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自工会 豊田章男会長、「自動車産業という実業を通じて、東北の皆さまと一緒に未来を作る」 東日本大震災から10年目の記者会見

2021年3月11日 発表

日本自動車工業会 会長 豊田章男氏

東日本大震災から10年

 3月11日、自工会(日本自動車工業会)は豊田章男会長出席によるオンライン記者会見を開催した。自工会がこの日に記者会見を行なったのは東日本大震災発生から10年目にあたることから。

 豊田会長は始めに、今回の福島県沖地震で被災されたすべての方々に対してお見舞いを語った後、自動車業界を代表して東日本大震災からの復興への思いを語った。

自工会 豊田章男会長メッセージ

 本日は、東日本大震災から10年という節目の日です。10年前の今日、日本列島の半分が大きな被害を受け、私たちは悲しみのどん底に突き落とされました。当時、日本の自動車産業は6重苦と呼ばれる非常に厳しい経営環境と戦っておりました。

 1ドル80円台が定着した超円高に、震災による電力不足も重なり、国内でのもの作りは理屈の上では成り立たない状況にまで追い込まれました。ほかの産業が海外にシフトする中で、日本の自動車産業はまさに石にかじりついて日本の雇用を守り、もの作りの基盤を守り抜いてまいりました。

 そこにありましたのは基幹産業としての責任と、ジャパンLOVEだったと思います。当時、自動車産業は成熟産業であり、これからは自動車に代わる新しい産業が必要だということが盛んに言われておりました。そんな中、東北の人たちだけは違いました。

 自動車産業に期待し、私たちを復興のど真ん中に置いてくださいました。私達も何としても復興の力になりたいと思い、2013年には自工会として、各社の技術者が手を取り合い、陸前高田市の奇跡の1本松を板金で再現いたしました。

 もの作りの力で未来への希望を表現し、東北の皆さまにお届けしたいとの思いからです。自動車産業という実業を通じて、東北の皆さまと一緒に未来を作る。私たちはこの思いで10年間取り組んでまいりました。日産は、福島でエンジンの生産を続けてきました。トヨタは東北を中部九州に次ぐ第3の拠点と位置付け、人材育成の学校も含めた自動車生産の基盤作りを続けてまいりました。

 そして何よりも大きかったのは、多くの地元企業の方々が自動車部品の製造にチャレンジしてくださったことであります。

 その結果、東北における自動車産業の雇用は約8000人増加し、自動車部品の出荷額は8000億円増加いたしました。東北生産の多くは電動車で、その比率は実に8割を超えております。

 未来に向けた環境対応を進めながら、自動車産業は東北の地にしっかりと根を下ろしたと思います。

 これまで私は、毎年3月に東北への訪問を続けてまいりました。今年も先週、宮城県と福島県を訪問させていただきました。福島県の浪江町にある水素製造拠点では、菅総理のリーダーシップのもと、グリーン水素を開発する実証実験が着実に進んでおります。

 水素社会の実現には、作る、運ぶ、使う、というすべてのプロセスをつなげることが大切です。運ぶ使う側である自動車産業がこれまでの知見を活かし、国家と福島県の取り組みに、より深いレベルで参画させていただきたいと思っております。

 福島県の内堀知事と浪江町の吉田町長は、「浪江町は原発事故により、一度人口がゼロになった。風評被害も続いている。当たり前の日常を取り戻すだけではなく、この街に未来を作りたい」と言われておりました。

 私は東北の皆さんと一緒にカーボンニュートラル社会という未来を実現することが自動車産業の役割だと思っております。

 だからこそ、カーボンニュートラルにおいても自動車をど真ん中に置いていただきたいと思っております。カーボンニュートラルを実現するためには、エネルギー政策、産業政策をセットで考えることが必要だと思います。乗り越えるべき壁はたくさんあります。

 多くの産業が変化をせまられます。私たちの日常生活も例外ではないと思います。

 でも日本には電動車フルラインアップと省エネという強みを持った自動車産業があります。コロナ危機の中でも、日本の移動を支えてきた550万人の仲間がいます。

 電動車を積極的に受け入れ、育ててくださるお客さまもいらっしゃいます。そして、未来のこと、次世代のことを考えて行動する企業や、国民の皆さまがいると思います。私は、みんなで力を合わせて日本の未来を一緒に作っていきたいと思っております。

 これからも550万人の仲間とともに、日本の未来のために努力を続けてまいりますので、ご支援をよろしくお願いいたします。

自動車業界が取り組んだ奇跡の一本松再現

質疑応答

 その後、質疑応答が行なわれ、2021年に開催される東京モーターショーの現状などが質問された。この東京モーターショーについて豊田会長は、「東京モーターショーは正直どうなるか分かりません」「そろそろ決定をしていかなければいけない」と語るものの、具体的な話をすることはなかった。現時点で「検討中」としており、時期的には秋と思われるものの、新型コロナウイルスの状況などもあり、決める環境になっていないと思われる。

 また、豊田会長は自工会の会長は2012年の一度目以来のこととなる。2012年の5月に就任しており、2011年から自動車業界を代表して復興を担っていた。その復興についての思いを聞くと、復興に対する思いを忘れることなく未来を考えることが大切であると語ってくれた。

豊田章男会長 復興についての思い

 10年前はとてつもなく大きな規模、日本の半分が自然災害で影響を受けた。地震、津波、そこから重なっていく原発事故。そして風評被害も含めて大変な試練を迎えた。自動車業界としては、実業をもって、中長期にわたって貢献していく道を選びました。

 この10年、確実にサプライヤー基盤も増えてきているし、雇用数も増えている。それを続けていくことであると思うが、(災害発生から)2~3年経った後、われわれが意識したのは、世の中から復興支援に対する意識が薄くなってきたこと。われわれ自動車業界はそうならないよう、毎年、毎年、私自身も足を運びながら決して忘れない。毎年、毎年を続けて10年目を迎えた。

 その中で10年経っても、先日福島宮城沖の地震があったように、まだまだ余震は続いている。現実のものとして、東日本大震災は過去のものではない。そうなると、1年、1年忘れないということを続けるとともに、10年を節目に景色が変わったところ、人が戻ってこないところ、新たな人が来たところ、いろいろなインダストリで新しい未来の礎を作ったところ。そういった変化点をベースに、10年目を1つのベースに未来を考えるきっかけにしたらよいのではと思っている。

 それが先ほどの、水素なとなります。30年前は日本にハイブリッド車もFCVもなかった。しかし、日本にはそれを研究開発していた技術者がいました。そういう意味ではどんな電動化になろうが、LCA(ライフサイクルアセスメント)であろうが、日本の技術が変化に対応していく必要性が今後ますます高まっている。