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F1中継で見かける謎の会社「AWS」、何をF1に提供しているのか?

AWS 主任スポーツ産業専門家 ニール・ラルフ氏

F1中継でよく見かける「AWS」、AWSって何の会社?

AWSが2023年11月末にラスベガスで開催した年次イベント「re:Invent」には、NVIDIAのジェンスン・フアンCEO(右)がゲストとして登壇、左はAWS CEOのアダム・セリプスキー氏

 F1日本グランプリが4月5日~7日の3日間にわたって、鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で開催されている。

 F1をテレビで見ていると、2人のドライバーの比較データなどが表示され、その横に「Powered by AWS」という文字があるのを気にしたことがあるだろうか? あのAWSとは一体何の会社なのかと思っているF1ファンも少なくないのではないかと思う。

 ITに詳しい人であればAWSはおなじみの会社だが、一般のF1にとって、AWSはどんな会社であるのかはあまり知られていないだろう。そうしたAWSがどのような会社なのか、そしてF1とどのようにかかわっているか、AWSでF1とのパートナーシップを統括しているAWS 主任スポーツ産業専門家 ニール・ラルフ氏にお話しをうかがう機会を得たので、ここに紹介していく。

 AWSは、Amazon Web Servicesという正式名称が企業名で、EC(電子商取引)事業者の最大手Amazon.com(以下、Amazon)の関連会社となる。Amazonはインターネットの黎明期にいち早くEC事業を米国で開始し、その後世界中にEC事業を展開している。

 日本でもAmazon.co.jpとして2000年に事業を開始しており、すでに日本でもおなじみのEC事業者と言えるだろう。その後AmazonはECだけでなく、さまざまなデジタル事業を展開している。

 有名なところでは電子書籍のKindle事業、音声認識を利用したAIサービスのEcho事業、さらには動画配信のAmazon Prime Videoなどがあり、さまざまなITサービスを一般消費者に提供する企業となっている。

サーバー機器やネットワーク機器がたくさん置いてある施設をデータセンターと呼ぶ。AWSはそのデータセンターを世界各地に持っており、インターネットを経由して顧客企業にサービスとして提供する

 AWSはもともとAmazonの社内事業向けにITのリソースを提供する社内部門としてスタートした。前出のようなAmazonのITサービスを実現するには、データセンターと呼ばれるサーバーを集めた事業所が必要になる。

 当初AWSはそうしたデータセンターをAmazon社内向けだけに提供していたのだが、それをインターネット経由でサービスとしてAmazon以外の会社に提供する事業を開始した。インターネット経由でITインフラを提供する事業のことを、雲(Cloud)の向こう側にあるという意味で「クラウドサービス」と呼んでおり、そうしたクラウドサービスを提供する事業者のことをクラウドサービス・プロバイダー(CSP)と呼んでいる。

 AWSはCSP事業を、ほかのIT企業よりも早く開始したこともあり、現在グローバル市場でトップシェアの事業者となっている。日本でも早くから事業を行なっており、東京と大阪にデータセンター群を開設し、サービスを提供している。

 日本では自動車メーカーや官公庁、大企業からスタートアップまでさまざまな規模の企業にクラウドサービスを提供しており、企業がデータセンターを持たなくてもITを利用した事業が行なえるようにしている。

AWSとF1の関わりは2018年から、「F1 Insight」というデータを利活用したファンサービスを提供

F1中継でよく見かける「F1 Insights powered by AWS」のAWSって何?(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 AWS 主任スポーツ産業専門家 ニール・ラルフ氏によれば、AWSがF1との関わりを始めたのが2018年だったという。「われわれは2018年からF1とのパートナーシップを始めて、現状は2027年まで契約をしている。われわれが目的としていることは、F1とのパートナーシップ。データを活用したソリューションを提供することで、ファンが楽しめるようなことを提供していきたい」と述べ、AWSがF1と契約したのは、F1が持つ膨大なデータを活用することで、ファンに新しい体験が提供できると考えからだという。

