ニュース

NISMOブランドが誕生40周年、ゲストで登場した豊田章男氏「一緒に自動車業界を盛り上げていきたい」

2024年9月17日 開催

「NISMO 40周年記念レセプション」で登壇した日産自動車株式会社 代表取締役社長 兼 最高経営責任者の内田誠氏(左)と、一般社団法人スーパー耐久未来機構(STMO)の理事長としてあいさつをした豊田章男氏

NISMOを象徴するモデルを10月15日まで一般公開

 日産自動車と日産モータースポーツ&カスタマイズは9月17日、NISMOブランドが誕生から40周年を迎えたと発表。同日、日産グローバル本社ギャラリーで「NISMO 40周年記念レセプション」を開催した。

 会場になった日産グローバル本社ギャラリーにはNISMOの歴史を振り返るレーシングカーから現行のNISMOロードカー、過去のロードカー、さらに日産モータースポーツ&カスタマイズが手掛ける日産車のオーテックバージョンなども展示された。

 なお、これらの展示については「日産グローバル本社ギャラリー NISMO 40周年特別展示」として10月15日まで一般公開される。また、12月1日には富士スピードウェイにおいて開催される「NISMO Festival at Fuji Speedway 2024」を、NISMOブランド40周年をテーマとして開催することも発表された。そしてもう1つ、NISMO 40周年の軌跡を紹介するコンテンツを掲載した特設サイトも公開された。

NISMOブランド40周年を記念する「NISMO 40周年記念レセプション」が日産グローバル本社ギャラリーで開催された
SUPER GTに参戦中の23号車MOTUL AUTECH Z
23号車MOTUL AUTECH Z
車両の紹介ボード
3月に開催された2024 TOKYO E-PRIXにて、有明の市街地コースも走った日産のフォーミュラe Gen3マシン 22号車
フォーミュラe Gen3マシン 22号車
22号車の紹介ボード
ニッサンR91CP 92年デイトナ24時間レース総合優勝車
デイトナ24時間レースのトロフィーも展示されていた
車両の紹介ボード
ニッサンR390GT1。1998年ル・マン24時間で総合3位に入賞した車両
ニッサンR390GT1
車両の紹介ボード
スカイラインGT-R グループA カルソニック。1990年式のBNR32だ
運転席まわり
車両の紹介ボード
こちらは99台限定で作られたNISMOコンプリートカー「NISMO 400R」
エンジンは2.6リッターから2.8リッターへ排気量アップ。このエンジンはRB-X GT2という名称
車両の紹介ボード
フェアレディZ Version NISMO Type 380RS
300基のみ作られたエンジンを搭載していた
車両の紹介ボード
S14型シルビアをベースにしたNISMO 270R
NISMO創立10周年の記念車。これもかなり珍しいクルマ
車両の紹介ボード
NISMOロードカーの展示。フェアレディZ NISMO
フェアレディZ NISMO
アリア NISMO
オーラ NISM0
オーテックブランド車の展示。こちらはノート オーテック
エルグランド ハイウェイスター アーバンクロム
ルークス ハイウェイスターアーバンクロム
デイズ ボレロ
車両展示の場にゲストの豊田章男氏が登場。ニッサンモータースポーツ&カスタマイズ株式会社 代表取締役社長兼最高経営責任者 片桐隆夫氏より説明を受けていた
KONDOH RACINGの近藤真彦氏も来場

