ニュース

藤島知子の「S耐最終戦」レポート 新型「シビック TYPE R」を投入したホンダ R&Dチャレンジ

スーパー耐久最終戦鈴鹿に参戦した新型「シビック TYPE R」

 2022年のスーパー耐久最終戦でひときわ注目を集めていたのが今年9月に発売を開始したばかりのホンダ「シビック TYPE R」。新型となる「FL5」型が世界で初めてレースで走る姿を見られるということで、ホンダファンのみならず、多くのスポーツカーファンたちが期待を寄せた。

 ホンダのチームだから、新型がすぐにレースデビューを果たして当たり前だと思われるかも知れないが、このタイミングで私たちがその勇姿を目にすることができたのは、ホンダ社員である彼らの熱い思いがつないだ奇跡だったのかも知れない。なぜなら、先代型のFK8でS耐に挑んできた「Honda R&D Challenge」はホンダのワークスチームではないからだ。

ホンダ社員による自己啓発活動として取り組む「Honda R&D Challenge」

 このチームの成り立ちは「若手社員がクルマ一台分を理解する力を育てる取り組み」という名目で業務としてスタートしたもので、ニュル24時間レースへの参戦を目標にしていた。それゆえ、マシンは「FK8」型の左ハンドルのドイツ仕様をベースに作り上げていたが、会社の意向でプロジェクトは白紙に。その思いを捨てきれなかったチーム代表の木立純一さんらはシビック TYPE Rの開発責任者を務める柿沼秀樹さんと協力し、自己啓発活動に切り替えて国内のレースに参戦することになった。活動は彼らの部費とスポンサー活動で集めた資金で行ない、2020年、2021年はS耐にスポット参戦を果たしていた。

 その後、彼らの取り組みが社内で認められ、2022年には特別自己啓発活動に昇格。通常業務の時間外で準備や作業を行なうことに変わりはないが、会社のバックアップを得たことで、2022年はS耐のフル参戦を叶えた。彼らの言葉を借りれば、先代型のFK8は色んなことを教えてくれた先生だという。

 レースに必要な装備は採り入れながらも、量産車と大きく変わらない車両にグリップが高いスリックタイヤを履かせて走る耐久レース。車両には通常とは異なる負荷がかかり、ベストな状態で走れないこともあった。そのうえフル参戦ともなれば、彼らにとって初めて体験するコースも多く、長年レースを生業としてきたレーシングチームと戦うのは容易なことではなかった。彼らはレースの回数を重ねる毎にクルマづくりやセッティングはもちろん、レースを走りきるために自らが役割をこなす重要性を学び、着実に成果を積み上げてきた。レースに参戦して分かったクルマ側の課題はドライバーとして参加していたシビック TYPE R開発責任者の柿沼秀樹氏らが新型の開発メニューに盛り込み、ベースモデルのポテンシャルは格段に引き上げられた。

新型「シビック TYPE R」

 とはいえ、鈴鹿の最終戦までに新型のレース車両を完成させることは、時間的にも労力的にも厳しい状況だった。FK8でレースに参戦するのと並行して、ニューマシンをレース仕様に作り上げていく。彼らは休む間を惜しんで準備に取りかかり、部品が間に合う、間に合わないといったギリギリの調整を行なっていた。若いメンバーたちが毎日のようにガレージにやってきて、深夜1時、2時まで作業に没頭する日もあったという。ようやくでき上がったマシンはモビリティリゾートもてぎで一度だけテストを行ない、突貫工事で最終戦に間に合わせた。決勝当日となる11月27日はTYPE Rが 誕生30周年を迎える日にあたり、そんな特別な日に新型がレースデビューを飾ることができたのは、彼らの粘り強さと強い思いがもたらした賜物だと思った。

 量産車であるベースモデルの進化に目を向けると、先代型と比べて全長・全幅が拡げられたほか、全高を低めて地を這うスタイリングに変わっている。新世代のプラットフォームは先代から採用されていたインナー骨格構造に高張力鋼板をまとい、接合部の接着材の塗布エリアを拡大したことで剛性を強化。リアのねじり剛性は15%も向上させているという。さらに、ホイールベースの拡大に加えて、前後のトレッドをワイド化。ボディはドラッグの低減を図り、TYPE R史上最強のエアロバランスを手にしたことで、圧倒的なスタビリティと速さを磨きあげてきた。2.0リッターのVTECターボエンジンは骨格自体は先代から受け継ぎながらも、ターボチャージャーを高レスポンス化し、出力・トルクともに向上させている。FK8で課題となっていたエンジンルーム内やブレーキの熱対策も織り込まれ、連続走行時の温度上昇を低減できる。