F1とAWSのパートナーシップ(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 というのは、現代のF1はすべてのセッションが行なわれるたびに膨大なデータが生成されている。例えばF1マシンには300を超えるセンサーが着けられていると言われており、そのデータが全てではないが、チームのエンジニアはリアルタイムに送られてきたデータを異常がないか注視している。

 例えば、パワーユニットの出力が低下してスローダウンする前には、油温や水温などが上がってその兆候が現われたりするため、壊れる前にエンジニアからドライバーに対して「クルマを止めろ」という指令が無線で飛んでドライバーがコース脇にクルマを止めるというシーンをテレビ放送で見たことがあるファンも少なくないと思う。

 F1マシンに搭載されたセンサーからのデータをチームが見ているだけでなく、FIAやF1運営者もそれらのセンサーのデータを取得している。FIAはチームがレギュレーションに違反していないかを調べるためであり、F1はファンサービス「F1 Insights」のためだ。

F1 Insightsを実現する仕組み(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 F1では全ての映像、データ(車両から上がってくるセンサーデータ)などは全てETC(Event Technology Centren、Media&Technology Centreと呼ばれる事もある)と呼ばれるF1が運営している簡易データセンターに集められる。そのデータというのは、サーキットに設置されているカメラマンが操作しているカメラ、固定的に設置されていてリモートから操作するリモートカメラ、そして車両に搭載されているオンボードカメラ、ヘリコプターのカメラ……すべて全てのカメラからの映像がこのETCに集められ、二つの10Gbの光ファイバー回線を通じてイギリスのロンドン郊外にあるビギンヒルのRTC(Remote Technical Centre)にリアルタイムで送られている。

鈴鹿サーキットのETC(名称はMedia & Technology Centreになっている)。1コーナー寄りのピットガレージの中に設置されている。テントでなくガレージなのは、台風を意識しているとのこと。2024年は台風の心配のない4月開催だが、2023年の形をそのまま踏襲しているとのこと

 なお、そのETCはサーキットによってはパドックの中にテントを設置して構築されているのが一般的だが、日本グランプリでは例外的に、1コーナー方向のピットガレージの内部に設置されている。鈴鹿サーキットを訪れた人であれば分かるように、鈴鹿サーキットにはピットガレージが多数用意されており、SUPER GTでは42~43台の車両が出走するレースでも許容できる。F1では10チーム20台が走るだけなので、ピットガレージに空きがあり、そこをF1のETCが格納している形だ。

 以前ETCは15個のコンテナ分になる機材(動画の処理を行なう機器やサーバーなどのIT機器)を持ってきて、そうして集められた動画や車両から上がってくるデータをサーキット側で処理していた。しかし、2020年にコロナ禍に突入した後、現地に行ける人員なども限られているため、ETCのコンテナは3つに縮小し、動画のスイッチング(フジテレビNEXTやDAZNなどにも使われる国際映像にどの映像を流すかを決めること)などは、すべてビギンヒルにあるRTCで行なえるよう変更されている。

 コロナ禍が開けた今でも最小構成でETCが運営され、RTCで映像のスイッチングやスロー再生に利用する映像の編集などが行なわれ、国際映像として提供される形になっている。

ETCからRTCへ送られたデータがAWSのクラウドサービスへ送られ、データが解析される

モナコGPでのマックス・フェルスタッペン選手とフェルナンド・アロンソ選手の比較、F1 InsightsではAWSのクラウドを活用することで簡単にファンに提供できる(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 同時に車両から上がってくるデータの処理もレース現場であるETCでは行なわず、前述の10Gb/sの2つの回線を通じて英国のRTCに送られて処理するという。RTCでは、このデータを、AWSがクラウド経由で提供しているデータセンターを利用してさまざまな処理を行なっている。

 AWSが顧客に提供している機械学習ソリューション「Amazon SageMaker」(アマゾン・セージメーカー)を活用して、F1とAWSはこのデータを詳細に分析している。

 例えば、F1の中継を見ていると、レースを前にしてどのようなタイヤ交換戦略を行なうのかという予想が表示される。タイヤ交換回数が予想され、どのようなパターン(例えば、ミディアム>ミディアム>ハードが一番速いなど)で、何周ぐらいに交換するのがよいのかがグラフィックスで表示されている。そうした予想も、RTCに集められたデータを元にAWSのクラウドで行なわれている。

