日下部保雄の悠悠閑閑
北海道の旅 その2
2019年8月19日 00:00
北海道旅行の最終日は晴れ渡った青空が広がった。十勝岳で宿を取ったカミホロ荘は星空の美しさで有名だが、残念ながら満天に広がったのは星空ではなく雲だった。とても悔しい。露天風呂から見えるはずの夕景も残念ながらわずかだった。
青空に噴煙を上げる十勝岳を右手に見て、向かった先は美瑛の青い池。有名な観光スポットらしく、ここも海外からの観光客が多かった。青い池と白樺の組み合わせは来た価値大だった。
北海道開発局の説明によると、上流の白銀温泉地区から湧き出ているアルミニウムを含んだ水が美瑛川と混じることでコロイド(細かい分子レベルの粒)状になり、そこに太陽光が当たると波長の短い青い光が拡散されて水面が青く見えるということだった。
行く前は青空が映っているだけかと思ったが、とても神秘的な青だった。美瑛川の方も流れが滞留しているところは青く見える。人工的にできた池だが周囲の自然と溶け込んでおり、散策道をテクテク歩くと詩人になったような気になる。
ここも見る間に観光客で溢れ、四季彩の丘と同じくインバウンドを肌で感じ、詩人は観光客の一員になった。
美瑛の青い池を後にして、いよいよ念願だった旭岳ロープウェイに向かう。なぜ旭岳にこだわるかと言えば、バリバリの現役ラリードライバーだった頃、毎年冬季ラリータイヤのテストをするために旭岳に通っていたからだ。
旭岳温泉へ通じる当時のコースは前半はツイスティ、後半はハイスピードになりバラエティに富んでいた。気温の安定する夜中にテストをしていたので、もちろん外はマイナスの世界。圧雪路面は何回走ってもパウダー状で安定しているのがありがたかった。
ベース基地にしていた旭岳温泉の端にある湧駒荘(ユコマンソウ)では、標高の高さもあって真夜中には-30℃にもなったこともある。もはや外に出られないし、そんな中で働くメカニックは大変。実際に誤って素手で十字レンチに触ってしまったメカニックは手のひらに軽い低温やけどを負ったほどだった。
テスト中、ライトに照らされたコースの上空をモモンガのような小さい動物が飛んで行くのを何回か見た気がするが、あの寒い雪の中を飛ぶことができるのか今でも謎である。
現在の旭岳への道路は改良工事が行なわれ、ずいぶん走りやすくなっているので容易に行け、アベレージスピードも上がった。その後4WDの時代になり、テストはもっとトラクションが要求される十勝岳に移り、前回の話につながる。
さて、何年にもわたって通っていた旭岳だが、ロープウェイには乗ったことがなかった。チャンスはいくらでもあったと思うが、夜中のテストに疲れているうえに、原稿にも追いまくられていたので湧駒荘から出る気にならなかったのだ。そうこうしているうちに前述のように旭岳から遠ざかり、チャンスを逸してしまったのが残念だった。
念願叶ってやっと「カムイミンタラ」(“神々の遊ぶ庭”という意味らしい)に行くことができた。旭岳は雄大な大雪山系の最高峰で標高2291mあり、今でも噴煙を上げている。大きな箱のロープウェイは標高1100mから一気に1600mまで約10分で上り切り、終点の姿見駅からは1時間ほどの散策コースがあって旭岳のそばまで行くことができる。ちょっとしたハイキングだ。平地に比べるとグンと涼しい。トコトコと上っていくと池が2つあり、最初の池はすり鉢池と鏡池と呼ばれていた。なるほど鏡池は池の周辺の花々や緑と、植生限界を超えて険しい山肌を池に映している旭岳のコントラストがなかなか素晴らしい。
花の名前はトンチンカンだが、高山植物は身をひそめるように小さく、青や黄色の花をつけているのが愛らしい。
上りが長くなると口数が減っていくが、シューと大きな音を立てる噴気口が間近になると、急き立てられるように足を速めて標高1670mの姿見の池まで上った。気づけばたった70mしか登っていないことになるのだが、随分高い所まで上った気になる。
姿見の池を境に緑は一気になくなり、山の険しさが浮き立つ。ここから旭岳の頂上までは約620mもの高低差があるので、もはや登山である。もちろんそんな根性はないので、とっとと下山することにした。雲も出て肌寒くなってきたし……。
帰りがけに昔お世話になった湧駒荘に寄ってみた。毎年来ていたときは湧駒荘の周囲は氷雪の世界ですぐに宿屋が見えたが、夏は林に隠れて危うく見落とすところだった。湧駒荘は10年ほど前に大改装を受け、伝統的でありながら新しさもある素敵な山のホテルに変わっていた。しかし、いろいろなところに昔の面影があって懐かしい。
どうせならその湧駒荘の温泉に寄っていこうということになり、フロントに相談しに行くと何と見た顔が! ソチオリンピックの銀メダリスト、スノーボード選手竹内智香さんである。
湧駒荘のお嬢さんであることはもちろん知っていたが、ここで会えるとは! ボクが湧駒荘でお世話になっていた頃はまだ幼く、旭川市内に住まいしていたと記憶している。初めてお会いするとスポーツウーマンらしく颯爽として、好感度はさらに急上昇! フロント業務をキチンとこなされていました。もちろん一緒に写真を撮ってもらいましたとも!
素晴らしい風呂にも浮かれて、サインをもらうのを忘れたことに気づいたのは東京に帰ってから。すっかりミーハーになった湯元 湧駒荘でした。
今、東京に戻りエアコンのありがたみを感じるたびに、旭岳の冷気を思い出す。