鈴鹿の最終戦に登場した新型レース車両

 S耐を戦う上で手を加えた点としては、レギュレーションの範囲内でフロントのリップスポイラーやリアスポイラー、ボンネットなどを無限のパーツに変更。トラスト製のエキゾーストはFK8のマシンで使っていたものと基本設計は同じだが、径はFL5に合わせて最適化されている。また、重量物となるレース用の燃料タンクの配置は従来はトランクに置いていたものを車体の中心に近い床下に移設し、走行時の回答性の向上に寄与しているという。

 事前にもてぎで行われたテストで順調に走行する姿をみせたFL5。しかし、その時点で耐久テストは行なわれておらず、鈴鹿の5時間耐久で走らせてみないことには何が起こるのか分からない状態。初モノは予期せぬトラブルで洗礼を受けることもあるが、順調に来ているだけに、かえって不安に思う部分もあったという。

 みんなの思いを背負ってデビューしたマシンはレースウィークも順調に走行を重ねていった。土曜に行なわれた予選ではAドライバーの石垣博基さんとBドライバーの木立純一さんとの合算で、GRヤリスやランエボ、WRX STIの4WD勢がせめぎ合うST-2クラスで4番手に。いよいよ5時間耐久レースのスタートが切られた。

写真は左から第4ドライバーの武藤英紀氏、ファーストドライバーの柿沼秀樹氏、第3ドライバーの木立純一氏、第2ドライバーの石垣博基氏

 ファーストドライバーは開発責任者の柿沼さんがステアリングを握り、序盤のせめぎ合いの中を駆け抜けていく。第2ドライバーの石垣さんは順調に周回を重ね、2時間経過時点での順位は総合26番手、クラス2番手を走行。木立さんにバトンを受け渡してしばらくした頃、イン側を走っていたマシンが左リアに接触するアクシデントが起こる。幸いにもマシンの挙動に大きな影響はなく、クラス3番手で最終ドライバーの武藤英紀選手につないだ。レース終盤、プロドライバーである武藤選手はペースを保ちながら見事な追い上げを見せ、ST-2クラス2位を獲得してみせたり新型車の投入で、何が起こるか分からない中で走りきった初戦。チェッカーを受けるとチームは拍手を送り、ピットの空気が湧き上がった。これまでの想いが溢れ出たかのように、こっそりと涙を流すメンバーもいた。

 量産車のTYPE Rの開発に携わってきたメンバーの一人である長福さん。表彰台を獲得したことに対して「もう、何も言えません。1年間がんばったことが報われました。FK8をやりながら新型を手がけていたから、もう間に合うか分からなくて。1週間前まで徹夜している状態だったから、正直言うと心の中では完走できたらいいなと思っていた部分もありました。表彰台の獲得はちょっと信じられません」とコメント。

 チーム監督を務める望月さんは「よく走りきった……というだけではなくて、表彰台まで獲得することができて、これまでの努力が報われました。新型車両は作り始めも遅れたし、みんなでああだこうだとやってきて、ときには喧嘩をしながら『こんなのできねぇ』とか、『間に合わない』とか。それでも、みんなが一生懸命やってくれたので、本当にみんなのおかげです。FK8で色々ためてきたノウハウを全部入れたことも表彰台の獲得につながったと思います。まだまだこれからアップデートできることも残っているので、そこも手を付けながら来シーズンも挑めたらと思います。途中でちょっとした接触はありましたが、トラブルらしいトラブルはなく、新型になったことでリアタイヤがだいぶ使えるようになりました。摩耗が進んでいるから、最後のスティントで交換するかどうかの判断に迷いましたが、最初に決めた戦略で走りきりました。プロドライバーである武藤さんの腕も最後に凄さを見せてくれたし、他の3名のドライバーも想定通りにきっちり走れていたことで、同じクラスの他の車両といい勝負ができました。よくぞ、ここまで来れたなと思います」と感想を話した。

写真は左から石垣博基氏、木立純一氏、武藤英紀氏、柿沼秀樹氏

 新型車両のポテンシャルについて、Aドライバーを務めた石垣博基さんに感想をうかがってみると、「非常に乗りやすいし、安定感があるので思いっきり攻めていける。そのあたりをみてもベースモデルが進化した影響は大きいと感じています。縁石などのギャップを乗り越える時など、先代のFK8では暴れていたところが凄くしなやかに落ち着いた上達で走っていけるので、性能を使い切れる。Aドライバーの予選では1番手のタイムを出すことができましたが、それは信頼して走れた証だと思います」との印象を話した。