 レース中よく見るグラフィックスとしては、トップを走る選手と2位を走る選手のラップタイムで、どちらのドライバーがどこのコーナーで速くて、どのタイミングでブレーキを踏んでいるというものが表示される。あの比較もRTCに集められたデータを元に、AWSのクラウドで計算され、グラフィックスとして表示されているのだ。

最近の公道レースで見かける壁まで何センチというグラフィックスはCV(コンピュータビジョン)というAIを活用して実現されている(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 もう1つユニークなものとしては公道レース(モナコGPやシンガポールGP、ラスベガスGPなど)特有のグラフィックスになるが、クルマが壁ギリギリまで何センチと表示されるのを映像で見たことがあるだろう。実はあれもAWSの仕組みが利用されている。

 AWSのラルフ氏は「計測には特定のコーナーに、測定用のカメラを設置している。そのカメラとCV(コンピュータビジョン)の仕組みを利用してAIがホイールから壁まで何センチかを推計している」と述べ、AIを利用して計測していると明らかにした。

 CVとは日本語で言えば画像認識ということになり、AIが画像を見て、そこに移っているものは何なのか、物体同士の距離などを推定することを可能にする。そのため、CVを自動運転車に適用すると、人間の目の代わりに距離を推定でき、それを元にステアリング操作を行なって自動運転ができるようになる。

 F1やAWSがこうしたことに取り組んでいるのは「F1を初めて見るファンはF1のことを深く知り得ていない。そういうファンでも何が面白いのかを示すためにこのようなコンテンツを提供することに意味があると考え、F1と協力してデータの解析を進めている。

 壁とホイールの隙間に関しても同様で、具体的に数値化したらファンにとってすごさが分かってもらえるだろうと考え取り組むことにした」と述べ、データ活用することにより、さらに楽しんでもらうために、取り組みを行なっているのだと強調した。

F1全体だけでなく、「フェラーリ」のスポンサー・技術パートナーとしても活動

フェラーリのマシンにもAWSのロゴが

 また、AWSはF1全体とだけでなく、スクーデリア・フェラーリともパートナーシップを締結しており、スクーデリア・フェラーリのF1マシン5か所にロゴを貼っている。具体的には、フロントノーズ、ドライバーが座るやや後方の両側、そしてフロントウィングの翼端板の両側になる。

ノーズのAWSロゴ
ドライバーのコックピット脇のAWSロゴ
フロントウィング翼端板内側のAWSロゴ
チーム首脳陣が座るピットウォールの椅子にもAWSロゴがついている

 こうしたロゴが貼られるということは、一般的には何らかのファイナンシャルスポンサー契約があると考えるのが一般的だが、AWSによればフェラーリとのパートナー関係は単なるスポンサーというだけでなく、技術提供も同時に行なっているということだ。具体的にはチームが戦略を立てるときの戦略シミュレーションや、チームがファン向けに提供しているスマートフォン用アプリなどにAWSのクラウドが活用されている。

スクーデリア・フェラーリがファンに提供しているスマートフォン・アプリもAWSのクラウドを利用して提供されている(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 現代のF1は「情報戦」とでも言うべきレースになっており、各チームはセッションが終わった後、そのデータを欧州にあるファクトリーに送信し、コンピュータを活用した解析を行なう。解析したデータを元に次のセッションでのセッティングを決め、シミュレータドライバーがそのデータを元にした新しいセッティングでクルマを走らせ、複数の新しいセッティングからよりよいものを選択する。

 F1を見ていると金曜日にイマイチだったチームが、土曜日のFP3(フリー走行3回目)になると急に速くなる場合がある。それは、新しいセッティングを現地のチームにインストールすることが裏側で行なわれているからだ。

フェラーリチームのレース戦略シミュレーションなどもAWSクラウドが活用されている(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 また、レースに向けた戦略のシミュレーションも重要な要素だ。F1を見ていると、ドライバーとエンジニアの間で「作戦はプランAのままだ」ないしは「作戦をプランBに変更する」など、作戦をA、B、C、Dなどのアルファベットで伝えることが多い。


