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モータースポーツの現場で示したトヨタ自動車とルーキーレーシングの底力 GRヤリスを襲った原因不明の前後振動をパワトレ全交換で復旧

ニュルブルクリンク24時間レース 2026

24時間レース参戦中のGRヤリスを襲った原因不明の前後振動に対し、トヨタ自動車とルーキーレーシングはパワートレーン、ドライブトレーンを全交換するという決断でリタイアを回避。チェッカーフラッグまで導いた

世界一過酷なレースであるニュル24時間に、新たな挑戦を持ち込んだTOYOTA GAZOO ROOKIE RacingとGRヤリス

 世界一過酷なレースと言われるニュルブルクリンク24時間レースが5月16日~17日にかけて行なわれた。このレースにトヨタ自動車とルーキーレーシングはコラボレーションした「TOYOTA GAZOO ROOKIE Racing」(以下、TGRR)として2025年同様に参戦。GAZOO Racingとして2007年から19年目、TGRRとしては2025年に続き2年連続の参戦となった。

 持ち込んだ参戦マシンは、109号車 GRヤリスと110号車 GRヤリス。110号車のGRヤリスは市販車同様のパワートレーンで2025年のニュル24時間レースを完走した2025年ニュル仕様車で、109号車との比較、そしてモリゾウ選手こと豊田章男会長の走行時に佐々木雅弘選手がサポートするサポートカーとして持ち込んでいる。

GRヤリスの振動問題に対処するトヨタ自動車とルーキーレーシングスタッフ。中央がニュル仕様のGRヤリスを担当するトヨタ自動車株式会社 GAZOO Racing Company GR統括部 ZR GR4主任 久富圭氏

 一方、109号車は2026年のニュル24時間挑戦用に進化させたもの。ニュル仕様のGRヤリスを担当するトヨタ自動車 GAZOO Racing Company GR統括部 ZR GR4主任 久富圭氏は、主に3つの点を進化させたといい、「エンジンのパワーアップ」「空力面の改善」「フロントサスペンションのジオメトリ変更とトレッド拡大」が行なわれている。特に空力面の改善は、ドラッグ(抵抗)を変更せずに60%のダウンフォース向上を実現。フロア底面のフラット化、巨大なディフューザー、新形状のリアウィングなど見た目から変化が分かる。

 フロントサスペンションのジオメトリ変更とトレッド拡大は、GRヤリスの改善でもあるが、将来的なクルマ作りへ向けた大きなモード変更になる。久富氏自身も「今年はさらに挑戦する年とさせていただけるのであれば、車両というカテゴリを超えてでもやらせていただいて、こういう結果になるんだという解を出すことで、今後フロントヘビーなクルマができあがったとき、1つの例としてはバッテリEVだとかが進んだときでもあるかなとは思います。もちろん大きいエンジンを積んだときもそうなんですけど。ここまで気をつけなきゃいけないねとか、こういう経緯が過去あったねってところで、知見を会社としても残すのも有意義なテストになるんじゃないかなと思ってトライさせてもらってます」と語っており、フロントにエンジンなど重量物があるクルマの一つの理想の形を追い求めているものになる。

 なお、これらの大きな進化による重量増は6kg。意外と小さいが、これはケーブル類など新たな軽量化の試みが行なわれているため。久富氏によると2025年のニュル24時間挑戦がトヨタ社内でも知られており、部署を超えていろいろ協力してくれる人が増えたとのこと。

 このような3つのアップデートを行なって目指したのは、ラップタイムの10秒向上。ニュル24時間はグランプリコースと北コースを組み合わせた複合コースで行なわれ、走行距離は25.378km。GT3マシンが走る最上位カテゴリのSP9クラスでは、8分10秒台を記録するクルマが多い。久富氏は、昨年のラップから10秒短縮を狙ったときに、ポルシェ ケイマンが多く並んでいたとのことで、ケイマンよりも速いクルマを目指したと語っていた。