「日産をより好きになっていただけるよう一丸となって取り組んでいく」

定刻になりレセプションがスタート

 定刻になるとステージ上で代表者のあいさつが行なわれた。最初にステージに上がったのは日産自動車 代表取締役社長 兼 最高経営責任者の内田誠氏。内田氏は「日産のモータースポーツ活動を象徴するNISMOブランドは誕生から40周年を迎えました。日産は創業当初から“ほかがやらないことをやる”といった精神でモータースポーツに挑戦してきました。そのDNAを体現するNISMOはこの40年間、世界のモータースポーツの場で独自性に溢れる革新的な技術を鍛え、そしてワクワクするドライビングにより、ファン、お客さまの心を動かしてきました。そして今年、ワークス活動の柱の1つであるフォーミュラEのレースが日本で初めて開催されました。私もスタンドで観戦しましたが、ファン、パートナーの皆さま、日産の従業員が一丸となって会場を盛り上げていた風景がとても感動的でした。ロンドンの最終戦にも足を運びましたが、ラウンド優勝を果たすことができチームの熱気を肌で感じることができました」とコメントした。

日産自動車株式会社 代表取締役社長 兼 最高経営責任者の内田誠氏

 続けて今後のこととして「来シーズンからは日産の電動化技術がより本格的に入ることで、さらに進化を遂げる予定です。ぜひご期待ください。次にSUPER GTです。今年も各チームがしのぎを削り、毎回勝者が入れ替わる熱戦が続いています。この会が終われば次のレースがすぐにはじまりますが、長年培われてきたNISMOのチーム力とファンの皆さまの声を糧にして、チャンピオンの奪還に向けて挑戦してまいります。昨今、社会や環境の変化にあわせて、モータースポーツを取り巻く環境も大きく変化しています。カーボンニュートラル燃料の使用など、変化への対応を進めていく必要がありますが、今後もレースを通してさまざまな課題に挑戦していくことに変わりません。NISMOがここまでやってこれたのはチームのスタッフ、ドライバー、長年支えてくださるファン、パートナーの皆さまの力があったことです。ともに挑戦し続けることでわれわれも成長し、新たな価値と感動を生み出すことができます。今後も皆さまとともに喜びを分かち合い、笑顔を届けていきたいと思っています。モビリティーと社会の可能性が広がり、よりワクワクした次の10年、そしてその先の未来、皆さまとともに切り開いていきたいと思っておりますので、引き続きご支援、ご支援のほどよろしくお願いいたします」と語った。

内田氏に続いて登壇したのはなんと豊田章男氏。一般社団法人スーパー耐久未来機構(STMO)の理事長としてあいさつを行なった

 続いてステージに登場したのは豊田章男氏。今回はスーパー耐久未来機構の理事長としての登壇となった。豊田氏は「スーパー耐久というレースはN1耐久のときからNISMOさん、それに日産さんに支えていただいていたと言っても過言ではないと思っています。R32 GT-R、Zとすべてプライベーターにクルマを供給し、NISMOがサポートする。この伝統を参加型レースで作ったのがNISMOさんと日産自動車だと思っています。いまでは多くの自動車会社にモータースポーツを起点としたサブブランドができてまいりましたが、これからも参加型レースの先駆者として引っ張っていっていただければと思っています。そしてわれわれも30年遅れではありますが、一緒に自動車業界を盛り上げてまいりたいと思っておりますので、これからもご支援よろしくお願いします」とあいさつした。

最後に登壇したのは日産モータースポーツ&カスタマイズ株式会社 代表取締役社長兼最高経営責任者 片桐隆夫氏

 片桐氏は「NISMOは1984年、日産自動車の宣伝部の分室と特殊車両実験部、そして中央研究所のエンジン開発といったところを母体に日産スポーツインターナショナルとして設立されました。そして今日まで40年に渡りまして創業当初から続く、日産のモータースポーツの歴史を受け継ぎ、日産車のモータースポーツ活動やレース、チューニング部品の企画、開発を通じてお客さまに感動をお届けし、日産とそのブランドの価値向上に貢献してまいりました。この間、日産、NISMOファンの皆さま、スポンサーさま、そしてパートナー企業の皆さま方の支援のもと、デイトナ24時間レースで優勝や、ル・マン24時間の3位表彰台を始め、国内外のトップカテゴリーでも幾度とないチャンピオンや表彰台の獲得など、歴史を刻んで来ることができました」とNISMOの歴史を紹介。