 ドライバーとエンジニアの交信は、放送やF1アプリなどを通じて公開されてるので、複数ある作戦にアルファベットの名前をつけておき、他のチームには分からないように「暗号化」しておくという意味だ。例えば、プランAはタイヤ2回交換で、ミディアム>ミディアム>ソフト、プランBはタイヤ1回交換でミディアム>ハードだと決めておき、レース途中の展開でプランAをプランBに変えるということが実行される。

 逆に言えば、ピットインのタイミング、タイヤの種類、天候などさまざまな要素に左右されるタイヤ交換戦略を、チームはあらかじめ3つか4つ程度に絞っているということだ。その選択肢は非常に多くのパターンが考えられる。そのパターンの中から、最もよさそうなものを3つ~4つに絞るという作業は超高速なコンピュータを利用しても膨大な時間がかかる。そこで、フェラーリはAWSのHPCソリューションを活用して演算し、フリー走行などのデータを元にしてその最適な作戦を選ぶ訳だ。

 こうしたシミュレーションは、以前はチームが小型のデータセンター(ラックにたくさんのコンピュータを搭載しているもの)を活用して演算されていた。しかし、実際にシミュレーションを行なうのは、予選が終わってからレースが始まるまでの短い期間だけで、逆にそれ以外はほとんど使われないのに高価なコンピュータを買わなければならず、チームにとっては効率のわるい投資になってしまっていた。

 今のF1はコストキャップと言われる規制により、開発に使える経費の上限が決まっているので、AWSのようなクラウドを使うと、チームは必要なときだけ必要な経費でコンピュータを使える。AWSのようなCSPは、他の企業にもクラウドサービスを提供しているため、言ってみれば初期投資を他の企業とシェアできるため、低コストで提供できるのだ。その意味で年間24回だけレースシミュレーションを使う必要があるF1チームにとってはクラウドを活用することは合理的な選択なのだ。

2022年の車体レギュレーションに向けたシミュレーションでもAWSは大活躍

F1のレギュレーション策定のためのシミュレーションにもAWSは協力(出典:Innovating Formula 1、AWS)

 ラルフ氏によれば、AWSがF1と行なっている取り組みは、前出のような映像に付加されるデータの利活用(F1 Insights)だけではないという。例えば、F1の車体レギュレーションを策定するときに、F1の関係者がCFD(Computational Fluid Dynamics、コンピュータを活用した流体解析)を行なう場合にも、AWSがクラウドで提供するHPC(High Performance Computing)を活用してシミュレーションが行なわれているという。

 F1では2022年から、現在の車体レギュレーションが施行されている。具体的には「グラウンドエフェクトカー」と呼ばれる、車体の底面を地面効果(グラウンド・エフェクト)によってダウンフォースを得ることを許容するルールで、より追い抜きを容易にするという目的で策定された。

 そうしたレギュレーションをF1の技術陣(F1のCTOは、かつてベネトンやルノーのテクニカルダイレクターを務めたパット・シモンズ氏が務めている。つまりチームにいてもおかしくないような技術的な知識を持つエンジニアがルール策定を行なっている)が必要とするような演算性能を提供するのがAWSの別の役割になる。

 F1が自社のデータセンターで演算していた時代に比べて、時間短縮や最適化を行なうことでF1のコストを最適化することに成功したとラルフ氏は説明した。

 よく知られているとおり、2026年にF1は新しい車体レギュレーションと新しいパワーユニットの導入を進める計画だ。そこにAWSがどうかかわっていくかは現時点では明らかになっていないが、2027年までF1との契約があることを考えれば、今後策定される2026年のレギュレーション策定にも何らかの形でかかわっていくことになる可能性は高いと言える。その意味で、F1ファンにとって、AWSという企業は注目しておいて損がない、ということができるのではないだろうか。

日本GPを走るフェラーリ

【お詫びと訂正】記事初出時の内容について一部誤りがありました、お詫びして訂正させていただきます。