 ニュル24時間レースは16日15時(現地時間、日本時間は16日22時)にスタート。2025年は猛暑のため停電で2時間中断など運営面でのトラブルが続いたが、2026年は開催時期が1か月早く、肌寒い天候。さらに、途中雨やひょうが降るなど、荒れ模様となっていた。そのため雨などでクラッシュするクルマも多く出ており、文字どおり「世界一過酷なレース」との様相を示していた。

 そんな中でも2026年のニュル仕様車である109号車 GRヤリスは順調にラップを重ねていた。

原因不明の前後振動が109号車 GRヤリスに発生。パワートレーン、ドライブトレーンの全交換を決断

 異変が起きたのは、17日の明け方。

 ドライバー交代を行なって出て行った109号車 GRヤリスだが、ドライバーのほうから前後方向の振動が起きているとのコメントが入る。比較的低周波であったとのことだが、前後振動が出続けていると厳しいニュルのコースでアクセルを踏むのは難しい。グランプリコースであれば目の届く範囲だが、北コースに入ってしまうと、最悪帰ってこられなくなる。振動の出続けるクルマでレースをするのは、いつ壊れるか分からないし、命にかかわる問題でもある。

 そのためチームとしては、各部品を交換しながらグランプリコースを走り、振動のチェックをするという判断を行なった。ところがタイヤの交換などを行なって走っても前後振動は収まらない。

 そのため、TGRRでGM(ゼネラルマネージャー)を務める関谷利之氏は、エンジン、トランスミッション、プロペラシャフト、リアデフなど駆動系の全交換を決断。チームは重作業に取りかかった。

GRヤリスの振動問題を検討するスタッフ。右から2番目がGMを務める関谷利之氏

 トヨタ自動車 GAZOO Racing カンパニープレジデント 高橋智也氏によると、「変える決断をしたのは朝8時半過ぎぐらい。残り6時間半ぐらいのタイミングでしました。それまでもいろいろ変えては1周走ってっていうのを繰り返していたんですけど、原因が分からない。エンジンから駆動伝達部品全部一式を交換しようという判断をしたのが、まあ9時ちょっと前です」とのこと。

 そして、その判断の元となったのが、モリゾウ選手こと豊田章男会長とニュルブルクリンク活動を開始した成瀬弘氏だったらどう考えたであろうかと考えたことにあるという。関谷氏は「まあ成瀬さんは笑顔で『お前らリタイアすんのか』って言うと思います」と考え、リタイアするのではなく、直して挑戦するのが成瀬さんのやり方であるとの判断があった。

パワートレーン、ドライブトレーンの全交換作業に入った109号車 GRヤリス
各部を確認
こちらはリアまわり
GRヤリスシリーズ全体の開発責任者であるトヨタ自動車株式会社 GAZOO Racing Company 齋藤尚彦氏。リア駆動用プロペラシャフトを前に何を思っているのだろうか?
交換用のカップリングを取り出したところだろうか
リア駆動系を交換中

 この判断はドライバーでもあり、成瀬氏とニュル活動を始めた豊田章男氏にも伝えられ、豊田章男氏は「まあ分かったやってみろ」「ただし、コースに復帰させるがために焦って急いで、不安全になるのはダメだ」と伝え、「何よりも安全優先でチャレンジしなさい」と語り、まずは安全第一で作業を進めることを指示した。

 エンジン、トランスミッション、プロペラシャフト、デフとの全交換作業が決まった後に行なわれた高橋プレジデントとの報道対応では、「5~6時間くらいかかる作業」(高橋プレジデント)と語られており、ゴールまで残り7時間ほどしかないなかでのギリギリの判断となっていた。

 ゴール後、高橋プレジデントは、「ゴールまでに作業が終わらないかもしれない。もしかしたらもう二度とクルマを出せないかもしれないっていう苦悩もあったんですけど、彼(関谷GM)の中では、やれることを中途半端にやるんじゃなくて、ちゃんとクルマを直すっていう挑戦をしたいということで決断したというところです」と、決断の背景を明かす。

