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“ミスター ル・マン”こと寺田陽次郎氏、仏日友好関係強化に貢献し「フランス共和国 国家功労勲章シュヴァリエ」受章

2023年6月19日 実施

駐日フランス大使館 特命全権大使 フィリップ・セトン氏(左)と「ミスター ル・マン」こと寺田陽次郎氏

 フランスで開催される「ル・マン24時間レース」に古くから参戦し、日本のレース界がル・マン24時間レースを目指すきっかけの1つにもなっている寺田陽次郎氏は、世界中のレーシングドライバーのなかで歴代2位となる29回の出場を誇り、4度のクラス優勝を達成している。このことから日本では「ミスター ル・マン」とも呼ばれているが、レース引退後もル・マン24時間レースを通じて日本とフランスの交流に尽力している。

 そんな寺田氏に対してフランス共和国(以下フランス)は、長年にわたるル・マン24時間レースへの参画を通じたフランスと日本の友好関係強化に貢献した功績を高く評価。そして寺田氏はフランスより「フランス国家功労勲章シュヴァリエ」を受章するという名誉に輝き、2023年6月19日に、フランス大使公邸にて「フランス共和国 国家功労勲章シュヴァリエ叙勲式」が、駐日フランス大使館 特命全権大使 フィリップ・セトン氏同席のもと執り行なわれた。

「フランス共和国 国家功労勲章シュヴァリエ叙勲式」に参加した寺田陽次郎氏
駐日フランス大使館 特命全権大使 フィリップ・セトン氏

 叙勲式ではフィリップ・セトン大使が登壇。あいさつに続いて国家功労勲章「シュヴァリエ」についての紹介を行なった。この勲章はフランスに対して大きな功績を成した人物に贈られるもので、フランス大統領の決定によりフランス政府から与えられる勲章である。

 そしてフィリップ・セトン大使は寺田氏に向けて「親愛なる寺田さん、本日はこの勲章を通じていままで歩んでこられた輝かしい功績、そしてまた人のために尽くすこと、フランスと日本の架け橋として存在してくださったことに対して敬意を表します」と語りかけた。

 続けて「寺田さんはフランスと長年にわたって密接な関係を築いてこられました。そのなかでもとくにル・マン24時間レースとの関係が特別なものです。1974年に初めてル・マン24時間レースに参戦されたわけです。それからも継続的にル・マン24時間レースに参戦されてきました。出場回数は29回、そして4回のクラス優勝を果たしていらっしゃいます。このようにレーサーとしてのご縁があるだけではなく、慈善活動の一環のなかでもフランスとの関わりがありました。2013年からは被災した子供たちをフランスに派遣して夢や希望を与えることを目的とした活動にて中心的な役割を担ってきました。この活動は新型コロナウイルス感染症の流行により速力が落ちていましたが、今後は再開される予定です。私どもといたしましてもそれを強く期待していますし、できる限りの支援をしていきたいと思っています」と叙勲式の来場者に対して寺田氏の功績を紹介した。

フランス大使公邸にて行なわれた叙勲式の様子
大使のスピーチを聞く寺田氏
スピーチのあとに叙勲式が行なわれた
国家功労勲章「シュヴァリエ」を叙勲される寺田氏
大使も寺田氏を祝福した
今回の叙勲は3月に知らせがきたそうで、「予想していなかったので大変驚き、光栄に感じた」と寺田氏。また叙勲式まで周囲に話してはいけないそうで、「活動関係者にはこれからお礼を伝える」とのこと。さらに、この日の朝の気持ちを伺うと「天気がよくてよかったと思ったくらいで落ち着いていた」とのことだった

