F1カメラマン熱田護の「気合いで撮る!」

第88回:セナ選手没後30年の節目となったエミリアロマーニャGP。洪水を乗り越えたイモラのレースを制したのはフェルスタッペン選手

 エミリア・ロマーニャGP。昨年、大洪水で現地の大変なときに来てホテルまでたどり着けないのではないかというほど心細い思いをしたのですが、今はもう景色は通常のものとなっていました。

 そして、今年はアイルトン・セナ選手がこのイモラサーキットで亡くなってから30年目という節目を迎え、いろいろなイベントがあったので、その紹介から始めてみます。

 タンブレロのイン側にあるモニュメントに木曜日に行ってみました。やはり例年よりも多くの人々が訪れていました。

 フェンスにもたくさんのフラッグが増えていましたし、セナさんに思いを寄せる拠り所になっているのだと再認識しました。

 パドックには、ベッテルさんの姿。各チームに、セナさんグッズを配っていたようです。

 ドライバー用にTシャツとバルクラバなのかな。

 ちょうど表彰台下に、ドゥカティのモンスターのセナさん仕様がお披露目されていました。そういえば1994年当時も916セナバージョンの発表もあったんですよね。

 MotoGPのライダーのチャンピオン、バニャイア選手とバスティアニーニ選手が登場。いちばん右のタルドッチさんは、僕がオートバイのレースを撮っていたとき、スーパーバイクでビモータに乗ってました。懐かしい。

 このモンスターセナは、341台限定バージョン。日本にも入ってくるのかな。

 18時にドライバーが集合して記念撮影。

 この後、タンブレロまで移動した選手、行かなかった選手。Tシャツを着ている選手、着ていない選手。それぞれの忙しい時間ですから、それぞれでいいのだと思います。5分後には、滝のような大雨になってしまいました。

 タンブレロまで行く選手のスタート。ガスリー選手の後ろのハミルトン選手から「プッシュ! プッシュ!」とゲキが飛んでいました。

 木曜の夜くらいしか時間がないので、イモラの街に行ってみました。大きなセナさんの写真が飾ってあります。

 街の中心にあるミュージアムで、セナさんの写真展。素晴らしかったです。

 いろいろ思い出してしまいますね。

 セナ30年のステッカーが各チームに貼られていました。貼ってないチームもありますが、それぞれですからね。

 ビアンカ・セナさん。アイルトンさんのお姉さんが、ビビアーニ・セナさん、その娘さんがビアンカさん。

 今回、僕はどうしても会ってあいさつしたかったのがビアンカさん。

 インプレスから写真集「Ayrton」を出すにあたって、ブラジルのセナブランドとの窓口になってくれたのがビアンカさん。

 30年ということで、さまざまな企業や個人からセナさん関連のグッズやイベントといった許可の求めがある中で、僕の写真集への認可をいただけたことにお礼を直接言いたかったのです。

 日曜日、ドライバーズパレードの後に、ベッテルさん所有のセナさんが乗ったマクラーレンMP4/8のデモラン。当時のマルボロロゴがないですけど、懐かしさ100点です。

 ステアリング、大きいし、シンプル。

 満員のお客さんに見守られながら快音をイモラサーキットに響かせ走ってました。

 トサコーナーの丘の上から見たタンブレロ。

 日曜日は16万人。周辺の道路は大混雑。

 コロナ禍以降、人気が高まっている熱気を感じます。

 サーキット周辺の民家から見るF1の風景もイモラならでは。

 金曜日、FP2が終わった時点で7位のフェルスタッペン選手。今回は厳しい戦いになるのかというと……。

 土曜日には、ポールポジション獲得。チーム力とドライビング力。

 日曜日は完璧に見える優勝。しかし、ペレス選手は予選11位、レース8位ということを考えると、マシン的には得意でないコースだったのかも知れません。

 2位には、ノリス選手。マイアミの優勝に続き好調を維持。マクラーレンの速さは本物確定ですかね。

 予選はバリアンテ・アルタに行きました。予選での速さをアピールできたいい予選でしたね。

 Q3で行けてたら……と思うのは僕だけ?

