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さらば「マークX」。トヨタ、元町工場で生産終了イベント開催
二之夕工場長「このクルマを作れたのは誇りだし、心に一生残るクルマ」
2019年12月24日 00:00
- 2019年12月23日 開催
トヨタ自動車は12月23日、同社の元町工場(愛知県豊田市)においてミドルサイズセダン「マークX」の生産終了イベントを開催した。同イベントには元町工場 工場長の二之夕裕美氏、元2代目マークXのチーフエンジニアである友原孝之氏をはじめ、元町工場の従業員約200名が出席して行なわれた。トヨタが社内向けに生産終了イベントを開くことはあるが、対外的に生産終了イベントを開くことは珍しく、それだけにトヨタとして思い入れの強いモデルであることがうかがえるイベントとなった。
マークXの前身モデルである「マークII」が1968年に登場して以来、マークII/マークXは50年以上にわたりトヨタのFRセダンの中心的存在としてラインアップされてきたが、12月23日をもって生産を終了。マークIIとして約651万8000台、マークXとして約36万3500台の合計約688万1500台を世に送り出した。そのうち、元町工場での累計生産台数は約349万5000台としており、残りは関東自動車工業(現トヨタ自動車東日本)東富士工場とトヨタ自動車九州 宮田工場での生産という内訳になる。
ここでざっと歴代モデルを振り返りたい。英語の「Mark」(目標、成功、名声)と「コロナの第2世代」「コロナの上級車」を意味する「II」を車名に組み合わせた初代マークII(トヨペット コロナ マークII)は、1968年に誕生。コロナよりひとまわり大きなボディに1.6リッターと1.9リッターエンジンを搭載し、4ドアセダンと2ドアハードトップ、ステーションワゴンに加え、バンやピックアップなど豊富なボディバリエーションを誇った。
1972年にデビューした2代目マークII(トヨペット コロナ マークII)は、精悍なフロントマスク、長いボンネット、流麗なルーフデザインなどを特徴とし、4気筒エンジン搭載モデルに加えて直列6気筒2.0リッターエンジンを積む最上級グレードのLシリーズを展開。3代目(トヨペット コロナ マークII)にスイッチしたのは1976年。フロントマスクが4灯式から2灯式へと変わり、丸形ヘッドライトと独立したフロントグリルというセミクラシック調デザインを特徴とするとともに、最上級グレード「グランデ」を新設定したのも3代目になる。
高級セダンの幕開けを告げる1台となった4代目(コロナ マークII)は1980年に登場。上級グレードに直列6気筒2.8リッターエンジンを搭載し、姉妹車である「チェイサー」「クレスタ」とともに好調な販売を見せたという。車名からコロナを外した5代目(マークII)は先代で火がついたハイソカーブームをけん引し、若年層から中高年層まで幅広いユーザーに愛され、1985年1月~8月の平均月販台数は1万2000台に到達した。バブル全盛の1988年にデビューした6代目(マークII)では、それまで首位を堅持してきた「カローラ」を追い抜き、1990年の年間販売台数で1位を獲得するに至っている。
そして3ナンバーサイズとなった7代目(マークII)が1992年に登場。スポーティなツアラー系、ラグジュアリーなグランデ系を展開し、足まわりや操縦性のチューニングをすみ分けることで幅広いユーザーニーズに対応した。また、1996年に発売した8代目(マークII)のツアラーVでは電子スロットル搭載とターボのチューニングによって俊敏なレスポンスとトルクの向上を実現した一方で、全車にABSやデュアルSRSエアバッグ&SRSサイドエアバッグを標準装備するなど安全性も考慮した1台となった。
マークIIとして最終モデルになる9代目(マークII)は2000年にデビュー。グレードはグランデに統一され、スポーツ系としてiRシリーズをラインアップした。11代目クラウン(1999年9月発売)のプラットフォームを共用し、エンジンはいずれも直列6気筒DOHC VVT-iを採用している。
