルシェ モータースポーツ/GTカー担当 副社長 フランク-ステファン・ワイズラー氏は「GTEの競争は本当に激しく、予選は1秒以内にほとんどのクルマが収まっている。我々も911を強化してきたが、ドライバーがミスをしないように取り組んで行きたい。また、パトリックが説明してくれたように、カスタマーレーシングの取り組みも大事。ポルシェレーシングエクスペリエンスでは、これからレーシングに挑戦しようというドライバー向けのプログラムを提供しており、ここル・マンもその拠点の1つで、そうしたドライバーにとってル・マン24時間レースはその頂点となる」と述べ、カスタマーレーシングプログラムやジェントルマンドライバー向けのプログラムを今後も拡充していきたいと説明した。