フロントまわりはエンジン交換という大手術
チームでエンジン交換を行なう
手前がトランスミッションと前輪を結ぶ等速ジョイント。奥がプロペラシャフト
右がGRヤリスの心臓部であるG16E型エンジン
こちらはエンジン後方から見たところ。中央にターボ関連部品などが確認できる
データを確認しつつ交換作業
こちらは今回から投入されたリアディフューザー。ダウンフォース向上に役立っている

 さらに、「決断した後に、個別に僕が関谷と話したときに、最初『6時間で作業が終わるかどうか分かりません』って言っていた関谷が、僕には個人的に『5時間で終わらせますよ』って強く言ったんです。そのときの顔が、南チーフメカを中心としたメカを信じて、『あいつらなら5時間で直す』って思う、なんかあの顔がやっぱり僕の中ですごく印象が強くて。なんかこれが本当にトヨタがこの活動で続けてきた人材育成そのものなんじゃないかなってちょっと思いました」と述べ、モータースポーツなど極限の環境に挑むことでクルマを鍛えていくことが「人づくり」にもつながっているという実感を得られているようだった。

 この全交換作業は、5時間どころか4時間で作業を終了。残り約1時間半となったところで109号車 GRヤリスはレースに復帰した。

 この最終スティントを担ったのがモリゾウ選手ことトヨタ自動車 豊田章男会長。モリゾウ選手は110号車の佐々木雅弘選手とともに走行し、佐々木選手が路面状況などを確認する先導走行をレーシングスピードで行ない、モリゾウ選手がフォローアップという形で最終スティントを走っていた。



 このニュル24時間で、完走扱いになるにはトップの周回数の半分以上の周回数走行が必要になる。パワートレーン、ドライブトレーンの全交換作業を行なった109号車 GRヤリスは走り出した時点で周回数が足りず、周回数を取り戻す走りも必要な状況だった。

 佐々木選手とモリゾウ選手は途中で雨の強くなる中、完走を目指すべくラップを刻む。雨でクラッシュするクルマもある中で、無事にゴールを迎えた。

 その結果は、トップの80号車の周回数が156周に対して、109号車 GRヤリスの周回数は77周。わずか1周ではあるが周回数が足りない状況でDNC(Did Not Classify、未完走)となり、全交換作業を驚異的な速度でなしとげたものの、完走するまでの時間を捻出することはできなかった。

 ただ、記者自身も20代のときには310サニーに乗っており、トランスミッション交換や、友人のセリカLBのプロペラシャフト交換などを行なったこともある。その際の作業時間は、サニーのトランスミッション交換で1週間(仕事に行きながらのすきま作業)、セリカLBのプロペラシャフト交換で丸1日(これは日曜日に作業)かかっており、4時間で、しかも狭いピットの中でパワートレーン、ドライブトレーンの全交換作業を完了するというのは驚異的な速度であるのは間違いない。トヨタとルーキーレーシングのメカニックの底力(というか超人ですね)を見せられた。

想定で5時間~6時間の全交換作業を4時間で終了。「人」と「クルマ」を鍛えるニュルブルクリンク24時間レース

決勝レース終了後、パワートレーン、ドライブトレーンの全交換作業について答えるトヨタ自動車株式会社 GAZOO Racing Company カンパニープレジデント 高橋智也氏(左)と、トヨタの技術を統括するトヨタ自動車株式会社 副社長兼CTO 中嶋裕樹氏(右)。中嶋副社長は、2026年から発足したトヨタレーシングのリーダーでもあり、ル・マン24時間レースの必勝を掲げている