マークIIの後継モデルとして発表されたマークXは2004年に誕生。目標、成功、名声を意味する「Mark」とともに、「次世代の」「未知の可能性」を意味する「X」が車名に与えられ、「クルマで走るのが好きな大人」がターゲット層となった。そのマークXが2代目になったのは2009年のこと。2代目では初代からの開発思想であるスポーティさと上質さをさらに熟成させ、先代の走行性能をブラッシュアップするとともに上質な乗り味を追求している。
こんなに愛されるクルマはないのでは
生産終了イベントでは歴代モデルの紹介が行なわれるとともに、各部の代表者からの思い出話、そして元町工場 工場長の二之夕裕美氏があいさつを行なった。
二之夕氏は歴代モデルの振り返りを行ない、「私が入社して買ったのは5代目の4ドアハードトップ。当時、カローラ販売店で研修をしていてまわりから『AE86を買え買え』と言われていたのですが、それを横目に購入を我慢し、晴れて5代目を買ったわけです。僕にとってはマークIIはとても大きな存在で、それは元町にとっても同じように、もしくはそれ以上に大きな存在だったのではないかと思います。チェイサーやクレスタの生産はすでに打ち切られましたが、マークIIはマークXという形でリバイブし、タイヤを4隅に配置するなどヒョウのような姿勢というのでカッコいいセダンを売り出したのを今でも覚えています」。
「しかしながら、ワンボックスやSUVの波にはなかなか打ち勝てず(販売が)低迷しましたけども、GRとして作ったマークX“GRMN”ではまだまだMTのFRファンが多いということが分かりました。(2014年に発売した)最初の100台は完売、(2019年に発売した)350台も完売と、こんなに愛されるクルマはないのではないかと思いました。元町のメンバーにとってもこのクルマを作れたというのは本当に誇りだと思いますし、心に一生残るクルマだと思います。今日、最終号車を皆さんとともに送り出せることは本当に嬉しいことです。長きにわたりマークII、マークX、そしてマークII3兄弟を応援していただいた皆さまに心より感謝を申し上げたいと思います」とコメントした。
イベント終了後には、友原チーフエンジニア、二之夕工場長の囲み取材が行なわれた。その模様は以下のとおり。
――生産終了のイベントを工場でやるというのはかなり珍しいかと思います。今一度、マークII、マークXへの想いを教えてください。
二之夕工場長:生産を打ち切ることが決まると本当にさみしい気持ちになるのですが、一方でこのクルマが立ち上がった1968年から50年以上にわたってクルマを作り続けてきて、クルマをお届けして、ちょうどバブルの時代も含めてこのクルマが社会のお役に立てたかなと。歴史を思えば思うほど「やったな」という気持ちを強く感じます。マークII、クレスタ、チェイサーは色々な工場で作られてきたのですが、メインは元町でしたし、そうすると元町で働いている人たちにとってはこのクルマを作ることは本当に誇りなのです。色々なイベントをできる限り工場でやっていまして、外に発信するというよりもやってくれたメンバーで色々やろうと、こういうのが今の流れになっています。新しいクルマが立ち上がるときもそうですし、生産終了のときも(生産に携わったメンバーで)最後の送り出しをやろうと企画しています。
友原チーフエンジニア:会社に入ってから38年のうち、マークXに携わったのはだいたい半分くらい。5代目、7代目、そして最後の9代目、マークX 2代目とやらせていただきました。すごく感慨があるのと、私個人としては今年定年を迎えましたので、1つ終わったなという感じがあります。いまトヨタは大変革と言っていますが、そういう中で1つの役割を果たしてきて、今から大きく変わっていくところにつなぐことができたのはいいことができたと思いますし、工場長がおっしゃったように元町の皆さんと一緒に仕事ができたというのは大変光栄なことだと思っています。
――マークII、マークX含めてこれからCASE(Connected、Autonomous、Shared、Electric)時代と言われていますが、次に生かしていけるものは何か教えてください。