 エナジーステーションからガレージまではキックスクーターで移動。

 リカルド選手の速さというのが、いまひとつ計りかねていますけど、これまでのように戦えればチーム内競争には勝てるような雰囲気がしてきてますよね。

 マシン自体のスピードもアップデートがタイムに反映されてよくなっていると思います。

 今後の数レースというのは、角田選手にとっては来期以降のシート確保という大切な意味を持ってくるのでミスなくアピールできるような戦いが必要です。

 9位を走行していた終盤、ストロール選手が迫ってきて抜かれてしまいます。

 レース後のパルクフェルメ。10位で1ポイント獲得。

 予選Q3で2番手タイムだったピアストリ選手。

 マグヌッセン選手の走路妨害で5番グリッドに下がり、抜けないイモラで4位入賞はさすがです。

 リバッツアの丘に満員のお客さん。

 抜けないサーキットレイアウト、しかも1ストップ。なおさら予選の順位が重要になります。次戦のモナコも同様ですね。

 アックエ・ミネラーリ。昔はよかった……というのを知っていると、この場所は特別なフォトスポットでした。特に朝のセッションの光が最高でした。

 グリッドで話し込むマグヌッセン選手とハース小松代表。

 ドライビング、セットアップに対して的確にアドバイスできるチーム代表は多く存在しません。

 18位のグリッドからスタートして12位でゴールできたのは偶然でもなんでもなく、マグヌッセン選手のドライビングと小松さんからのアドバイスが効いた結果だと思います。

 レースが終わり、ガレージ内の片付けもほとんど終わった21時前。この時間に、チーム代表がチームメンバーと話をしています。

 全部のチームをチェックしてきたわけではないですが、チーム代表がこの時間にこのようにチームメンバーとコミュニケーションを取っているのを見たことは、僕の30年あまりの取材生活の中で初めてのこと。ほとんどのチーム代表はこの時間高級レストランでワインを飲んでいたりするんだと思います。

 この後に、雑談も含めて30分くらい話しました。

 まず、今回のレース内容が結果として出せなかったことをものすごく悔しがっていました。

 そして、チーム代表になって仕事量が半端なく多くなっていること。エンジニアリング以外のさまざまな仕事をしていく中で、自分の気持ちを切り替えスポンサーや外部とのコミュニケーションを積極的、能動的に進めることで、さらに信頼を得られることが分かって、充実した時間を過ごせているということ。そして現在のチーム内の雰囲気が上を目指す雰囲気で一致しているので、今後のレースが楽しみであるということ。

 難しい問題もあるけれどチーム内のコミュニケーションも多くとっていくことで少しずつでも強いチームになれるよう頑張っているのが、外から見ている僕にも伝わってきました。

 小さなチーム、予算も限られているハースが昨年と比べて今年好調にレースを戦えているのは、小松さんの組織作りが着実に実を結んできているのだと僕は思います。

 話している間も、メカニックさんたちの仕事が終わり、小松さんに向かって「じゃあ先に帰るね、ビックボス! あ、スモールボス(背が低い)かな?」って冗談を言いつつお互い笑顔になれる、そんないい雰囲気であることが、実にいいんですよね。

 何より、前向きな話がとどまることなしに次から次へと出てくる、真面目で真っ直ぐ、そして謙虚さを失わない内容の話の連続、小松さんの表情が輝いていることがうれしい! 今後が本当に楽しみ!

 土曜日の予選前に「熱田さん!」と声を掛けてくれたのは、イギリスの大学でスポーツジャーナリズムを学んでいる学生さん。将来、モータースポーツのジャーナリストになるのが夢という。

 現在のわれわれの状況は非常に厳しいと正直に言いました。

 でも、今後どのようなことになるかなんて、誰にも分からないし、何より若い人に入ってきてもらって素晴らしいモータースポーツの世界を多くのファンに伝えるという仕事は必要不可欠だと僕は思うんです。

 お名前も聞き忘れてしまいましたが、頑張っていただきたい!

 F2宮田選手。予選17位、スプリントレース13位、フューチャーレース15位という厳しい結果となりました。

 こういう流れになってしまうことは、誰にでも起きること。切り替えていくしかありません。

 レース後のパルクフェルメで、時計をつけ指輪をはめ、ブレスレットをつけるルクレール選手。

 次はモナコ、地元GP。イモラと同様、予選がレース結果に大きく影響します。

 いろいろ楽しみです!

熱田 護

(あつた まもる)1963年、三重県鈴鹿市生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。1985年ヴェガ インターナショナルに入社。坪内隆直氏に師事し、2輪世界GPを転戦。1992年よりフリーランスとしてF1をはじめとするモータースポーツや市販車の撮影を行なう。 広告のほか、「デジタルカメラマガジン」などで作品を発表。2019年にF1取材500戦をまとめた写真集「500GP」を、2022年にF1写真集「Champion」をインプレスから発行。日本レース写真家協会(JRPA)会員、日本スポーツ写真協会(JSPA)会員。