 ニュルブルクリンク24時間レースを視察に訪れていたトヨタ自動車 副社長兼CTO(最高技術責任者) 中嶋裕樹氏は決勝レース後のチームテントで、「実はここへ来る前にモリゾウさんと最後一言しゃべっていたんです。僕はその最後に、あの部品を全取っ換えしたところがしびれたと、あの判断はなかなか僕らじゃできないことをやれているというのがすごいし、それを最後までしっかりクルマを走り届けるんだっていうモリゾウさんの思い、多分ここがすごいシンクロしたんだろうなと思います。こういうのってやっぱり(豊田章男氏は)究極の上司だけど、上司と部下の関係。こういうトヨタ自動車にやっぱりもっともっとしていかないけんなと。現在それができてるかというとできてない部分もたくさんあるので、『モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり』って、人材育成そのものなんだなと。言葉を交わさずに超トップと現場のメカっていうのが通じ合ってたっていうことです。自分としてもCTOとして、現場でみんなががんばってくれている人たちが、僕の言葉を信じてくれているかって言ったらまだまだ信じてくれないわけですよ。だからそういうことをもっともっとやっていかないけんなということ」と語る。

 その「信じてくれない」という言葉を、横で高橋プレジデントは「うんうん」とうなずいており、中嶋裕樹副社長は即座に「ここは違うよって言われるのを待ってたんやけどね」と切り返すなど、現場ならではの雰囲気を見せていた。トヨタの技術を統括する中嶋裕樹副社長にとっても「人材育成」という部分が強く印象に残ったようだ。

 5時間から6時間と想定していた全交換作業を4時間でできた理由について聞いてみると、高橋プレジデントは普段から想定して作業しているということを挙げる。「こういう事態を想定して日ごろからメカが訓練をしてきていますし、安全を担保した確実な作業。ちゃんと役割分担というか、誰か1人がすごいじゃなくて、チームプレーだと思います。4人いたら4人の作業が息ぴったりじゃないと、あれだけのペースの作業できない」といい、チーム力の大切さを語る。

 中嶋副社長は、そのベースにはTPS(トヨタ生産方式)があり、日ごろからコミュニケーションをしっかりして、言葉にするしないではなく、ムダが起きないようにしていることもあるのではないかと語る。

 このパワートレーン、ドライブトレーン全交換作業によって振動はなくなり、モリゾウ選手が最後まで走りきることができた。つまり、パワートレーン、ドライブトレーンのどこかに不具合が発生していたということになるのだが、その原因はなんだったのだろう?

 高橋プレジデントは「原因はまだ分からない」としつつ、今回の3つの改善点がクルマに対する負荷を高め、何かの不具合が発生してしまったのではないかと推測する。例えば、空力効率改善による60%のダウンフォース向上が駆動系の負荷を高めたのかもしれないし、サスペンションのジオメトリ変更が駆動系に異なる入力を与えたのかもしれないと語る。ただ、それは不具合が発生した今だから言えることで、「そこに対するケアが、僕も含めチームでもう少しやれたらよかった」と、自分の配慮が足りなかった部分もあると高橋プレジデントは言う。

 いずれにしろ、「すべては日本に持ち帰って確認してから」とし、今後きちんと何が起きていたか明らかにするとのことだ。

 石浦宏明選手も決勝レースの後のあいさつで、「クルマをよくして速くしていくと新しい課題が出たり、負荷がかかってトラブルが出たりということは、今までも繰り返していいクルマにしてきたと思いますし、それは続けていかなければいけないことだと思うので、今回もこのニュルで24時間レースに出て、本当に意味がすごくあったなと思います」と語っており、GRヤリスは次の進化に向けて鍛えられている最中だとも言える。

 高橋プレジデントは、新たなチャレンジを行なった久富エンジニアには、「よくやったって言いたい、あんだけぶっ飛んだことやって、やっぱり24時間いろいろあったけどちゃんと最後までエンジニアリーダーとしてやり切ったっていうのは、よくやったと思います」と声をかけたいという。

 世界一過酷なレースの現場で、人を鍛え、クルマを鍛える。豊田章男氏の「これがニュルです」という言葉が、2026年の挑戦を象徴しているのかもしれない。

全交換作業というチームの判断を尊重し、「何よりも安全優先でチャレンジしなさい」と指示を出した豊田章男会長。さまざまな困難のあった2026年のニュル活動を「これがニュルです」と総括。「どこまでできるかは分かりませんが、このルーキーレーシング、GR、そしてトヨタ、ニュル活動、この活動は続けてまいります」とチームに約束した