 チーム代表とBドライバーを兼任する木立純一さんは「短い時間でクルマを作って、まさか表彰台に上がれると思っていませんでした。ストレートスピードが速く、旋回中の姿勢もいいので、ロングで乗っていても疲れませんでした。何より、時間が無い中、レースに参戦しながらみんなが新型の車両を作りあげてくれたことには感謝しています。自己啓発の活動なので、メンバーたちは仕事が終わってから深夜まで、土日も使って頑張ってくれていました。そうしてやってきたことは着実にチームの総合力につながっていると感じてます。若手のみんなの表情を見ていても、最終戦のレースウィークに入った時にはすでに目の色が違っていて、自信があったのだと思います。自分たちが作ってきたクルマ。それが本当にいいものである。必ず何か成果を残すと信じている。それが顔に出ていたのだと思います。ファンのみなさんには、ホンダのクルマに乗っていただいていたり、いつもホンダを応援してくれていることに感謝しています。我々がS耐に参戦している目的は人づくりとクルマづくりのため。この活動が直接商品につながるわけではないかも知れませんが、育てた人たちがいいクルマを作るような活動につなげていきたいと思っていますので、今後も応援をよろしくお願いします」と語った。

チーム代表とBドライバーを兼任する木立純一氏

 このチームに初めて参加し、最終スティントで順位を上げたプロドライバーの武藤英紀さんは「FL5は予選で一発のタイムも速かったですし、ロングの走行で燃料をたくさん積んで走りましたが、そうした状態でも安定してスピードが出ていました。非常に扱いやすいクルマですし、誰が乗っても同じようなバランスで走れるところもいいですね。みんなが一生懸命作ってくれたクルマだから、一周も手を抜かずに走ろうと思いました。ペースを守って走り続けていたら、2位を獲得することができました。最高でしたね。クルマのポテンシャルは高いし、最後までずっと安定していて不安なく走れましたから。柿沼さんも泣いているようでした。ああいう姿を見ると、本当に一緒に走れてよかったなと思います」との感想を話した。

 シビック TYPE Rの開発責任者である柿沼秀樹さんはフルモデルチェンジした新型で初のレースをドライバーとして自らが体験した。どんな気持ちを抱いたのだろうか。「決勝ではスタートドライバーとして走り始めた瞬間に他のクルマとの立ち位置の差が分かりました。これまでのFK8の窓から見た敵の位置に対し、新しいクルマの窓から見えた世界はまるで違っていました。こっちはペースを守って走っているのに、今までついていけなかったクルマについていける。こっちのほうが速いから、無理せずにいくことができる。同じクラスのライバルであるヤリスも抜いたし、ランエボも抜けるほどに。新型はFK8の世界から確実に進化していることが明確になったので、これはいけるなと思いました。FK8で難しかった部分は新型のクルマづくりに採り入れて、それを確かめる最初の場が今回の最終戦。僕が想像した以上に、レースにおけるポテンシャルの高さを実感することができました。先代のFK8でS耐を戦ったことで得たレーシングカーとしての進化分は新しいFL5に残しました。ベースの量産車が強くなり、レーシングカーとしても強くなって、その2つが融合して辿り着いたポジションは僕らが想像していた以上に強いクルマになっていました」と述べている。

新型シビック TYPE Rの開発責任者である柿沼秀樹氏

 レースの現場におけるチャレンジと新型車開発との関連性。これまでの道のりを振り返るように語ってくれた柿沼さん。彼らのS耐への取り組みは、次のシビック TYPE Rを開発している時期と重なったことで、量産車の開発にタイムリーに採り入れることにつながり、その成果が現れ始めている。そんな開発者たちの背中を間近で見てきた若手社員は開発以外の様々な部署に所属している人もいるが、この取り組みを通して自分たちを高めてきた経験はきっと様々な局面で生かされていくことだろう。来シーズンもこのマシンで参戦する予定のHonda R&D Challenge。新型を手にした彼らがどんな活躍をみせていってくれるのか注目していってほしい。

 ホンダは12月12日に2023年のモータースポーツ活動計画を発表した。2050年にホンダの企業全体としてのカーボンニュートラルを目指す上で、モータースポーツにおける取り組みに言及。2023年のS耐ではシビック TYPE Rをベースとした車両をST-Qに投入し、実践を通じたレース車両開発に着手していくと宣言した。

 また、ホンダのモータースポーツ部門を司る新生「HRC」は燃焼技術などにおいて2輪と4輪のシナジー効果を狙った開発を進めるほか、レーシングパーツ、レースのベース車両の販売を視野にいれた活動を行なうことで、すでに2輪で先行していたビジネスを4輪分野でも展開していこうとしている。

 カーボンニュートラル燃料については、SUPER GT、スーパーバイク、スーパーフォーミュラなどの適合性をテスト。高性能、高効率なバッテリ、カーボンニュートラル燃料で培った技術は他の2輪や4輪の分野に拡大して、持続可能なモータースポーツに向けて取り組んでいくという。連携を深めることで人と技術を相互に高めて、技術を伝承し、強いHRCを作り上げていく方針だ。

 変わりゆく時代にいるだけに、挑戦し続けていくホンダのDNAをぜひ世の中に浸透させていってほしいと願う。