二之夕工場長:マークIIの歴史を見ると、常に最新のテクノロジーをクルマに注ぎ込んできたと思います。ツインカム24だったりツインターボもそうですし、僕はそう思っています。そういうところで新しい技術をこういうクルマに注ぎ込んでいくということと、どういうクルマでもしっかり工場で作り込んでいい品質のものをお客さまに届けるというのは変わらぬDNAで、新しい時代のクルマがきてもしっかり作り込んでお届けするというのは変わらないです。ただ変わってくるのは、自動運転だったりEV(電気自動車)だったり、そういう機能というのが時代によって変わってくるのでそこはわれわれが一生懸命勉強しなければならない。作っている人間がクルマを知らずにお客さまにお渡しするというのは絶対あってはならないので、一生懸命勉強しているところです。はやく自分たちのものにするのが大事かと思います。
友原チーフエンジニア:マークII、マークXの使命・役割というのはお客さまが本当に欲している商品力を、お客さまのニーズに合わせて作り込んでいくモデルだと思っています。そういう意味でいうと、これからCASEなどが出てきますが主役がお客さまであることは変わりませんので、そういうところにつながっていくんだと思います。
――改めてマークII、マークXが50年間お客さまに支持された理由と、トヨタにとって両モデルがどういう役割を果たしたのか教えてください。
二之夕工場長:カローラでもなくクラウンでもなく、このミドルサイズのセダンというのが昭和50年代に経済がよくなっていく中で自分の力で働いて自分のクルマを買う、自分の力で働いて自分の家を持つという時代の中で、まさにマッチしたモデルだと思います。「やっぱりマークII グランデを買いたい」と、お客さまをそういう気持ちにさせるクルマを開発・生産させていただいたんだなと思います。そういう意味で、お客さまのニーズをつかみ、販売台数以上にトヨタを育ててくれたクルマなんじゃないかなと。役目を果たしてくれたというのがいいと思いますが、次の時代にどうやって引き継いでいくかというのは僕らに課せられたことだと思います。
友原チーフエンジニア:このクラスのクルマって価格帯が非常に重要になります。300万円以下でお客さまのほしいものが標準装備で付いてくるというのが大事な価値だったと思います。私は最後のチーフエンジニアになってしまいましたが、そういうものを引き継いできたんだなと工場長のお話を聞きながら改めて感じたところです。
二之夕工場長:最初に買ったマークIIは当時220万円あたりで、この価格帯でフル装備というのがサラリーマンの心をくすぐるいい感じで、室内が豪華なワインレッドだったりとその時代にマッチしていたのではないかと今でも思っています。
――エスティマも生産終了するなど、ラインアップが整理されているかと思います。ラインアップが減少する中で、お客さまの満足度をどういった形で高めているのでしょうか。
二之夕工場長:ラインアップが減っているというか、車種が減っているというのはたしかにそう受け止められるかもしれませんが、例えばエスティマの上にはアルファード/ヴェルファイアがあって、その下にノア/ヴォクシー/エスクァイアがあって、もう少し小さいところにいくとシエンタがあるなど、1ボックスの領域ででお客さまに満足いただくラインアップはそろっていますし、SUVではRAV4だったりハリアーだったりと、あるレンジをカバーできるラインアップはそろっていると思っています。
ただ、セダンの領域というのは弊社のレクサスも入れて上から見ていくと、やはり苦しいレンジがでてくる。セダンはこういう範疇で頑張る、SUVはこういうところを狙っていくなど、現在整理をしている最中で、決して減らしているわけではありません。
――マークX生産終了の背景にはSUV人気というのもあるのでしょうか。
二之夕工場長:セダンのニーズはあるんです。先ほどマークX“GRMN”の話をしましたが、FRで3.0リッターエンジンのMTというのはほとんど世の中にないのですが、発売すると潜在需要が7000台ほどあることが分かりました。しかし7000台で生計が成り立つかというと、これはなかなか苦しいところがあって、トヨタとしてはレクサスのモデルが“これがFRで走れるクルマだよ”と整理をしているのかなと思います。