 続けて「2022年には日産モータースポーツインターナショナルと、日産直系のカロッツェリアでありますオーテックジャパンが日産モータースポーツ&カスタマイズとして統合いたしました。これによりモータースポーツ活動とNISMOロードカーの開発にシナジー効果を発揮することができる体制といたしました。昨年発売いたしましたフェアレディZ NISMO、スカイライン NISMO、GT-R NISMOに加えまして、今年の6月にはアリア NISMO、7月にはさらなるパフォーマンスアップを施したオーラ NISMOも登場させました。NISMOロードカーは欧州市場への参入、そして北米地域、中東地域においてもさらなる市場拡大をしてまいります」。

「モータースポーツ活動につきましてはフォーミュラE世界選手権、SUPER GTというワークス活動のほか、カスタマーレーシング化プログラムといたしましてGT3、GT4に参戦するカスタマーチームのサポートをしていきます。NISMOは50周年に向けてこの先もレースでの勝利を求めて真剣に全力でモータースポーツ活動に取り組み、そしてレースからのフィードバックを織り込んだ魅力的なロードカーを開発していくことで、ご支援いただける皆さま、そして多くのお客さまに感動を届け、日産をより好きになっていただけるよう一丸となって取り組んでいきます」とNISMOが目指す先を語った。

2022年には日産モータースポーツインターナショナルとオーテックジャパンが統合され、日産モータースポーツ&カスタマイズが誕生した

 以上のあいさつが終わったあとはNISMOの歴史に大きな貢献をしてきた方々によるトークショーが行なわれ、そのあとはレーシングカーを前に華やかなパーティが開かれた。

 冒頭でも書いたように、「NISMO 40周年記念」の展示は10月15日まで日産グローバル本社ギャラリーにて開催されているので、興味のある方は見学に行ってはいかがだろうか。

ステージ上の最後のプログラムはトークショー。登壇者は写真左から長谷見昌弘氏、星野一義氏、近藤真彦氏、SUPER GT 23号車ドライバーの千代勝正氏、3号車ドライバーの高星明誠氏、そして日産自動車の社員でありフォーミュラEチームの西川直志氏
長谷見昌弘氏。若手のドライバーに向けてのコメントを求められた長谷見氏は「とにかく1台でも前に行くということを考えて走ってほしい」と語った
星野一義氏。若手に対しては「レースでの失敗を恐れるのはよくない。限界を越えないように走るのではなくそれを越えるのがプロ。日産を背負っていく気持ちを持って本当のプロに成長してください」と語りかけた
近藤真彦氏。近藤氏は思い出として日産の応援団としてル・マンに行ったときのことを話した。現地での記念撮影のときにスタッフから借りたNISMOのジャンパーを着て写ったが、その後、ワークスの一員として自分のジャンパーを着て写真に収まった際、夢のようで泣きそうになったと当時のことを語った
千代勝正氏は「今年は23号車で走らせてもらっていますが、そこで思うのはNISMOという大きなブランドを背負って走る責任の重さです。それでもなかなか結果が出ない時もあって、そういう時も何度もチャンスをいただいて、過酷な中で鍛えてもらっていることには本当に感謝しています」と語った
高星明誠氏は「ボクはカートから上がってきましたが、そのときからNISMOさんには支援をしてもらっていましたが、それがなかったらレースを続けていられなかったと思っています。それにレースを続けるだけでなく、プロのレーシングドライバーとしてやれていることもNISMOに関わる多くの方のおかげなので、本当に感謝の言葉しかないです」と語った
西川直志氏はフォーミュラEについて「われわれがレースで培っている技術が市販車にフィードバックされて、それがいいと言っていただくことはうれしくやりがいを感じます。これからももっとワクワクできることをどんどん増やしていけるように頑張っていきます」と抱負を語った