 続いて、国家功労勲章シュヴァリエを叙勲した寺田氏が登壇。寺田氏は「私は1974年にマツダのドライバーとして、ル・マン24時間レースに参加し、早いものであれから約半世紀が経ちました。そしていま、こうして皆さまの前でお話しさせていただけることが信じられませんが、これもマツダを始め、皆さまの温かいご支援の賜物であると思っています。振り返りますと私が50年間ものあいだ、ル・マン24時間レースに関わり続けられたのは、少年時代に描いた“世界の檜舞台に日の丸を掲げたい”と言う強い夢があったからです。そしてもう1つの大きなこととしては、レースに参加するたびにフランスの方々との相互理解が生まれ、強固な絆と深い友情が生まれたからだと思っております。私はフランスと言う国、フランス人が大好きです。またフランスのワインが大好きです(笑)。私ごとだけでなくフランスの方々からは日本に対してのご厚意を常に感じています。2013年から東日本大震災で被災をした子供たちを毎年10名、ル・マン24時間レースに招待し、耐久レースのしんずいである“諦めずにやり続けること。チームワークの大切さ”を学ぶ機会を提供してくれています。つい先日開催されたル・マン24時間レース100周年の記念大会では、たくさんのフランスの方が日本政府観光局のブースを訪れ、積極的に訪日について質問されたり、トヨタやマツダが展示をしたクルマの見学をされていました。こうしたことから改めて日本への愛情を感じました。さて、私自身、叙勲と言う素晴らしい賞に恥じないよう、これからもさらにフランスと日本の友好関係を深められるよう、微力ではありますが精進して参ります」とあいさつ。

寺田氏の左胸に輝く国家功労勲章シュヴァリエ
来場者代表の祝辞は参議院議員の山東昭子氏が行なった
乾杯の発声は皇族である伏見宮家 第24代当主 伏見博明氏が行なった
SOKに参加した子供たちからの花束贈呈
代表者による記念撮影。左から山東 昭子(第32代 参議院議長)、フィリップ・セトン (駐日フランス大使)/ Philippe Setton, ambassadeur de France au Japon、寺田 陽次郎、寺田 ゆう子(寺田氏令夫人)、伏見 博明(伏見宮家 第24代当主)、毛籠 勝弘(マツダ株式会社 取締役専務執行役員)

 以上がフランス大使公邸にて行なわれた寺田陽次郎氏の「フランス共和国 国家功労勲章シュヴァリエ叙勲式」の模様。最後に会場で流されていた寺田氏の活動を紹介するスライドを掲載するので、功績も含めて世界で活躍する寺田氏の活動を少しでも知っていただければ幸いだ。

資料映像「寺田陽次郎 仏日の架け橋 -ル・マンにこだわり続けた53年間-」
1970年の写真。この頃からル・マン24時間レースへ憧れを持っていた
マツダスピードの前身、マツダオート東京でル・マン24時間レースへの参戦を計画
1974年に初出場
1981年は予選を通過するが決勝はリタイア
1982年の挑戦
決勝レースで見事完走を果たす
1983年からはマツダの支援体制も強くなり、新カテゴリーへ参戦
グループC Jr.部門で1-2フィニッシュを達成
1986年には新しいエンジンで参戦するもリタイア
1987年には日本車初となる総合7位に入賞
1988年には2度目のクラス優勝を獲得
1991年にはマツダ787Bの55号車が総合優勝
寺田氏もドライブした56号車も8位入賞
マツダスピードの撤退後も独自で参戦を続けていた寺田氏
寺田氏の主な戦績
2003年にAOC理事に就任、2008年にはSpirit of Le Mansを受賞
2010年観光庁スポーツ観光マイスター就任
ル・マンで水素ロータリーRX-8のデモランなども行なった
2011年はル・マンの市内パレードを実施
2013年からSOK(Support Our Kids)の活動をスタート
SOKには毎年10名の子供を招待。2018年にはトヨタチームの初優勝に立ち会えた
SOK参加者は異国の地で聞く「君が代」に感動したと言う
2023年はトヨタ、マツダ、JNTOが合同で日本への観光誘致と環境対応をアピールする「Japan Display」を運営
「Japan Display」のブース
寺田氏の仏日の架け橋となる活動は今後も続く

【訂正】マツダよりアナウンスがあり、発言内容を一部修正しました。